戦前から戦後に掛けての、ピンポイントのテーマの読書が続いたので、この辺で知識と時間軸の整理を兼ねて、何か通史を読もうと考えた。
そこで選んだのが「太平洋戦争(上・下)」(児島襄著 中公文庫)である。
著者の児島襄は既に故人であるが、豊富な史料を駆使して、公平な視点から史実を抉り出す手法は現在でも評価が高い。
本書は「東京裁判(上・下)」と並ぶ著者の代表作であり、毎日出版文化賞を受賞している。
「まえがき」で著者が宣言しているように、本書は次の点で従来の戦史と一線を画している。
①旧軍人の立場に囚われないこと
②日本側・連合国側双方の視点を並行的に記載する
③単なる回想や懺悔の書にしない
特に同一の出来事に対して、日米双方の史料を併記する手法は、50年前に書かれた本書ではあるが、今でも新鮮である。
さて本書は昭和16年秋、開戦直前の陸軍参謀本部の場面から始まる。それから真珠湾攻撃、マレー沖海戦、フィリピン・香港・シンガポール侵攻、蘭印・バターン半島攻略戦までの日本の攻勢を描いて行く。
しかし日本の攻勢はここまでで、昭和17年6月のミッドウェー海戦大敗をターニングポイントとして、一気に破滅への坂道を転がり落ちて行く。
その後はガダルカナル、山本五十六の死、アッツ島玉砕、マキン・タラワ玉砕、インパール作戦失敗、サイパン島玉砕、比島沖海戦、硫黄島玉砕、戦艦大和の最期と沖縄上陸戦、そして敗戦までの日本の苦闘を描いている。
日本が優勢を保つのは全期間の始めの二割強に過ぎない。ミッドウェー以降は押されっ放しである。玉砕・撤退・敗退の繰り返しは、読んでいて辛くなる。こうやって戦争全体を俯瞰すると、「日本のいちばん長い日」で軍部が叫ぶ本土決戦など狂人の戯言に過ぎないことがよく分かる。
通読して、日本の指導者が「現代の戦争の本質=総力戦」の意味を全く理解していなかったことに、痛恨の思いを新たにした。
日本は第一次大戦の教訓を学ぶことがなかったと言われる。しかし戦国時代も、長州征伐も、西南の役も皆総力戦である。いや、日露戦争だって戦争継続を保証する外債発行をはじめ、先人達の方が余程総力戦の意味を理解していたと思われる。
また本書を読むと、戦略プランの誤算は日米双方で同じように発生している。しかしAと言う作戦が失敗した時に、リカバリーのためにBと言う作戦を用意していたのが米国、何も無かったのが日本であり、勝敗の差を分けたのは、Bプランの有無ではないかと思える。
他にもいろいろ感じたことがあるが、この先は「失敗の本質」を読み返しながら深堀りして行きたい。
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