おこつ供養舎のブログ
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  • 16Feb
    • 墓じまい【お遺骨様】のお陰で私の日本国内最後の未踏の地、熊本県に行く

      私の人生で日本国内において、行ったことも通過したこともない唯一の県が熊本県でした。このことは僅かながらではありますが私の心の片隅に引っかかっていました。昨年の11月に東京在住のT氏より、今年の2月に熊本県からの墓じまい遺骨の搬送のご依頼を受けました。T氏は熊本には行かれないとの事でしたので通常より入念な打ち合わせと準備作業にかかりました。私は日本中、世界中を旅してきましたので旅の荷支度や準備はわりと得意なのですが今回は一発勝負的な要素があり、国内移動の割には事前の下準備が大変でした(個人の旅行でしたら経験的にはいざとなったら①財布②携帯電話③海外ならパスポートだけあれば後は何とかなる主義なのですが(笑))東京-熊本を日帰りするので、移動や墓じまい現場での作業を含めて時間的に可能かどうかの大筋を検証してみました。この件に関しましては羽田∼熊本間の航空便が沢山ある事と熊本空港からお墓までの距離が100キロ位であることから難なくクリアでした。空港からはレンタカーも利用できますし、便利な世の中ですね。江戸時代だと往復にどのくらいの日数がかかったのでしょうか・・・(余談ですが・・・我が家でダックスフントを飼ってから6年が過ぎました。ヤツとの朝晩の散歩で、一日に1km歩いたとして一か月で30km一年間だと360km6年間で2160kmです東京―熊本間は往復出来てしまいますね(笑)。それしても我が家のダックス君は短い足で2000km以上歩いていたのですね凄い!)朝の9時に江戸川区の会社から、車で出発して10時に羽田空港着の予定です。車を駐車場に入れて、搭乗手続きを済ませ、軽く食事でもしようと考えていたのですが羽田空港の駐車場の入り方が分かりずらく駐車場の周りを3周(笑)しました。予定よりも駐車に手こずり、時間を取られてしまいました。食事を断念して搭乗手続きです。梱包用のカッターナイフが手荷物検査で発見されて没収となりました(笑)時間に余裕があると、バッグは貨物で預けるのですが今回は時間がタイトなので、国内線持込可能の小型のキャリーバッグにしたので・・・カッターナイフ君は飛行機に乗れませんでした飛行機は予定通りに離陸していざ熊本へ熊本空港に到着してから空港内のレストランへ直行ですメニューを見ると目に飛び込んできたのは馬刺し丼定食「これだ!」これが熊本ごたる!おいしく馬刺し定食を頂いた後に頭を仕事モードに切り替えて出発です予め予約しておいた空港前のレンタカー会社へ行き、レンタルの手続きを済ませました。本日の目的地を一日限りの愛車のナビにセットしてハンドルを握ります。「こんにちは熊本県さん本日は宜しくお願い致します。」(そう言えば初恋の人は熊本県の人だったなぁ・・・今もお元気なのかな・・・)高速道路から熊本の景色を楽しみながらもあっと言う間に目的地に到着です。車から降りてお墓を遠目に見ると、お墓は個人の土地に建ててある大きな立派なお墓でした。お家の方にご挨拶を済ませてから、お墓の前に来てみるとお墓の高さは3メートルほどで面積的には一般のお墓の4倍ほどでしょうか本当に立派なお墓です。ここで思ったのは「あれっ誰がお墓からお遺骨を出すのだろう?」という疑問でした。今まで数えきれないほど墓じまいには立ち会ってきていますがいつもは石屋さんが出してくれたお遺骨を受け取ってからが私の出番です・・・なんとなく感じていた予感は見事に当たり覚悟を決めて人生初のお墓のカロート(安置室)の中に入ることになりました。入口の石を寄せて中を覗いてみると、奥の方に骨壺がありました。一般のお墓ですと、石をよけると地上からから手の届くところに骨壺が置いてあるのですが今回はお墓が大きいので、お墓の中の奥の棚にお遺骨が11壺安置してあるような状態でした。意を決して間口40×60㎝の穴から内部へ突入です「こんにちはお邪魔しま~す。」T氏からご依頼の、ご先祖様のお遺骨4柱を外に出してカロートから脱出です(笑)取り出した骨壺の中の確認です。(お墓の中の骨壺には水が溜まっていることが多いです。※骨壺水と呼ばれています)3柱様は大丈夫でしたが、1柱様が骨壺内の80%位までお水が溜まっていました。お水を捨てて、輸送のために骨壺の中に水漏れ防止のタオルを入れます。4柱様の骨壺の周りを綺麗に拭いて故人様のお名前のシールを張ります。更に骨壺の蓋が開かないようにテープで止めます。用意しておいた当社特製の送骨箱に骨壺を納めて、箱のふたのシールをして完了です。