街歩46 泉岳寺で出会う「人間」赤穂浪士 | 街道歩きや街めぐりなど歴史探索と社交ダンスを楽しむ日記

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街探索や歴史の街道を歩いたり、社交ダンスなど趣味を満喫しながら一度きりの人生を自然体で楽しみたいです

こんばんは

 

花粉の根性パワーで

ちょっと目がちょぼちょぼの状態へ…笑い泣き

 

みなさんはどうですか?

 

でも、やっぱり春はいいもの

 

春は空をほんのりと あざやかに

キレイに染めてくれますから

 

先日(2024年3月16日)で出会った

彩の春です

都営地下鉄新宿線の東大島駅

旧中川の川の上に駅舎があります

 

その下の河川敷は菜の花イエロー

 

で、もっと驚いたことがあって

「中川船番所」資料館の前の水路で

春のダックツアー現場に遭遇しました

でも どうやったら乗れるのか?

ナカガワヘダイブ!!

 

 迫力のザァヴァー!!びっくりびっくりびっくり

 

ブクブク進みますポーン

 

本物を見たのは初めて

なので圧倒されてしまいました

こちらはつつましく

深川の街中ストリートにあった

一本だけの桜ラブ

 

みんな足が止まるのが春です

江戸川区の船堀駅に近い

 

新川(舟入堀)の千本桜

 

江戸川区にこんなすごい花の名所があるなんて…

全く知らなかった…

江戸っぽいです

行徳から塩を江戸に結ぶための運河です

咲いたらすごい枝垂れ桜

あともう少しお待ちモードと思いきや…

千分の一が咲いてました

満開の千本桜、いきたくなりました!爆  笑

千分の二本目がこちらですおねがい

歩くのが疲れたころにある

お休み処の「新川さくら館」

その近くに美しい 

芽吹く、若々しい柳 

すいません!!前振りが長すぎました

 

さて

 

今回の本題は 高輪の泉岳寺への街歩き

 

※以下写真は2014年2月26日です

山手線の高輪ゲートウェイ駅で降ります

初めての駅…田舎暮らし身に付きすぎ…ウインク

なんだかエアポート風…

 

ちゃんと専用の授乳室(おむつ交換)があって赤ちゃん赤ちゃん赤ちゃん

駅もアップデートされててびっくり!!

全部の駅に必要かも…

 

トイレもプレミアム仕様でした

泉岳寺はこの駅から歩いてすぐです

都営地下鉄の泉岳寺駅はさらに近い

そこは…

江戸の世界

言わずと知れていた 

赤穂義士ゆかりの泉岳寺です

 

境内の案内図だと、これは中門ですね

ちょっと前までは12月になると

「忠臣」やってましたが…

今は、何それ?って人も増えているかも

 

この方、大石内助(くらのすけ)良雄さんが主役ですよ

大石内蔵助の似顔絵イラスト

ハテハテ…

「忠臣蔵」「元禄赤穂事件」とは

 

赤穂藩主、浅野内匠頭(たくみのかみ)が

江戸城の松の廊下で突然「今までの恨みだ!!」と叫びながら

指南役だった礼法・式典の専門家、吉良上野介に切りかかる

 

額に一太刀、逃げる背中にももう一太刀…

内匠頭は取り押さえられ、吉良は逃げて一命をつなぎます

 

この刃傷事件の責任を追及されて

浅野内匠頭は、詮議もなくその日のうちに庭で切腹に!

 

もちろん領地も没収で、

家臣とその家族は路頭に迷うこととなりました

赤穂藩、ジ・エンドという結末に…

 

吉良家はどうなったと言えば…

武士同士の争いは理由のいかんにかかわらず、

武士の世界では喧嘩両成敗のはず…

 

特に背中の傷は、「逃げた」証で

武士の世界では理由の如何にかかわらず

あってはならないことなんです

 

吉良上野介はなんのおかまいなし

幕府からお見舞いまで頂いた次第です

 

「そんなあほな!!」

 

主君の恨みを晴らため、赤穂藩の浪人、大石内蔵助以下四十七士が

元禄15年12月14日に本所にあった吉良邸に討ち入り、

見事に主君の仇を討ち、内匠頭の眠る泉岳寺まで行進し

墓前に首を供えたという あのお話です

今だったら、あくまで浅野が加害者で、吉良は被害者ですけど

最後は吉良は赤穂浪士の面々に首を取られることになるわけですが

気の毒といえば気の毒です

そこは武士の世の中なんですよね

 

