(再録)ベルナール・フランク | 野球少年のひとりごと

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本のことを中心に、関西学生野球や高校野球のことをつぶやいています。
また、父・洋画家「仲村一男」の作品を毎日紹介しています。

(再録・2006.9.27既出)

昨日の朝日新聞夕刊の文化欄に「信仰探った350枚里帰り(没後10年のB・フランクさんの『お札』展)」と題されて、ベルナール・フランクさんのことが紹介されていた。父が初めて渡欧し、パリに居を定めて(パリのアトリエのある)フランス、イタリア、スペインなどを取材旅行するわけであるが、そのパリ郊外の一軒家を世話してくれたのが、フランクさんである。当時、ソルボンヌの教授をしていて彼の奥さんである淳子さんが、父の独立美術での同僚であった富士本昇さんのご令嬢で、その関係でお世話になったようである。

(朝日新聞の記事から)私たちの周りには仏や神があふれている。経典や教義がさほど理解されているとは思えないのに、受験や出産、厄年など人生の節目に寺社を訪ね祈願するのはなぜなのだろう。そうした日本の民衆信仰の姿を追い続け、コレージュ・ド・フランスの日本学講座の初代教授やフランス学士院会員を努めたベルナール・フランクさん(1927~96)の「お札」コレクション展が、東京の町田市立博物館で開かれている(10月22日まで。入場無料。042・726・1531)。研究のために集めた全国の寺社のお札の中から、整理が終わった350枚が里帰りし、展示されている。釈迦に薬師如来、大師に天神、文殊菩薩もいれば大黒も‥‥。展示されたお札には、実に多様な神仏が刷られている。多くは墨だけの単色刷りで、素朴な図像が特徴だ。フランクさんは54年に初来日。ラフカディオ・ハーンの著作を通して、お札の存在を知っていた。到着して1週間後には、東京・上野のお寺で千手観音のお札を入手。以来、全国で2千以上の寺社を巡り、千枚以上のお札を集めた。妻の淳子さんによると、70歳になったら集めたお札の解説書をまとめるのを楽しみにしていたが、急な病に倒れた。お札はコレージュ・ド・フランスに寄託された。フランス国内の教え子が中心になって整理。國學院大や東京大によって調査が進み、展示にはその成果が反映されている。淳子さんが翻訳したフランクさんの原稿は『「お札」にみる日本仏教』(藤原書店)として出版された。研究仲間だった畠山豊・町田市博副館長(宗教民俗学)によると、サンスクリット語も漢籍も読みこなしたフランクさんは、仏教がインドから中国を経て日本の民衆へと受容される間にどのように姿を変えたか、一方でインドや中国の宗教観がどのように残っているかを、お札の図像の中から読み取ろうとした。新著によれば、単純にもみえるお札の図像に、フランクさんは「東洋の壮大な文明史が潜んでいる」と考えていた。尊像のバリエーションに魅了され、「宗教に対する日本人の柔軟性、寛容性の証しであり、またその想像力の豊かさを示している」ととらえていた。フランクさんはカトリックだったが、淳子さんによれば、お寺を訪ねるとお堂の前で欠かさず手を合わせ、賽銭箱を見つければ必ず喜捨した。お札はすべて、お金を払っていただいたものだという。「お賽銭は一カ所でいいのに‥‥と私は心の中で思っていました。いつも貧乏で、あんパンを食べながらのお寺回りでしたから。でもフランクはそれはそれは楽しそうでした。研究対象というだけではなく、信仰に近い感情を持っていたのでしょう。展覧会と本の出版は、彼のしたかった仕事の何十分の1かもしれませんが、10年でようやくたどり着きました」と淳子さん。28日午後5時からは、フランクさんをしのぶ講演会が東京・恵比寿の日仏会館(03・5421・7641)で開かれる。(渡辺延志)

フランクさんには、「日本仏教曼荼羅」(藤原書店・5040円)という素晴らしい仕事も残されている。父の口からは、日本語が堪能で「日本のお化け」の研究で有名なソルボンヌの先生としか聞かされていなかったが、近年わが国で出版されたものをみたら日本仏教研究者としても一流の人であることが知れる。新聞の記事に見るフランクさんは、父と随分に似通ったところがあって、経済的には必ずしも恵まれたとは言えないが、存分に自分のやりたいことをなし得た生涯であったろうと思う。記事にはフランクさんの顔写真も載っていて、大変穏やかないいお顔をしている。パリにおいてどのような会話が交わされたかしるよしもないが、おそらく通じ合うところが沢山あったのではなかろうか。

 

 

写真は、貝塚港で撮影する。