作業終了後にお家の方のご厚意でお茶とキンカンを頂きました。そのキンカンの美味しいこと私のキンカンに対するイメージが変わった一品でした。お家の方に「美味しいですね」と言うと「これは完熟キンカンなんですよ」と言うお答えでした。欲しかったら「郵便局の後で売ってるところに連れて行ってあげるよ」との親切な申し出を私が断るわけはありませんでした(笑)お墓にお別れのご挨拶をしてから、家の方の車の先導で郵便局へ行きました。郵便局で遺骨を送る手続きをしていると、担当の局員の方が遺骨に手を合わせてくれました。(あらかじめ用意しておいた当社の送り状の品名の記入欄に「遺骨在中」と印刷してあるのを見られたのだと思います)熊本の人は優しい!郵便局で無事に送骨した後はホットしたのか、一気に気が抜けたような感じとやりとげたという充実感で満たされたような感覚が頭の中をクルクルと(笑)郵便局を後にして、家の方の車の先導で道の駅(地元の食材売り場)に到着です。お家の方にお礼とお別れのご挨拶をして店内に入りました。お目当ての完熟キンカンも無事にゲットです。(後日談ですが、大量に買ったキンカンは食したりお裾分けしたりしたのですが一週間後にも20個ほどが残っていました。流石に毎日食べると美味、完熟キンカンにも飽食気味となり最後に残った20個ほどのこの子達をどうやってやっつけようかと考えましたまずはキンカンサワーに挑戦しましたこの試みはそつなく美味しく頂けました。残りの10個は翌日のちゃんぽん麵の中に輪切りにして放り込みましたスタッフ3人で頂いたのですが、本当に美味しかったです(これは秘密です)キンカン自体も美味しいのですがスープの角が取れてまろやかになり大好評でしたぜひお試しあれ)その後、無事にレンタカーを返車してから空港で搭乗手続きを済ませ、夕食です。レストランで地ビールを頂き熊本ラーメン(博多ラーメンの様でした※美味しかったです)を食べてからの搭乗です。飛行機で座席に着席してからはあっと言う間の意識喪失の爆睡状態です羽田空港着陸10分前のアナウンスでスッキリとお目覚めです。おお!眼下はお馴染みの東京湾の灯りだ。

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  • 17Dec
    • 墓じまい遺骨の移送の実話(笑)

      墓じまい遺骨の移送の実話(笑)今回のミッションは一か月程前にご予約されていた、Nさんからご依頼の墓じまい遺骨の引き取りとお届けのお話です。引き取り先は宮城県仙台市。お寺様の敷地内のお墓です。(12時のお約束)お墓の中には3柱様がお骨のまま(骨壺に入っていない状態で)安置されているとの情報でした。石屋さんがお墓から取り出したお骨を、3つの骨壺に分けるのでその骨壺を東京の会社まで持ち帰るのが初日の仕事です。お届け先は翌日に東京都青梅市の霊園様です。(13時のお約束)仙台から持ち帰った墓じまい遺骨3柱様を、車で霊園までお届けするのが二日目の仕事です。この仕事の依頼を受注した後に、遺骨搬送や海洋散骨葬を担当しているスタッフ(女性)と行程のミーティングをしました。『車で東京-仙台間(約700㎞前後)の往復を一日でこなすのはドライバー一人ではキツイ』という結論に達しました。(彼女も私も大型免許を持っている車好きです/当社では一日の往復移動距離は400㎞くらいまでが安全運転できる距離と考えています)そこで① 二人で仙台に行く案 (当日は他の仕事が入っているので2名の出張は不可でした)② 一人で新幹線で仙台に行き仙台でレンタカーを借りて東京で乗り捨てる(経費的に不可)③ 往復、新幹線を使う(しかし墓じまい遺骨は重いので女性の力では骨壺二つ(今回は三つ)を   持って移動するのは、100メートル位の移動が限界。※当社のハイパワーギャル(?)でも(笑)等々で今回は怪力の私に白羽の矢が立ちました(俺も左肩が50肩で痛いんですけどという言葉を飲み込んで・・・(笑))出発前日に現場で起こるかも知れない不測の事態に備えて、思いつく用具を遺骨移動の専用キャリーバッグ(海外旅行2週間対応のチョー大型バックの改造版)にセット(かなり重くなった)して早めに寝ることにしました。(目覚まし時計+スマホのアラーム設定の保険をかけて)【遺骨搬送用の専用キャリーバッグ】早朝、スマホのアラーム音で起こされて身支度です。目覚まし時計は鳴らない(ゲッ!)最寄りの駅までスタッフに車で送ってもらい、東京駅へ到着。ホームで駅弁を買って、新幹線やまびこ号に乗車です。東北方面に向かう新幹線に乗るのは何年ぶりだろう⋯あっと言う間に仙台駅に到着です20年ほど前に一年間だけ住んだ事のある懐かしい街です。駅からタクシーに乗ってお寺様へ。