古陶磁鑑定美術館では、戦国時代の慶長時代に使われた茶道具(桃山茶陶)の天下一を決める特別展を開催中です!古備前・古唐津・古美濃(古織部、黄瀬戸、古志野)、京焼(楽焼)の歴史的真実が明らかになる特別展をどうぞお楽しみください!
みなさん、こんにちは。
古陶磁鑑定美術館です。
2023年5月より当館では、特別展【 黒田官兵衛(如水)の野望 】をオンラインにて開催します。
特別展とは「一つのテーマに注目して、一つの器の謎に迫る」。
そんな革新的な展覧会です。
今回のテーマは、天下人豊臣秀吉の名軍師として名を馳せた「黒田官兵衛(如水)」。
官兵衛の晩年期の動向から「朝鮮唐津」という茶陶の秘密を明らかにします。
「朝鮮唐津」とは、鉄釉と藁灰釉の二種類の釉薬を掛け分けた焼き物のことです。焼け肌は、白黒のコントラストが美しい景色に仕上がります。この景色は「片身代わり」と呼ばれ、特に慶長年間頃に流行した意匠性です。
黒田官兵衛(如水)は、この朝鮮唐津の技法を使って、一体何をしようとしたのか?
古高取焼最古の窯永満寺宅間窯の真相を、あなたの眼で確かめてください。
今、歴史が動きます!
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時は、慶長年間。
400年以上も前の出来事である。
豊臣秀吉が波乱の人生に幕を閉じ、徳川家康が江戸幕府を開いた、そんな激動の時代。
傾奇者が街に溢れた世の中で、一世を風靡したある「流行品」があった。
「桃山茶陶」
茶会で使う焼き物(茶道具)である。
当時の茶道具といえば、たった一つでさえ国が買えてしまう程、価値があった時代だ。
戦の報酬に領土でなく、手のひらに乗ってしまうような、小さな茶道具を求めた戦国武将がいた程である。
そして、そんな桃山茶陶で天下取りの野望を夢見た「ある大物大名」がいたことを、世の中は忘れてしまっている。その真実を、この本編を読んだ誰もが目の当たりにすることだろう。
「黒田官兵衛」
言わずと知れた豊臣秀吉の軍師、黒田孝高(以下官兵衛または如水)のことである。
黒田官兵衛の功績は、天下人の軍師として名を馳せたことなど、主に武功を中心に語られることが多いが、実は彼の本当の実績はそれだけに留まらない。
当館が今、黒田官兵衛の本当の歴史を、逸話でなく器(伝来品)で証明しよう。
彼の真実の姿を、とくとご覧あれ。
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続きは、【ホームページ⇒特別展⇒黒田官兵衛の野望】にてご覧ください!
古陶磁鑑定美術館です。
ただいま当館では、【特別展 黒田官兵衛の野望 -朝鮮唐津の謎を解明-】を開催中です。
安土・桃山時代は戦国時代でもありましたが、同時に「焼き物戦争」とも呼ばれる程、焼き物の開発に余念がありませんでした。
代表的なものとして、唐津焼・萩焼・美濃焼・薩摩焼・伊万里焼などがありますが、その中でかの名軍師『黒田官兵衛』が手掛けた焼物が存在していたことを、世の中は忘れてしまっています。
その焼き物の名前は、【朝鮮唐津】と呼ばれています。
黒田藩の藩窯である永満寺宅間窯と古高取焼と朝鮮唐津の関係性とは?
今、その真実を古陶磁鑑定美術館が明らかにします!詳しくは、ホームページをご覧ください!
古陶磁鑑定美術館です。
ただいま、ホームページにて【特別展① 黒田官兵衛の野望】を公開中です。
今回のテーマは、黒田官兵衛が手掛けた幻の焼き物「朝鮮唐津の真実」について徹底調査を行いました。
黒田官兵衛といえば、天下人豊臣秀吉の軍師として名を馳せた大名武将です。
彼には、一体どんな野望が秘められていたのでしょうか?
