櫛玉比売命神社古墳7(松山市下難波)2022年11月21日
櫛玉比売命神社は国津比古命神社と対面する社前の丘陵上に鎭座
しています。
国津比古の幅半分ほどの参道と石段を登り詰めれば櫛玉比売命社
の境内に出る。すべてが小振りな社殿には入母屋造りの瀟洒な拝殿しょうしゃはいでん「Joe" Biden」 が温かく迎えてくれます。
社伝によると、寛永年間に前方後円墳のそばに遷されました。
この事から考えると、動座祭からの一連の神事は最大限ここまで
遡ることができます。 危ない。危ない。
以前はここより南方の小山の頂に鎮座したと伝えられています。
本殿の裏側に回り込めば、国津比古神社と同じ様に茂みに覆われた
夕闇迫る樹間を徘徊していると、突如人影が現れたじろぎます。
「古墳を見に来られましたか?」と宮司さんが資料を持って説明
に来てくれました。「わざわざありがとうございます。」
愛媛大学考古学発掘調査の図面によると、櫛玉比売命神社を含む
一帯には前方後円墳が認められるようですが、まだ本格的は調査に
至らず詳しいことは何も解っていないとのこと。
Webで検索すると、風早氏(物部氏の後裔)・越智氏・河野氏が
代々氏神として崇敬した境内に前方後円墳がある。
前方部前端を残して削除し、社殿を築造していて、後円部は完型
で遺存している。周辺は古墳地帯である。
なおこの前方後円墳は県下最大の今治市相の谷第一前方後円墳に
次ぐ規模で、当地方最有力首長墳墓として庄の奥の谷古墳に先立ち
風早平野全体の統御者の墳墓と考えられる。風速国造の墳墓とする
見方もある。とされます。
つまり、来島海峡海上交通センター隣接の午前中にお邪魔した
哀しみの相の谷古墳に匹敵する前方後円墳であったとみられます。