 

 

泉岳寺の境内にはその浅野内匠頭と

仇討ちをした赤穂浪士たちのお墓があるので有名です

 

でもこのお話って、よく考えると

本来はなかなか あり得ないお話ではないかと思います

 

浅野内匠頭が突然キレずに、城中で刀で切りつけなったら…

浅野内匠頭の刃で吉良上野介が致命傷を受けて亡くなっていたら…

幕府が事件を公平に裁いていれば…

赤穂藩を改易せずに、少しでも領地を残していれば…

 

どこかで「仇討ち」にストップがかかっていたのではと思います。

そうしたら「忠臣蔵」のお芝居や映画は亡くなってしまいますけどね…

 

てなことを考えいているうちに境内へ

山門ですが、よく写真で見るものですね

 

浅野の殿様や赤穂義士の時代のものではないけど

江戸時代後半の建築で立派です

山門を境内から見ると,松の碧が映えて美しい

潰された赤穂藩の家老、大石内蔵助!

巻物は仇討ち参加の連判状だそうです

殿様が切腹したのが1701年(元禄14年)3月14日、円周率の日で

討ち入りは翌年の12月14日の朝4時ごろ…

その間は1年と9か月ほど…

 

 

あっちこっちに散らばった元赤穂藩士の中から

最後は大石を含めて47人の侍たちが討ち入りに参加

そのまとめ役です

スマホや電話のない時代、連絡も大変だったでしょう…

計画がばれずに、しかも成功する確率はかなり低かったはずです

 

本堂にお参りしてから赤穂義士たちの墓前へ

 

境内から新しい高輪ゲートウェイの建設中のタワー群が見えます

浅野内匠頭や義士たちもびっくりしてることでしょ

墓地へのアプローチ

「首洗い井戸」ですが、ここであの日…

じーっとみちゃいますね

入口でお線香代一人300円を払います

観光地でなく、あくまで墓参です真顔

 

けっこう大量の御線香をもらいましたが

景気よく最初にどんどん使ってしまったために

後の方への御線香がなくなってしまいました…

すいません…滝汗

討ち入りした赤穂浪士たちは

4つの大名家に分けれれて、それぞれの邸宅で切腹したので

お墓もグループごとになっています

テレビ朝日のある「毛利庭園」もそのうちの一つなんです

まずは大石内蔵助良雄さんから

行年は45才ですが、まさに働き盛りかな

次は内蔵助の息子さん、大石主税(ちから)

なんと16才という若さ!今なら中三から高1くらい

お母さんやお父さんの内蔵助はどんな気持ちだったのかな? 

赤穂浪士の中でも剣の第一の使い手、堀部安兵衛34才

討ち入りで、最期は切腹した方々は

戒名に「刃」と「剱」が入ってます

寺坂吉右衛門は吉良邸に討ち入った後

大石の特命を受けて、その後の長い人生を歩んだ方

 

特命とは? なぜ彼一名だけ選ばれたのか?

切腹はなかったので、戒名や刃や劔の文字はありません

人生の深さを考えます

 

墓地からもみえる新しい東京

タワーから見る泉岳寺はどう見えるのだろう?ニヤリ

墓地にお参りした後は

記念館義士の木像館があるので

たくさんの義士たち一人一人に

思いを寄せるいい時間がすごせるんです

 

木像を一体一体造った人の思いを感じられる

不思議な空間でしたニヤリ

※写真撮影は禁止です

墓地の出入り口にあった「身代わり忠臣蔵」のポスター

一人二役のムロツヨシさんも

ここにきて お線香をあげにきたそうです

テレビの秀吉役をやりながら撮影していたそうな…

で、帰宅してから数日後に

現代版にリメイクした新しい「身代わり忠臣蔵」を楽しみました

本もさっそく読みましたが、シネマとは演出が異なっていました

原作は土橋彰宏さんで、映画のシナリオもご本人です

 

で、「忠臣蔵」なかなか面白い!

今は森村誠一さんの「吉良忠臣蔵」今読んでいる所です

 

時代が変わっても、人は人 

生身の人間として

武士としての「義」を貫くことと

愛と欲望のある「人間」であることの両立は

常人には為しがたいことでは… と悟ってしまいました真顔

 

※次回は東海道歩き旅に戻ります