今、黒田如水として世の中に残した『名品』の正体が明らかになります!
歴史上の逸話でなく、実際に現存する「器(伝世品)」で証明します!
詳細は、HP→特別展にてご覧ください。(画像クリックで記事ページへと移動できます)
ぜひ、日本の新しい歴史の証人となってください!
こんばんは、古陶磁鑑定美術館です。
古陶磁鑑定美術館では、古備前焼や古陶磁器の歴史や年代鑑定を行っています。
現在では、考古学や発掘調査による研究が進み、歴史にまつわる多くの新事実が解明されつつあります。
織田信長や豊臣秀吉が活躍した、安土・桃山時代に流行した「茶道具=桃山茶陶」についても同様です。
今回のコラム記事(note)では、豊臣秀吉によって1585年に滅ぼされた根来寺から出土した「備前焼徳利」から、当時の古備前の焼け肌や土味について考察しています。
ぜひ、記事を参考に、本物の安土・桃山時代の古備前焼を掘り出してみましょう!
古陶磁鑑定美術館では、古陶磁にまつわる噂や歴史の真実を解明中です!今後ともご期待ください!
こんにちわ、古陶磁鑑定の古陶磁鑑定美術館です。
今回の記事では、古陶磁鑑定美術館の最新の研究成果「古高取焼」に関するコラムを紹介します。 「古高取焼」とは、1600年頃に福岡県直方市付近で作られ始めた焼き物です。
福岡藩主黒田長政が朝鮮出兵の際に連れ帰ってきた陶工八山(高取八山・八蔵)に命じて築かせた窯で、ここで古田織部好みの茶道具が作られました。 この古高取焼は、1600年頃から1630年頃までの作品を指しますが、未だに謎の多い幻の焼き物といわれています。
古陶磁鑑定美術館が、この度、古高取焼の真相に迫り、伝説級の名品発掘に挑戦しました! noteの記事で一部始終を公開していますので、どうぞお楽しみください! 【第一話:古高取焼とは?古高取焼の最新の研究成果は?】 【第二話:古高取焼発祥の窯、幻の永満寺宅間窯とは?】 【第三話:古高取焼の名品茶陶を歴史的発見!?国宝級の名品を掘り出せ!】 古高取焼は、これまでの研究では、永満寺宅間窯の跡の内ヶ磯窯以降しか本格的に茶道具を作っていないとされてきました。 しかし、当時の時代背景や実際の出土品や伝来品を見てみると、永満寺宅間窯の時代から、本格的な茶陶が作られていた可能性が高いと考えられるのです。
そこで、古陶磁鑑定美術館が、その真相に迫りました! 約一年間の取材期間を経て、ついに古高取焼の正体を解明! その研究成果を、速報的コラム記事にて紹介します! 史上初の歴史的新発見が、目の前で起こります!
古美術ファン、骨董ファン、コレクター、蒐集家、数寄者の方々は、必見の内容でしょう! また、古備前焼の鑑定のコツを紹介した「古備前焼の年代鑑定」も好評発売中です。 これからも古陶磁鑑定美術館をどうぞよろしくお願いいたします。
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今後とも、ぜひ宜しくお願い致します。
近年は、最低限しか物を持たない『ミニマルな暮らし』が流行しています。
「終活」「ミニマリスト」「断捨離」など、言葉は多種多様ですが、どれも身の回りに無駄なものを持たないライフスタイルと言う点で共通しています。
そんなエコライフと古美術品(骨董品)とは、一見すると何も関係が無いように思われますが、実は、古美術、骨董品は、究極の「エコ」であることをご存知でしょうか?
