「猫間川」、森ノ宮の歴史を学ぶ | OKPARIS王様のBOXSTEP投資

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OKPARIS おっさん「飲む・打つ・踊る」のお気軽生活の見聞DO録 誤植ごめん

3月2日(土)

博学連携講演会「森ノ宮には何があった?ー大阪の「ヒガシ」の歴史をさぐるー」
・大阪歴史博物館セミナーホール
・午前10時10分スタート午後4時30分まで
・登壇講師8人による公開講座
・参加料 2000円
・博学連携・・博物館(大阪歴史博物館含む大阪博物館機構)・大阪市文化財協会・大阪公立大学のコラボ事業

昨年から大阪公立大学公開講座を受講しだして
案内メールをいただいくようになって知ったが
この博学連携事業は、以前から毎年実施

主催者挨拶では、来年に大阪公立大学森ノ宮キャンパスが開校するので、今回、森ノ宮の地にスポットをあてた、とのこと

おっさん3人組は、JR森ノ宮駅を合流ポイントとすることが多いことから、参加意思一致した
(一人は抽選落選だったのが繰上げ当選連絡)
小規模だが客席段差のあるホールが満席の盛況

 
 目次

大阪平野地下の地層構成と上町台地
三田村 宗樹
自然と共生した縄文・弥生時代の森の宮遺跡の人々
大庭 重信
難波宮を東に降る一上町台地東辺の歴史的環境一
李 陽浩
戦国時代の森村と木村(このむら)
仁木宏
大坂城惣構東南部の姿
松尾 信裕
絵図・絵画にみる江戸時代の森ノ宮一武家の地と都市民の行楽地一
大澤 研一
砲兵工廠の建設と生産
三宅宏司
国鉄・地下鉄森ノ宮駅の開業と周辺開発
櫻田和也

大阪市文化財協会学芸員さんのレジメから↓

1971年と1974年、現在の森ノ宮ピロティーホールと大阪市こども相談センターのある場所で、初めて森の宮遺跡の発掘調査が行われ、縄文時代中期から弥生時代にかけての大規模な貝塚が発見されました(写真1)。縄文時代にはカキ、弥生時代にはシジミが主に捨てられており、河内湾から河内湖へ変化するなかで、近隣で採れる貝の種類も変化したことが明らかになったことは学史にも残る重要な成果です。また、貝塚の上は墓地にも利用され、カルシウムを豊富に含む土壌のおかげで24 体分の人骨が残りのよい状態で見つかり
(写真2)、

当時ここで暮らした人の生活環境や健康状態だけでなく観念までも知りえる重要な資料となっています。貝塚からは、貝だけでなく魚骨や獣骨なども多く出土しており(表1・2)、縄文時代には東の河内湾でカキ、クロダイなどの海の幸を、西の台地上でイノシシやシカなどの山の幸を享受した生活を行っていました。




古代の考古学・発掘調査の成果から
JR環状線・森ノ宮駅の開業・・まで
身近な世界の時間旅行を楽しませていただいた

一番の収穫は
各講義通じてキーワード的に登場する「猫間川」
を知ったこと

はじめて見た名称

南は阿倍野区の桃が池を源流として上町台地の東に沿って・北に流れ、大川(淀川)に合流

これが現在の森ノ宮の地を通過する
太古の時代は上町台地の東側は内湾を形成していて
沖積してジワジワと陸地に

大和川は北に折れ曲がって猫間川のさらに東を北上して淀川に合流していたが
江戸時代の付け替えで西方向にストレートに流れるようにされた

猫間川の水運は残る

水量は減り、浚渫が試みられるも回復せず、
近代には、すべて埋め立てられ、今日には道路の一部にあとを残すのみ

江戸時代後期には、船場方面(上町台地の西側)から
桜・桃を楽しむ遊山の地にもなったとのこと




ランチは谷町4丁目駅のカウンターのみのすし屋さんの、にぎり上
(1,980円)





大阪歴史博物館に隣接するNHK大阪放送局では
朝ドラ<ブギウギ>のセット・衣装等の展示会(3月17日まで・入場無料)