前回の記事の続き(後編)です。金剛山山頂に登り葛木神社のところまで書きました。初めての金剛山ということもあり、金剛山頂は他にもいろんなものがあることを初めて知り驚きました。
葛木神社の拝殿前にある石碑に最高峰の文字が刻まれています。
楠木神社は最も高い1125メートル付近とのことですが、そこから少し下ったところには転法輪寺や国見城跡などのスポットがあります。そして休憩所もその方向ですね。
参道にはいろいろあります。仏像が安置されていますね。
その隣には福石と書いてあります。説明を見ると十代崇神天皇の時代に大国主の神が出現したとのこと。福徳招来の守り神で、多くに石とも呼ばれているそうです。
葛木神社から転法輪寺方面はけっこう下ります。
途中にある夫婦杉、これは見た目からしてわかるもので説明が要りませんんね。
上の方も撮影しました。
このまま下ったら山頂ではなくなるのではと思いつつ、下った先に。大きな建物が見えてきました。
こちらが転法輪寺です。山号がなんと金剛山とそのままなんですね。
内部の撮影は禁止だったので、撮っていませんが本堂の中には立派な仏像が安置されていて拝見することができました。
転法輪寺は葛城修験道の大本山とのこと。本尊が法起(宝基)大菩薩とのことで五穀豊穣、悪虫退散とあります。1300年程昔、修験道の開祖、役小角(行者)が16歳のとき金剛山に登って苦修練行を重ねた、祖神一言主大神を鎮守とし、法起大菩薩を祀る金剛山寺(転法輪寺)を建立したそうです。
ちなみに建物は鎌倉時代の建築様式と書いてあるので、そのころのものと推測されます。
絵天井の寄進の案内がありました。
葛木神社側からだと転法輪寺は下にあると思っていたのにまだ下に降りるようです。
それにしても標高1000メートル付近とは思えない立派な寺院ですね。
登山をした数日前、金剛山に雪が積もったというニュースがありました。そのためアイゼンを念のために持ってきていたのです。アイゼンの出番はありませんでしたが、このように雪が少し残っていました。
豊太閤(豊臣秀吉)のひさご池と書いてあります。
由緒を見ると1585年に豊臣秀吉が増田長盛、片桐且元を従えて金剛山の転法輪寺に参詣をした際に掘った池とのこと。形は秀吉の馬印、千成瓢箪を象って、亀を表現した島を作ったそうです。
そして島の上には弁財天が祀られていました。
説明版にも書いてありますが、転法輪寺の開祖である役小角(行者)を祀っている堂のようです。
こちらは三宝院門跡葛城入峰第六十回記念と書いてあります。
歩きながらわかったことは反対側から入った感じですね。おそらく千早本道側から入ると本来の手順で葛木神社までいけるのかなという気がします。
こちらは金剛山の修行者向けの物のようです。登山ではなくあくまで山伏修験道精神を登拝者に実修実証してもらうものとのこと。
司講というものが発足した知らせです。金剛山脈を中心として活動する山伏修験者を育成して葛城修験道再興を目的としているとのこと。修験者(山伏)のグループということですね。
この日の気温は摂氏10度です。平地よりは温度が低いですがそれでも温かいほうのようですね。
売店があります。売店の中でも食事ができるようになっていて、カップヌードルやおでん、酒類も販売していました。
祝日だったからということもありますが、本当に金剛山の山頂は人が多いですね。小さなお子様もいるので、人気の山というのが改めてわかります。
こんなところにバス停?と驚きましたが、もちろんバスは来ません。山を降りる必要があります。
南海バスと金剛バスの時刻表があります。金剛バスは55分発とわかりやすいのですが、もう無くなってしまいますからね。
周辺の案内図です。今回行ったところとは別にロープウェイ側にもいろいろあるので、本当に開発が進んでいるというが金剛山の山頂付近はすごいと思ってしまいました。
さて、こちらは国見城跡です。
八か国が見渡せるので国見とついているそうで、楠木正成の時代に吉野と千早と連絡した楠七郎正季の根拠地とのこと。金剛山で最も眺望がよく天気が良ければ淡路島も見えるとのこと。
そしてここが有名なスポットですね。金剛山に登山した人はほぼここにきて記念撮影をする印象です。
ところが、そのスポットの下にこのような魚のような石像があります。山を登らないとこういう存在は気づかないですね。
こちらは赤阪古道とありますが、千早赤阪村でも金剛登山口ではなく、赤阪の森屋からの登山ルートです。道の駅ちはやあかさあかがあるあたりですね。スタート地点の森屋バス停の標高が112メートルのため、山頂の1125メートルまで行くと1000メートル差を上ること位なるそうです。ちなみに登山口バス停の標高は510メートル地点なので半分くらい、水越峠もそのくらいだったと思います。
さて、ここは休憩スペースでちょうどお昼時なのでみんなおにぎりなどを食べています。その奥には金剛山練成会と書かれたところもありますね。
そして金剛山と言えば毎日登山する人が多いことでも有名で、このように千回以上の登っている人の数が本当に多い。3年近く毎日登るのですからすごいとしか言いようがありません。
さて、名残惜しいですが下山の時間となりました。帰りは正攻法ということで千早本道から降りていきます。
途中で新道というのがあり迷いましたが、いずれにせよ合流するようです。
階段を下りていきます。この階段が大変で、地獄の階段でした。
それでも途中に紅葉が見えて目の保養になりました。
それにしても延々と階段が続くので大変でした。
途中、急坂と緩やかな坂と別れているようなところがありました。
中間地点の五合目です。
ここにはトイレがあります。水越峠はトイレが登山口から離れていて頂上までありませんでしたが、その点こちらはトイレがある分楽ですね。
さて、ほぼ下りきったところに何かあります。
これは楠木三代目の楠木正儀の墓です。
首塚説もあるそうですが、1680年に建立したとのこと。
もう一つ石碑があります。堺の実業家 窪添之介翁の碑とのこと。調べるとこちらに詳細が書いていありますが、窪添之介さんは、千歯稲扱(彎曲稲扱器)という農業機械を1902(明治35)年に開発して特許を取り、1907(明治40年)8月より日本農具製造株式会社(神戸市)で量産して販売したそうです。
こちら左側は千早城跡(千早神社)に向かう道です。ここまで来るとあと一息です。
階段を降りると林道になっており、あとはそのまま下って行くだけです。
登山口が見えてきました。階段が多くてどうなるかと思いましたが、どうにか降りてこられました。
ということで登山口に降りました。
あくまで。「【富田林市】まもなく運行終了する金剛バスに乗り水越峠へ。大阪府最高峰の金剛山を目指してみました」という記事の為の登山だったので帰りも金剛バスに乗りました。