パブリック・アクセス
もっぱらメディアと我々の関係は
新聞社やテレビ局が作ったものをほぼ一方的に受け取るという場合がほとんどだ。
しかし電波は一種の「公共財」であるため、
一方的に受け取るだけでなく、我々自身がそれを利用した発信者になる権利もまた存在する。
これがパブリック・アクセスという考え方である。
しかし、放送には素人である視聴者がテーマを立て、番組制作をするので、
その内容や構成が他人の関心を持つことができなかったことなどから、
国内では徐々に衰退していくことになり、
現状では地方のローカル局で、
その地域の生活や出来事などを取り上げた
一種の視聴者参加番組として引き継がれている。
このように、日本ではあまり受け入れらなかったパブリック・アクセスだが、
今後の発展にむけて、明るい兆しも見えてきている。
まず、You Tubeなどの動画配信サイトの普及によって
一般人でも、映像の制作・配信に触れる機会が多くなったことで、
一人ひとりの映像編集スキルが向上してきているということである。
もはやプロとアマチュアの間に、昔ほどの差は無いはずである。
さらに、2011年から始まる地上デジタル放送。
番組という限られた映像メディアだけで必要な情報を伝えることは困難だったが、
地デジ放送の技術で構成力の差を補完するような使い方ができれば
かなり完成度の高いコンテンツを制作できるようになるのではないだろうか。
パブリック・アクセスにここらでもう一度注目してみる価値は十分にある。
主観 with ジャーナリズム
古森義久さんの「ステージ風発」http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/627332/#cmt を読んでみた。
読んでみた感想でまず浮かんできたのは
「この人は中国が嫌いなんだろうな…」
ということ。
たしかに純粋に見ればこの人は産経新聞の論説委員・編集特別委員だから、
産経の紙面上においても、自身の意見としてある程度主観を述べることもアリだとは思う。
しかし、このブログでは
全文を通じて、中国人がいかに日本人を嫌っているか。
そして現地の教育がいかにそれを作り上げたか。
そして中国当局が、いかにそれを放置しているか。
が辛辣に書きあげられている。
さすがに新聞というジャーナリズム上ではここまで一方的な立場では書けないのではないだろうか。
中国側をフォローする文も、ほぼないに等しい。
でもここまで一方的に言っているからこそ、
「ああこの人はここまで言いたかったんだな」というのも伝わってきた。
新聞のような公共の場では言えないコト
使えないような文体が
このブログでは許されている。
そして、これほどまでに厳しい口調だからこそ、
新聞の文法表現で書かれたものとは違って
読む側にもそれだけの迫力が伝わってくるのだと思う。
新聞とブログはそれぞれ長所短所を補完し合いながら存在する。
読み手の方がそれを頭に入れつつ、それらを利用・構成していくべきだ。
バウリンガルはどこへ行った?
実家にいたころから、我が家の朝は「めざましテレビ」である。
いつから見始めたのかは分からないが、物心ついた頃には習慣になっていて、朝のテレビ番組の「めざましテレビ→とくダネ!」という流れはもはや不動のポジション。
成人を直前に控えた現在も、「今日の占いカウントダウン」のふたご座の順位に一喜一憂してから家を出るという朝のルーティンワークは変わらないし、クオリティがコンスタントに高いことで定評のあるお天気コーナー出身のアナウンサーを他番組で見かけるたび、そのアナがめざましテレビ時代の自分の私生活を思い出しては「あんなこともあったっけなぁ」などとノスタルジックな気持ちになるくらいである。
このように私の朝を語る上で(語ることなんてほぼないけれど…)切っても切れない関係にあるめざましテレビなのだが、1つだけ昔から好かないコーナーがあった。
そう「きょうのわんこ」である。
これは一匹の飼い犬をクローズアップし、その犬の性格や特徴、癖を紹介するコーナーであるのだが、
なぜ嫌いなのか…
とにかく胡散臭いからである。
1度見たことのある人なら分かると思うが、あのコーナーで最も多いパターンは「毎朝そのわんこに挨拶していく小学生たち」の映像だ。
確かに微笑ましい光景なのだが、ホントに毎朝その家の前で止まり、名前をみんなで呼び、出てきた犬をなでてやり…といようなことをしているのだろうか?まずないだろう。第一収録の日に、収録をしているほんの些細な時間帯にタイムリーに小学生の集団が現れて、みんなでそろって犬の名前をよぶなんていう都合のいいことはそうそうおこらないのでは?
自然に考えれば飼い主が事前に「○月○日にめざましテレビがくるから、みんなうちの犬とうつってみない」と言っているか、もしくは収録のクルーがそれこそ通りがかりの小学生を捕まえて出演交渉しているというのが妥当である。
それをあたかも日常1コマのように放送するのは「ヤラセ」であろう。
また、もう一つ多いのはコーナーの結びにナレーターが
「○○に幸せを感じる太郎(犬名)なのでした~」とか
「寂しさもへっちゃらになるポチ(犬名)でした~」といったように
あたかも犬の気持ちを代弁するかのようなコメントを残すことである。
めざましテレビには犬語(仮に言語ならね?)を解釈できるスタッフがいるのだろうか?
もしくはかつて、一大センセーションを起こした「バウリンガル」で犬の感情を読み取っているのだろうか?
第一、本来は野生のものである動物を人間世界で飼ってる時点で彼らが幸せかどうかなんてわからないはずである。
どんな些細な窃盗も罪であるように、このような小さなやらせも罪になるのではと考える私なのでした…(わんこ風)
フジテレビ系「めざましテレビ」(月~金)05:55~08:00 07:54分頃 きょうのわんこ
今回参照した回 5月19日放送 犬名:マル 5月26日放送 犬名:ニコ