「開物論」の学者 皆川淇園の水墨画 (119) | okuda8888のブログ

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皆川淇園 水墨画  絹本

          横39.5㎝×縦101㎝

 

京都で私塾「弘道館」を開き、儒学と易学を研究し、「開物論」という独自の言語理論を確立した皆川淇園の水墨画である。

 


 

皆川淇園は3,000人の門弟を集めたと言われる一流の学者であったが、画も優れた作品を残している。

右肩に自作の漢詩を示している。

 

 

内容は、昨晩は杏の花咲く村を訪れ、酒を飲み過ぎて酔ってしまった。

崖の宿に泊まった翌朝、起きてみると乗る予定であった帆船は既に遠く

に行ってしまっていた。自分が二日酔いのため朝遅く起きたため、船を

乗り過ごしたことを知り、自嘲するしかない。と詠まれている。

 

この画もその詩の内容を描いている。

 

 

切り立った崖の上に、宿坊と思われる建物が見える。船二艘は帆を挙げ港を出発して沖に出ている。

この画の特徴は崖や岩場を丹念に描いているところである。一本一本岩の肌を丁寧に描くくとで、岩の質感を上手く表現している。

 

 

漢詩の書も楷書で端正に描くとともに、岩場も一本一本筆で丹念に描くところは、学者らしい几帳面な性格であったのかもしれない。

 

また、この画で特徴的なことは、画面下の漁師の若々しさである。

 

 

漁から帰る若者が背筋を伸ばし快活に歩いている。通例南画に登場する人物は腰の曲がった老人が多く描かれるが、この絵の中の人物は溌剌と歩いている。

 

作者皆川淇園は、こんな所からも旧習にとらわれない、自由闊達な文人であったのかもしれない。

画を円山応挙に学んだようだが、山水画では師の応挙に劣らない、との評価を得ていたそうである。友人長澤芦雪の画に多くの賛詩を残すなど、江戸時代京都画壇を彩った文人と言えよう。