(再録)小川国夫「動員時代-海へ」(岩波書店・1900円+税) | 野球少年のひとりごと

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(再録・2013.8.11既出)

朝から、岸和田の西方寺さんに参ってもらう。お経は、お盆用のものといつもの一枚起請文である。一枚起請文は、法然上人が亡くなる前に弟子のひとり源智上人の要請によって書かれたもので、浄土宗の教えの要であるお念仏(称名念仏)の意味、心構え、態度について、大変簡潔に述べられている。一昨日にお墓参りを女房、弟とで済ませたがお墓の前で何も願わずただ手を合わせて「南無阿弥陀仏」を称えてきた。若いころは色々の局面で「南無阿弥陀仏」を称えながら多くの願い事をしてきたが、近年はただ念仏を称えることそのことの大事さに気づいた次第であるが、これも一枚起請文によるところが大きい。今日は、住職ではなく住職の弟さんが参ってくれる。数年前まで岸和田祭の五軒屋町の世話人をしていて祭り当日はよく顔を合わしたものである。そういえば住職自身も青年団時代は祭に参加していたし、子息(佛教大学を卒業し、いまは他の寺で修行の身)も青年団で今年は綱元責任者をするらしい。この辺岸和田独特で、だんじりに坊さんがついて走っていると「怪我なし」で歓迎されるのだ。

 

 本の話である。午後からアマゾンから到着したのが、小川国夫「動員時代-海へ」(岩波書店・1900円+税)で、先年に亡くなった小川の没後に発見された未発表の自伝的小説である。小川国夫も敬愛する作家のひとりで、小沢書店で刊行された14巻からなる全集も保有している。小川では、「冷静な熱狂」「若潮の頃」「或る過程」「冬の二人」(立原正秋との共著)、「悲しみの港」「ハシッシ・ギャング」などが印象に残っている。亡くなった年に、「虹よ消えるな」と「止島」が刊行され、それ以来なので5年ぶりに小川国夫を読むことになるが、自伝的要素の強い小説らしく(考えてみたら、彼の小説の多くが自我について書かれていてそういう意味で自伝的要素が強いともいえるが)楽しみである。読了後にあらためて

 

「動員時代-海へ」 没後5年、新たに発見された未発表の自伝的小説。 鉄のように立ち塞がる「死」を前に、少年の心は波間を漂い揺れ動く。「この作品は、未完であることによって逆に世界を拡げている(…)。小川が死を凝視しつづけた戦争末期の動員時代の青春を、これほど深い闇として描いた作品はほかにはない」(本書「解説」より)

 太平洋戦争末期、海辺の造船所で働く学徒動員の若者たち。主人公の剛二は、憧憬を抱く若い将校に誘われ、対岸までの遠泳に乗り出す。それは、クリスチャンの叔母が若くして身を投じた海だった…。/自らの動員体験を素材とし、迫りくる「死」と「現実」の間で揺れる少年の葛藤を描いた未発表の自伝的小説。

 

 -死ぬのはだれだっていやだな。一番苦しいことだからな。

 -……。

 -そう思わないのか。

 -死ぬのは苦しいことじゃないわよ。

 -苦しいことじゃない…、そうだろう、それでなにもかも終わるからな。

   死は生のない状態だ。そういうことになるじゃあないか。

 -そうじゃあないわよ。死のことはだれにもわからない。

  どうなるかわからない。苦しいことなのか、楽しいことなのかわからないわよ。

  (本書82-83頁)

 

 

作品は、「カニュ・スメール」

油彩 318×410センチ(1975)
「洋画家 仲村一男」のホームページ
  http://www.nakamura-kazuo.jp