皆川淇園 水墨画 絹本
横39.5㎝×縦101㎝
京都で私塾「弘道館」を開き、儒学と易学を研究し、「開物論」という独自の言語理論を確立した皆川淇園の水墨画である。
皆川淇園は3,000人の門弟を集めたと言われる一流の学者であったが、画も優れた作品を残している。
右肩に自作の漢詩を示している。
内容は、昨晩は杏の花咲く村を訪れ、酒を飲み過ぎて酔ってしまった。
崖の宿に泊まった翌朝、起きてみると乗る予定であった帆船は既に遠く
に行ってしまっていた。自分が二日酔いのため朝遅く起きたため、船を
乗り過ごしたことを知り、自嘲するしかない。と詠まれている。
この画もその詩の内容を描いている。
切り立った崖の上に、宿坊と思われる建物が見える。船二艘は帆を挙げ港を出発して沖に出ている。
この画の特徴は崖や岩場を丹念に描いているところである。一本一本岩の肌を丁寧に描くくとで、岩の質感を上手く表現している。
漢詩の書も楷書で端正に描くとともに、岩場も一本一本筆で丹念に描くところは、学者らしい几帳面な性格であったのかもしれない。
また、この画で特徴的なことは、画面下の漁師の若々しさである。
漁から帰る若者が背筋を伸ばし快活に歩いている。通例南画に登場する人物は腰の曲がった老人が多く描かれるが、この絵の中の人物は溌剌と歩いている。
作者皆川淇園は、こんな所からも旧習にとらわれない、自由闊達な文人であったのかもしれない。
画を円山応挙に学んだようだが、山水画では師の応挙に劣らない、との評価を得ていたそうである。友人長澤芦雪の画に多くの賛詩を残すなど、江戸時代京都画壇を彩った文人と言えよう。