古墳巡礼・近畿編 53 佐紀古墳群15 | ロック古典主義

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 佐紀古墳群15 (奈良市山陵町)2023年11月9日 

 

 佐紀石塚山古墳は成務天皇陵に比定されていますが、五社神古墳 

(神功陵)が成務陵とされていた時期もあったようです。

佐紀石塚山古墳(成務天皇陵)(さきいしづかやまこふん/せいむてんのうりょう)

 幕末まで神功皇后陵とされていたが、明治初めに垂仁天皇の皇后 

日葉酢媛命(ひはすひめのみこと)陵に治定替えされ現在に至って 

いるが、実際の被葬者は明らかではない 。 

【盗掘された古墳】天皇陵古墳の盗掘は金目当てだけではなかった? - YouTube

 大正初期の1916年この古墳の盗掘事件が起きた。数人が現行犯 

で逮捕されたことをきっかけに、各地方の古墳を荒らし回っていた盗掘団の存在が明るみとなり、大量の盗掘品が警察に押収された。 未盗掘古墳と天皇陵古墳 松木武彦 - 週末は古墳巡り

 当時の宮内省はただちに乱掘によって荒らされた古墳の復旧工事を実施している。その際、回収された副葬品等は写真や拓本などの記録をとり、寒天で型取りして石こうを流し込んだ模造品作成した上で、石室に戻されたらしい。 考古学六十年 梅原末治著 - メルカリ
 この時の復旧工事記録は大部分が関東大震災で焼失してしまったが、幸いにも梅原末治博士の手元にその写しが保管されていた。 

宮内庁治定陵墓この資料は、宮内庁によって陵墓に治定され、内部をうかがい知ることのできない巨大古墳の実態を知る上で、きわめて貴重なものとなっているそうです。 メスリ山古墳:奈良県桜井市大字高田(2018.12.1) - Slow Life Slow Fish
 当時の工事記録によりますと、後円部墳頂には円筒埴輪列を巡らせた方形の壇があり、その内部に竪穴式石室がある。竪穴式石室は内法のさ8.55m、1.09mの大規模なものだとされる。橿原考古学研究所 友史会 :: 2006年2月例会 『佐紀古墳群を歩く』 
 石室の両側壁は板石を小口積みにする特有のものだが、両小口の壁は大きな一枚の板石を立てている。板石は高さ、幅ともに2m、厚さは30㎝ほどに切りそろえて、中央部やや上に四角い孔を上下に2個並べてあけているらしい。
「遺跡」のブログ記事一覧-奈良の名所・古跡

 天井石は5枚からなり、これらもきれいに切りそろえた切石で、石室の天井面となる下面には一枚ごとに深さ5㎝ほどの内刳(ぐ)りを施し、両側面には縄掛突起をつくり出しているそうです。 

 さらに、これらの構造全体が、大きな切石の底石の上に構築されているとのことです。入念で独特な葬送儀礼の証左|世界遺産 百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいちこふんぐん)
 このほか、石室には他の前期古墳にはみられない様々な付属施設があり、全体としてきわめて複雑な構造になっている。

 前期末葉の巨大古墳にはこうした類例のない内部構造が事実存在するのでしょうか。