そもそも、古美術品を使うということは、今ある物を再利用することです。なので、新しく物を生み出す必要がありません。
新しく取り入れたことで、何かを捨てる必要もありません。
その物が壊れない限りは、同じものを何度も繰り返して使うことができるのです。
そのため、古美術を暮らしに取り入れることで、循環型のライフサイクルが営めるようになります。
無駄なものを持たないシンプルな暮らしと聞くと、「節約」や「節制」のイメージを持つ方もいるかと思います。
しかし、古美術(骨董)品をエコな暮らしに取り入れれば、むしろ「品格のある」雅な暮らしが営めるようになるのです。
なぜなら、古美術品は言わば、悠久の歴史の中で「未来まで引き継ぐことを許された」品物だからです。
もし残す価値のない品物であれば、とっくの昔に廃棄されてゴミとなってしまっています。時の審判をくぐり抜けて現代まで残されてきた「逸品」には、それなりの「美」が兼ね備えられているのです。
例えば、古備前焼(古陶磁)のケースでは、落語の噺でも有名な「江戸時代の備前徳利」を酒器や調味料入れとして使ったり、一輪挿しや花入として使ったり、また割れた陶片や破片を、「お皿」として使ったりできるのです。
すると、これまでの晩御飯や晩酌の景色が、一変することでしょう。
安土桃山時代や江戸時代に使われていた品物を通じて、「歴史や時代観」や「当時の文化的背景」を感じられるからです。
信長が、光秀が、秀吉が、家康が、生きた時代の物を実際に使って、当時に思いを馳せる。
これぞ、数寄者の「粋なエコライフ」ですね。
古備前焼は、太古の昔から日本の大地を焼き締めて、作り上げた焼き物です。土と火しか使っていないからこそ、使い終わった時は、また土に還っていくのです。
そんな究極のエコライフを、古備前焼と愉しみませんか?
まずは一点、気に入った古備前焼を手に入れてみましょう!
こんにちは、古備前研究・鑑定の古陶磁鑑定美術館です。
古陶磁鑑定美術館では、古備前焼を中心とした日本の古陶磁器の研究・調査・鑑定・評価・蒐集・保存・継承の事業を行っています。
みなさんは、『古美術品』という言葉を聞いた時に、どんなことをイメージしますか?
古い壺や掛け軸や茶道具などを大金で取引しているような風景を想像される方もいるでしょうし、美術館や博物館に陳列されている優雅な屏風や襖などをイメージされる方もいるでしょう。
それらの古美術品に共通することが、作品の『時代背景』です。
もちろん、作品によって、作られた時代や産地や用途が異なりますので、それぞれの時代背景は別々なものですが、どんなものであっても、『作られた当時』の景色を面影として残しているという点では、古美術品は同じと言えます。
そして、この「時代背景を愉しむ」ことこそ、古美術品の醍醐味であり、数寄の真髄なのです。
なぜなら、古美術品を通して「悠久の時間を超えて歴史の当時に思いを馳せられる」ことこそが、数寄者の最大の面白みであり、悦びだからです。
とは言え、それを言葉で説明してもイメージが湧きにくいかと思います。
そのため、このコラムシリーズにて、古美術品が「現役」で使われていた時代の風景を紹介して参ります。
具体的には、主に「戦国時代(安土・桃山時代~江戸時代)」にかけての、茶の湯や茶会の記録や、大名や武将の逸話をベースに、当時の古陶磁や古備前焼についてのエピソードを解説します。
古美術品や骨董品に興味がある方は、ぜひこのコラムで、歴史の面影を感じてみましょう。
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今回ピックアップする逸話は、「明智光秀と備前焼」です。
【コラム①:「豊臣秀吉と備前焼」を読んでいない方はこちら】
【コラム②:「千利休と備前焼」を読んでいない方はこちら】
明智光秀と言えば、本能寺の変で織田信長を討ち、信長の天下統一の野望を打ち砕いた戦国武将です。
明智光秀は、従来までは裏切り者のイメージが強く、どちらかと言えば嫌われ役に回りやすかった人物ですが、大河ドラマ「麒麟がくる」にて取り上げられたことで、その評価が見直され、近年人気が高まっています。
そんな明智光秀も、茶の湯と備前焼を愛した武将の一人でした。
明智光秀の茶会の様子は、当時の茶会記に記録が残っているため、どんな茶道具を使って茶を点てていたのかを知ることができます。
今回は、その中から、光秀が使った「備前焼」をピックアップしてみましたので、当時の光秀と備前焼との関係性を考察してみましょう。
■ 明智光秀が茶会で使用した備前焼一覧(茶会記より)■
【建水】 (場所)
1579年 8月 坂本 備前水下
1580年 1月 備前水下
1581年 1月 備前水下
【花入】
1580年12月 京都 床ニ備前物之つちの花入
茶会記の記録では、光秀は、1579年から1581年までの3年間で4回、備前焼を茶会で使っています。
内訳は、建水が3回で、花入が1回です。
1579年と言えば、かの有名な丹波攻めが終わった年です。
丹波・丹後の地を平定し、信長の右腕として大きな領土を与えられた時期のことです。
また、1581年には、京都御馬揃えの責任者に任命されるなど、まさに光秀のキャリアのピークです。
そんな光秀が、翌年に信長を裏切って本能寺の変を起こすことになろうとは・・・。一体、当時何が起こっていたのでしょうか?
