(再録)関大野球部、4シーズンぶり37回目の優勝! | 野球少年のひとりごと

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(再録・2019.10.23既出)

朝からパソコンを開くと、友人からの母校野球部の優勝を祝うメールが入っている。優勝をすることはとてもいいことである。今回が37回目の優勝であるが、そのうちの15回は学生時代に野球部のゲームを観戦しはじめてからのことである。大学3回生のときに、牧さん(東、日本生命)、久保田くん(安来、熊谷組)らの強力投手陣で優勝したのを皮切りに、卒業直後に山口高志くん(市神港、阪急ブレーブス)が入部してきて、彼の在学中の8シーズンに7回優勝し、4回生のときには大学野球では初めての快挙である、春の大学選手権、秋の神宮大会を制覇するいわゆるグランドスラムを成し遂げた。

 

その後、学園紛争でスポーツ推薦がなくなりすべての運動部が弱体化したが、1991年春に決定戦で近大を破り、19年ぶりの優勝。この年にスポーツ推薦が復活したが、その1回生の力を借りずに一般試験で入部してきたメンバーだけでの優勝である。優勝決定戦は、当時の西宮球場で行われたが内野席がほぼ満員になるほどで、観客の多さではわたしの50年に及ぶ観戦歴ではいちばんであった。久しぶりの優勝が決まった瞬間に、観客席の野球部の若いOB連中が涙ぐんでいたのを思い出す。池添くん(関大一)、高木くん(高岡南、日本生命)の投手二枚看板の活躍で、大学選手権も決勝まで進出した。決勝戦は、金本(広島、阪神)や斎藤(横浜、MLB)の東北福祉大と延長17回を戦い、4-2で敗れた。そのときの監督はわたしより1年上の木村さん(今宮)で、達磨監督が作った黄金時代の後の、スポーツ推薦もなくなりいちばん苦しい時代を引き受けて、19年の長きにわたり黙々と選手を指導しつづけることになる。

 

次の優勝はそれから4年後の1995年で、豊島監督(関大一)のもと、エース岡本くん(三田学園、近鉄バッファローズ)を擁して、打線も浦口くん(東洋大姫路、大阪ガス)、溝下くん(上宮、大阪ガス)、杉原くん(天理)、山口くん(西日本短大附)、筒井くん(明徳義塾、四国銀行)とスポーツ推薦組が力を発揮しての優勝であった。余談ながら、夏の大会で星陵の松井選手5敬遠で物議をかもした明徳義塾の当時のキャプテンである筒井くんとは、母校に進学したわが家の長男とクラスメイトとなる。

 

この後しばらく優勝に見放されるが、2014年に早瀬監督(作陽、日本生命)が就任すると秋に39季ぶりの優勝を果たし、その後も2016年秋、2017年秋と優勝をし、この秋の優勝で12シーズンで4回の優勝を成し遂げることになる。早瀬監督とともに忘れてならないのは山口ピッチングコーチ(市神港、阪急ブレーブス)の投手育成で、陸続とといってよいほど好投手が育ちはじめ、投手陣については安心して見ていられるところがある。それに加え、今シーズンはおそらく打撃担当小田コーチ(関大一、大和銀行)の指導が実ったと思うが、打線が見違えるほどよくなっている。夏のオープン戦から感じていたのであるが、今季の優勝はわたしにとっては予想通りである。後は、関西地区大学野球選手権に勝って神宮出場を果たし、そこでも大活躍して欲しい。

 

 

「洋画家 仲村一男」のホームページ
 http://www.nakamura-kazuo.jp