「ビーバーちゃん」にはビーバーちゃんと兄が犬の引き取り手を探すというエピソードもあって、
ようやく良い人が見つかったと思ったらニカワの製造業者で原材料が動物の皮や骨と知り、
あわてて取り返すという展開でした。
結末は覚えていませんがこちらも最後には良い引き取り先が見つかったのだろうと思います。
だいぶ話がそれましたが、とにかく当時のホームコメディはアメリカの日常生活の明るい面を描いていて
おしゃれな家電に囲まれた生活の様子が終戦後の日本人を魅了しました。
特に衝撃を受けたのがアメリカの明るいキッチンだったと思います。
当時の日本家屋において台所は家の裏手の土間のようなところに設けられ、
冷暖房どころか照明さえ不十分な場合が多くありました。
台所に出入りして食材の注文を取ったり配達をする御用聞きは玄関の利用を許されず、
裏口にあたる勝手口から出入りしなければなりません。
はっきりした記憶はないのですが幼少期にあった改装前の祖父母の家がこのような作りだったと思います。
この旧式な日本の暗い台所に対し、快適な環境作りを目指して新しいキッチンを開発していく過程は、
2夜にわたって放送されたドラマ「キッチン革命」(2023)で詳しく描かれているので紹介してみます。
第1夜は食事療法を普及させるため料理を数値化してレシピを作り上げる医師にして栄養学者の香美綾子(かがみあやこ)(葵わかな、壮年期は薬師丸ひろ子)が主人公で
Wikiによると香川綾という方がモデルだそうです。
ドラマは綾子の子供時代明治42年から始まり「当時の日本では当たり前だった暗くて寒い土間の台所」というナレーションが使われています。
綾子は子供のころから物事を数値化するのが大好きな理数系女子で、
医者となって男性社会だった医学界の差別に悩まされながらも治療や研究に励みます。
当時は治療法のなかった脚気(かっけ)に対して、のちに結婚する同僚・昇一(林遣都)のアドバイスにより
胚芽米の食事療法で改善することを思いつきます。
ところが胚芽米がうまく炊けず患者から「まずい」と拒否されてしまい、
綾子は試行錯誤を繰り返しながらおいしく炊く方法を得意の数値化で追及します。
これに成功した綾子は当時目分量だった料理の数値化を料亭の料理人たちに協力をあおいで取り組んでいきます。
実在の香川綾は後年になって料理に使われる食材の量によって栄養価を点数付けしたようですが、
ドラマではそこまで描いていないので後半はグルメ物のおもむきが強くなっているように感じました。
第2夜のラストでヒロインのマホが使っているハンバーグのレシピがこれにあたるのだろうと思います。
第2夜はダイニングキッチンを実現する一級建築士・浜崎マホ(伊藤沙莉)が主人公で、
モデルは日本初の女性一級建築士・浜口ミホ、
快適な台所環境の実現を目指してマホとともに努力を重ねる本郷義彦(成田凌)のモデルはダイニングキッチン名付けの親となった建築家・本城和彦という方だそうです。
ステンレス製のシステムキッチン製作に取り組んだサンウェーブはサンシャインウェイという名称で登場します。
1955年、都市部の住宅事情を改善するため、近代的な団地の量産を目的とする日本住宅公団が設立され、
建築家のマホがプロジェクトに参加することになります。
建築業界も男性社会なのですが似たような内容を後編で繰り返すことを避けるためか
マホは帰国子女という設定で性差別などものともしない痛快なキャラクターとして描かれています。
勝手口など存在しない団地であっても当初案では台所など北側の片隅でいいというものでした。
明るい近代的なキッチン製作を目指すマホはこれの案をくつがえすことに成功しますが、
予算とダイニングキッチンが四畳半という狭さの制限は残ります。
スタッフはマホを中心に四畳半で家族が食事するシミュレーションを繰り返し省スペース化を果たしていきます。
キッチン自体も調理台が中央で両脇に流しとガス台という従来型に対し、
作業効率を追求して流しを中央に置くものとします。
ちなみに本作中では旧来の流し台を陣取りの流し台と呼称していますが、
それが当時普通に使われていたものかどうかは確認できませんでした。
最大の難関はステンレス製のキッチン実現でした。
当時の日本にはステンレス加工を行う業者がなく、話を持ち掛けても断られてばかりです。
そんな中でまだ町工場レベルだったサンシャインウェイが名乗りを上げました。
最初は乗り気でなかった工場長(寺島進)も妻に台所仕事が楽しくなるキッチンをとの言葉に共感して積極的になっていきます。
しかしステンレスを溶接していては量産が不可能で、大型プレス機の導入が不可欠でした。
およそ2千万円のプレス機は町工場で導入できるものではなく公団側で予算を確保する必要があります。
予算申請はなかなか認められませんでしたが
最後にはアメリカで見た高層アパートの住宅環境を日本でも実現したいと考える公団副総裁(北村一輝)の助力を得ることができました。
こうしてついにステンレス製キッチンの1号機が完成します。
ところが従来の配列を変えた新式キッチンに対して
伝統的な配置でないと不慣れな女性には不便であると反対する意見が上がってしまいます。
その声の主は家庭学の権威として知られる香美女子栄養大学の教授・竹内安子でした。
マホは新型キッチンを大学に持ち込んで従来型との比較実証実験を行うことにします。
実験には香美女子栄養大学の創立者にして理事長の香美綾子も参加しました。
結果は同タイムとなり竹内教授は同じ調理時間ならば慣れた従来方のほうが良いと主張します。
しかし数値化大好きな香美理事長は同時に調理中の移動歩数も測定していました。
その結果、新式キッチンではたった2歩の移動で調理を終えていて、
多くの移動が必要となる旧式の配置より、新しいキッチンははるかに快適な環境を提供できることが証明されます。
こうしてダイニングキッチンを含めた公団2DKと呼ばれる住居が大量に提供され戦後の生活に革命を起こしていきました。
まあ移動歩数が大幅に違うのに同じ調理時間がかかるとしたら、それはそれで何か問題点がありそうに思えますが、
最後の逆転劇のための演出ということなのでしょう。
当時の2千万円が現在のいくらくらいかははっきりしませんが、ネットで調べたら昭和33年の大卒初任給が約1万3,500円という数字が見つかったのでおよそ今の5億円くらいにあたるのではないかと思います。
テレビで見て国民があこがれた生活に一歩近づいてく過程が描かれていて興味深く見た作品でした。
余談ですが自宅のキッチンを見たら調理台を中心に置いた旧式の配置だったのでショックを受けたりしました。