安土桃山時代の茶会は、茶の湯の趣味という色合い以外にも、武将同士が打ち合わせをしたり、同盟を組んだりと、さまざまな軍略が行われた機会でもありました。
そんな茶会で使われた、光秀所有の「備前焼」は、その一部始終をまじまじと見ていたことでしょう。
そして、その備前焼が、現在までどこかに伝来しているかもしれません・・・。
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このような「時代背景」を知っていると、当時の大名や武将を身近に感じたり、歴史の遺物(伝来品)に愛着を感じたりできるようになります。
そんな、安土・桃山時代の備前焼を通じて、明智光秀が生きた戦国時代に思いを馳せて見ませんか?
古陶磁鑑定美術館のホームページでは、書籍「古備前焼の年代鑑定」の出版記念展覧会として、明智光秀が生きた安土・桃山時代から江戸時代にかけての古備前焼の名品を、オンラインで特別に公開中です。
戦国時代の茶人や大名は、一体どんな備前焼茶道具を使って、茶の湯を行っていたのか?
その答えを、実際の「伝来品」を通じてみることができます。
ぜひ、ホームページをご覧ください。また、書籍「古備前焼の年代鑑定」を宜しくお願い致します。
引用記事:サザビーズ贋作詐欺事件:
【 米オークションハウス、詐欺の疑いでベテラン美術商夫婦を提訴 7億円以上を返還要求か(リアルサウンド) - Yahoo!ニュース 】
あの世界的オークションハウス・サザビーズで、7億円以上もの贋作詐欺事件が勃発しています。
記事によると、サザビーズのオークションに出品された作品が、なんと『贋作』だったことが判明したそうです。
しかも、贋作の判明の仕方が、『購入した顧客が疑った』ことにより発覚したとのこと。
つまり、サザビーズは、この贋作に気付きもせずに、堂々と7億円以上もの高額で顧客に売りつけていたことになります。
これでは、信頼は底まで落ちてしまうでしょう。
鑑定すらしていなかったのか、鑑定をしたけど見落としたのか、鑑定の仕方を知らなかったのか、原因はどこにあるかは分かりませんが、プロとしてはかなり初歩的な凡ミスと言えるレベルの失態です。
これが世界的に著名なオークションハウスの実態なのですから、購入者は、いかに販売側の発言を簡単に信頼してはいけないかが、分かった一件かと思います。
私たちが、鑑定の専門機関として公正公平な評価を行っているのは、まさに、このような悪事やトラブルを防ぐためです。
もしかすると、このような贋作事件が、組織的に行われるケースもあるからです。近年だけでも、多くの贋作事件が起こっていますし、日本でも起きています。
そのため、古美術品の購入時や管理時には、きちんとした鑑定評価を経て、管理するようにしましょう。
現在の世の中は、余りにも贋作が多く出回りすぎています。この現状は、何とかしなくてはなりません。