今月の目標は河内長野に引っ越し後、3年前からの願いをかなえることでした。いつも見える金剛山に登ろうということだったのですが、金剛山は千早赤阪村と奈良県御所市にある山のため、河内長野と富田林を担当する立場としては行きづらかったのです。逆に河内長野市内にある岩湧山についてはこれまで3回登りました。
しかし、今回念願の金剛山に登るチャンスが巡りました。「【富田林市】まもなく運行終了する金剛バスに乗り水越峠へ。大阪府最高峰の金剛山を目指してみました」という記事の執筆をすることになり、金剛バスの話題を中心として金剛山に登ることになったのです。
金剛バスを待つところから乗り込んだ風景は記事のほうをご覧いただくとして、ここでは金剛山の登山風景を中心に長いので前・後編と二回に分けて書いていきましょう。画像は終点の水越峠に到着した金剛バスから降りたところです。
水越峠バス停から水越峠までは少し歩きます。車はトンネルを通るので、ここは歩く人か登山のために車を駐車する人くらいですね。
水越峠です。「水越峠」という看板はありませんが、県境を意味する看板があるのとちょうどいちばん高いところであることは確かなので、ここが水越峠です。水越峠のすぐ近くにゲートがあります。山林の作業者のゲートがあり、一般車両の通行はできませんが、ダイヤモンドトレールのルートなので登山者は中に入って歩けるようです。
もう一つゲートがあります。歩行者は横から中に入れます。ダイヤモンドトレールと書いている標識です。これがあるので迷わずに頂上を目指せました。
行った日は天気が良かったのが幸いしました。頂上付近も天気が良く摂氏10度だったので寒すぎることなく過ごせました。むしろ汗ばむくらいでした。
まだ標高が低いあたりは紅葉が綺麗でした。
途中から見える風景です。富田林方面を眼下に見下ろしています。地上側から見たら今どのあたりにいるのでしょうか? ガンダガコバという名前の林道はひたすら続きます。頂上までの距離が5キロほどで、そのうちの2キロほどが林道です。全部林道だったらもっと楽かなと思いつつ少しハイペースで歩きました。
ここで水を汲んでおく必要があるようです。金剛山頂上には水がないとのこと。
しかし、残念ながらガンダガコバ林道とはここでお別れです。
ガンダガコバ林道はもう少し続いているようですが、ここから先はもみじ谷という中級者クラスの人が登るコースのようなので、残念ながら階段の山道に入ります。少し山を登ったところに座れる休憩所がありました。
いよいよ山道と会談の道ということでここで一休み。
階段の道です。結論から言えば金剛山の階段はとても整備されているため、岩湧山の時よりも登りやすい印象があります。
このような階段が続いていました。段差が激しいところに土嚢が置いてあったので本当に階段を苦しまずに登れました。
背の高い木々が生えているところを歩きます。 金剛登山路と書かれた地図です。いろんなルートがあるようですね。初心者から上級者まであらゆるレベルの人が登る理由がうなづけます。
ずいぶんと高いところまで出てこれました。これは奈良県側のようです。
階段が収まって緩やかな道が続いています。こういう道だと本当に歩きやすい。
笹が生えていますこういう風景を見ると結構高いところまで登ってきた感じがします。
木々が生えている森の中を進みます。ここからは同じくらいの高さの山が見えます。
最後にもう一度階段が続く場所がありました。もう最後と思いつつここも結構苦しかったです。
ここまで4.5キロメートルの道のりを歩きました。頂上まで500メートルなので、あと一息です。
最後は階段ではない道を歩いていくと、遠くに標識が見えてきました。あそこが頂上付近の道と合流しているところのようです。こうして一の鳥居まで来ました。ここまで来れば事実上金剛山頂に来たのも同然と言えます。
山頂周辺のマップです。
昭和九年の説明版です。
頂上付近はいろんなルートから上ってくるので多くの人の姿が見られます。様々なルートがあります。今回は右上のルートからあるいてきたようです。この後は左上の葛木神社経由のルートを歩きます。
仁王杉と呼ばれる大杉です。樹齢500年ほどあるそうです。
標高1000メートルを超えていますが、平地にある神社のようにに石でできた玉垣が並んでいるのがすごいですね。
さあいよいよ最高峰地点と言われている葛木神社に到着しました。
最後の力を絞って上る神社の階段です。これも見た目標高1000メートル付近とは思えない立派さ。
こうして境内に上がりました。最高地点に最も近い場所です。
金剛山頂と書かれた看板があります。不思議なことにこの地点が最も高いのに、一般的なSNSで見る金剛山頂はここではないのは不思議だと思いました。しかし、なんとなくその理由は後でわかりました。
説明版を要約すると、この地域でよく使われる葛城(かつらぎ)という名前の由来については、初代神武天皇の時代に葛(くず)の網をきせて土賊を掩殺(おおい「えんさつ」:相手の油断に乗じて殺す、暗殺)したことから地名ができたと書かれています。
また十代崇神天皇の時代に事代主の神を祀っていたことが神社の創始で、二十二代雄略天皇の時代に葛木一言主神が出現したそうです。そのことから一言だけ願いをすれば叶う神として金剛山山頂で祀られているそうです。また一言恵比須(事代主は蛭子と共に恵比須神のひとつ)ともいわれているので、商売繁盛の福の神でもあるそうでです。
ということで、長くなるのでいったん金剛山登山の前編ということで終わります。明日は後編を紹介しましょう。