伝奇冒険小説 「青い薔薇の血族 第一日 2.青い薔薇(3)」 | 隅の老人の部屋

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「花の青色はデルフィニジンという色素によって生み出されます。青い花をつける植物は、このデルフィニジンを作り出す酵素を持っているのです」嶋村は説明を始めた。「薔薇の遺伝子に、この酵素の遺伝子を組み込むことができれば、その薔薇にはデルフィニジンが生成され青い花がつくようになります」

 言葉にすれば簡単に聞こえるが実現させるのは並大抵ではない。作業は青い花の植物として代表的なツユクサからデルフィニジン生成酵素の遺伝子を取り出すことから始まった。

「花の色を決定する遺伝子を単体で分離することは難しく、成功例は多くありません。デルフィニジン生成酵素の遺伝子分離が成し遂げられるまで、長期間にわたる試行錯誤の実験が繰り返されました」メモを取る真紀の様子を見て適度に間合いを置きながら、嶋村は説明を続ける。
「遺伝子分離作業と平行して、ツユクサの生育シミュレーション・テストも進められました。どのような環境において青い花がもっとも鮮やかな色彩が得るかを知るための調査です」

 例えば紫陽花(あじさい)は、土壌の酸性アルカリ性によって花の色を激変させる。青い花の植物も、紫陽花ほど顕著ではないが、やはり環境の影響を被ってしまう。生育の条件次第で花の色合いが微妙に変化するのだ。

 真黒社長の青い薔薇は、誰が見ても意見の分かれない真っ青な色調でなければならない。世界最初の青い薔薇が、紫だ、いや空色だなどと議論の的になっては、せっかくの栄光が台無しになってしまう。

 やがて努力の報われる日が来た。研究スタッフは、酵素の遺伝子分離に世界で初めて成功した。同様の研究を進めている企業は無数にある。真黒社長の執念に勝利の女神が屈したのかもしれない。
 こうして花に青色を与える遺伝子がマクロ・バイオ・カンパニーのものとなった。この世に青い薔薇を生み出す種といえる存在。種は畑に播かれなければならない。薔薇のDNAという畑に。

 そして、ついにデルフィニジン生成酵素の遺伝子が組み込まれた薔薇が誕生した。結果は良好で、発芽した苗には酵素が確認された。この苗が順調に成長すれば、理論的には間違いなく青い薔薇が咲く。

 真黒社長が青い薔薇誕生の報を全世界に向け発信したのは、この段階でのことだ。社内の幹部には慎重派もいたと聞く。
 青い薔薇が一大センセーションを巻き起こすことは間違いない。それだけに先走って発表して失敗すれば、企業イメージにとっては取り返しのつかないマイナスとなってしまう。

 実際に青い薔薇の花が確認できるまで公表を控えたほうが良いという主張は少なくなかった。だが、真黒社長は周囲の提言を退けた。
 すでに咲いた花を発表するより、咲く瞬間を世間に公開したほうが明らかに話題性が高い。自らの悲願成就の瞬間だ。最も劇的な方法が望ましい。衛星中継で世界中に見せつけることだってできる。

 真黒社長の決意は固かった。そして、一度決断した真黒社長の意思を変えることは、歴史の教科書を書き換えるよりも難しいのである。
 社長好みの派手な記者会見が行われ、誰も見ぬ青い薔薇は世界の注目を浴びることとなった。

「コンピューター・シミュレーションにより、ほぼ確実な成功が確認されています」
 真紀は、嶋村の口調に翳(かげ)りを感じた。もし青い薔薇が咲かなかったら、真黒社長も会社も世界中に大恥をさらすことになる。

 マクロ・バイオ・カンパニーの株価は、青い薔薇の発表以来高騰を続けていた。衛星中継で失敗を全世界に見せつけることになれば、株価の大暴落は間違いない。
 二回目の実験で青い薔薇を咲かせたとしても汚点は拭いきれないだろう。いや、下手すればマクロ・バイオ・カンパニーは倒産し、次の機会は与えられないかもしれないのだ。
 栄光か破滅か。嶋村だけではない。従業員全員が我が身を押し潰そうとするプレッシャーと戦い続けているのだろう。

「それでは所内をご案内しましょう」
 資料に関する真紀の質問も一通り終わって、嶋村は促すように立ち上がった。

「あの、写真は」
 吉岡がおずおずと伺いを立てた。普段は物怖じしない性格の吉岡だが、さすがにここの警戒厳重振りには気後れを感じていた。

「かまいませんよ。今日お見せする場所は」
 嶋村が含みありげに答えた。さすがはマスコミ受けを大いに気にする真黒社長だ。取材用の実験室や研究室をあつらえているらしい。

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