(再録)江藤 淳「海舟余波(わが読史余滴)」(文藝春秋・1200円) | 野球少年のひとりごと

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(再録・2022.2.9既出)

昨日、午後から3時間ばかりかけて全集本専用の棚を整理したときに、少し無理な姿勢で作業したためか体の節々に身が入っている。それと先日から右手の親指がバネ指のような状態になることがあり、これはバーベルを使ってのウェイトトレーニングが影響しているのか、あるいはパソコンでの長時間にわたるキーボードの操作で生じたものか不明である。以前(当地への引越しに際し)1万冊ほどの蔵書の整理とそれをパッキンに入れて新居に運び込むときに、今回同様に指や肘を痛めたことがある。肘に関しては少し曲げても痛みが出るような始末で、通勤時のバッグなども逆の左手で持つようにしたものだが、半年くらいして痛みは消えた。バットの素振りが原因で肘を痛めたこともある。とにかくこのようなことを過剰に行ってしまう、わたしの性格も原因しているかもしれない。年相応という言葉があるが、今後は年齢のことも頭に入れてやる必要がある。

 

本の話である。今日アマゾンから届いたのは、江藤 淳「海舟余波(わが読史余滴)」(文藝春秋・1200円)で、先日に紹介の、「南洲残影」(文藝春秋・1524円+税)と併せ読もうと考えてのことである。江藤が、幕末のふたりの主人公である勝海舟と西郷隆盛をどのように捉えているのか興味がある。読了後にあらためて。もう1冊が、山本周五郎「四月のあやめ」(新潮文庫・320円)で、昨日来の全集本整理の目的のひとつが、棚のどこかに潜む「山本周五郎全集」全30巻(新潮社)を探すことにあったのも、本書に誘われてである。大変久し振りに山本周五郎を読みたくなっている。わたしなどの若い時代(50年以上前)同世代の女性で山本周五郎の作品を好む人が多く、何を読んでいるのかを聞くと圧倒的に山本周五郎の名前が上げられた。まだ「女性語」が残っていた時代の話である。格別郷愁にかられているわけではないが、ときに時代小説もいいなと思ったときに山本周五郎を思い出したわけである。

 

江藤 淳「海舟余波(わが読史余滴)」 江藤淳が惚れ込んだ「生得の政治的人間」が思い描いた国家像とは?
鳥羽・伏見の戦で「朝敵」の汚名をこうむったことで、天朝への恭順の意を固めた徳川最後の将軍・慶喜の代ににわかに幕府の全権を担い、誰一人理解者のいないまま江戸城無血開城、幕府消滅まで戦意を秘めつつ「鎮静」を貫き、見事火消し役を務めた勝海舟。新政府での立身を福沢諭吉に批判されながらも国家安寧を支え続けた、維新の陰の立役者の真の姿を描き出した渾身の力作評論。

 

   

 

山本周五郎「四月のあやめ」 武家の法度である喧嘩の助太刀のたのみを、夫にとりつがなかった妻の行為をめぐって、夫婦の絆とは何かを問いかける『四月のあやめ』。娼婦仲間との戯れに始まった恋であるが故に、一子をなしながらも、男のもとから立ち去ろうとする女を描いて周五郎文学ならではの余韻を残す『契りきぬ』。ほかに『ゆだん大敵』『貧窮問答』『初夜』『古今集巻之五』『燕』『榎物語』など珠玉作全9編を収める。

 

   

 

 

写真は、東山丘陵運動公園の遊歩道で撮影する。