(再録)父の肖像 | 野球少年のひとりごと

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また、父・洋画家「仲村一男」の作品を毎日紹介しています。

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(再録・2013.8.23既出)

父が19歳(1930年)のときに撮影したものです。当時、朝日新聞に勤めながら画家になるべく夜は大阪信濃橋洋画研究所(戦前、関西では随一の洋画研究所)に通い、小出楢重らの指導を受けていました。洗礼を受けたり、ドストエフスキーの小説に耽溺するなど大変真面目に勉強をしていた時代です。というのも後年は悪所通い(いまでは死語になっている懐かしい言葉)を覚え、大阪最大の遊郭である松島新地に通いづめたり、ときにはその遊郭から新聞社に出勤したこともあったらしいです。給料日には、その辺りの女将連中が集金に訪ねてきたくらいの放蕩ぶりだったようです。それと、大変喧嘩が強く武勇伝が沢山残っていて、新聞社の入っている朝日ビルの正面のガラスの扉を「いくら何でもこれはよう割らんやろう?」とけしかけられて、本当に拳で割ってしまってけしかけた友人連中のほうが慌てたらしいです。ただ、そのような行状のお陰ですっかり会社の幹部には名前も覚えられて、朝日ビルの中の画廊で初めての個展をしたときは、社主の上野さん(当時、村山さんとふたりが交互に社主を務めたようで)がわざわざ訪れてお祝いの金一封をくれたらしいです。喧嘩の話は限りなく、編集部の中でいちばん暴力的だった男に向って、いきなりデスクにあった裁ちばさみを投げつけて相手の気勢を殺いでしまった話などを、父の友人などから聞かされました。家では本当にいい父親でしたが、昔のことですから思い切り頭を叩かれたことは数回にとどまりません。でも、母にだけは死ぬまで手を振り上げなかったようです。いずれにしても「明治」の男そのもの。

 

「洋画家 仲村一男」のホームページ
  http://www.nakamura-kazuo.jp