お寺で依頼主のNさんとお会いして、寺裏の墓地へ行きました。墓地にはすでに石屋さんが待機していました。やがてお坊さんがお見えになり閉眼供養のお経をあげて頂きました。お坊さんが去った後に石屋さんがお墓の蓋を開けました。カロート(お墓の納骨室)の中を見ると奥の方には昔、土葬だった遺骨を改葬(お墓を移動すること)したお遺骨があり手前には火葬した二体分のお遺骨が重なり合い山状になっていました。(経験的に全量は骨壺三個には入り切らないのでは?と思っていました)土葬だったお遺骨は、遺骨が長いままの状態なので骨壺には入り切らずに石屋さんが苦労していました。結局、墓じまい遺骨は骨壺三個には入り切らずに(遺骨の量は軽く骨壺四個分はあったのです)。残った遺骨はビニール袋に入れて持ち帰ることになりました(遺骨洗浄をして土を洗い流せばギリギリ骨壺三個に入ると考えました)。当社自慢の遺骨搬送専用バッグにお遺骨様をお乗せして、仙台駅に向かうことになったのですが持ってみると「おっ重い‼」改造してあるバッグに装備品がセットしてあるので、バッグだけで20㎏近くあります。通常のお骨ですと骨壺に入った状態で5㎏前後。しかし今回は水分をたっぷりと吸った墓じまい遺骨なのでおそらく骨壺込みで全部で30㎏近いと考えられます。つまり・・・トータルで50㎏近い重さになっているはずです。私は飛行機に300回くらいは乗っているので手荷物検査の時のバッグの重さは体験的に持っただけで30㎏以内なら±10%の確率で重さを推測する特技があります(笑)。バッグを持ってみるとバッグは私の未体験の重さで地球の中心に引っ張られています40㎏以上あることだけは確信出来ましたが、体験的な感覚での重量測定は不可でした・・・頭の中で計算すると45㎏±10%位だろうとの推測はできました。Nさんに「明日、東京でお会いしましょう」と、ご挨拶を済ませて、お寺さんの門前でタクシーを待つこと5分。止まってくれたタクシーのトランクが開きました。「持ち上がるかなぁ??」と考えつつも根性を決めて重量挙げの選手のように・・・「ウッ・・・」何とか乗りましたが、左肩の50肩が「ズッキーン」・・・・・・・・やったぁ(涙)何とか駅にたどり着き、タクシーの運転手さんに手伝ってもらい、トランクからバッグを下ろして「まどりのみどぐち(緑の窓口)」で乗車券を購入。ホームで駅弁(牛タン弁当)を買い新幹線に乗り込み・・・一安心です。仙台での滞在時間は3時間半でした。駅弁を美味しく頂いた後に、さっそく会社に・・・― ― ―・・・SOSのメールです(笑)「肩が壊れたので東京駅ではなく上野駅で降りるので誰か応援を送って下さい」※ 私の会社は距離ですと、東京駅よりも上野駅の方が若干近いです。上野駅で救世主(笑)と会い、お骨様と無事にタクシーに乗り込みました。3時半に会社に到着して、さっそく遺骨洗浄です(納骨までの残り時間20時間)墓じまい遺骨の洗浄は仕事の中では好きな仕事です。一般の方ですと墓じまいした後のお遺骨は汚れているので、逃げたい気持ちになるかと思いますが慣れてくるとお骨様が段々と綺麗になっていく様子に喜びを感じるようになります。洗浄した後で乾燥室へお運びして、ほっと一息です。これで大体の水分が抜けてくれれば、数時間後に前面ネットの什器に移して温風送風で乾燥します。明朝までに乾燥しなかった場合には最終手段で強制乾燥機に入れれば1時間で乾燥します。(お骨様にはドライサウナで汗を絞ってもらいます(笑))翌日の10時に、お遺骨様の顔を見ると完全に乾いています。前日に洗っておいた骨壺にお遺骨様を移してから、骨蓋をシールしてお名前のシールを貼ってお骨様のお出かけの準備完了です。今日は散骨の為の持込粉骨と遺骨アクセサリー製作のための相談のお客様が二組、来社されるので私が納骨に行くことになっています。昨日より10㎏以上は軽くなったバッグを転がして駐車場へ向かいます。この重さなら左肩をかばいながらでも何とかなります。車を運転すること2時間弱、山間の綺麗で大きな霊園に到着です。Nさんとお会いして納骨堂に骨壺を納めて任務完了です。お遺骨様とお別れして、すがすがしい気持ちで帰路につきました今年も色々な案件に遭遇しました。言葉にすると、私の仕事は粉骨、散骨、墓じまい、遺骨搬送、納骨、遺骨洗浄、遺骨乾燥、遺骨アクセサリーetc・・・ですが80%以上は、同じパターンと云うことはなくて毎回スリリングな思いで対応させて頂いています。昨日は今年最後(多分)の海洋散骨葬に行ってきました。散骨後に帰港のラット(舵)を握りながら乗船された遺族の方のお顔を見ていると皆さん晴れやかな表情になっている・・・のは毎回、共通しているなぁ・・・などと感じながら、私は冷たくなった北西風をほほに感じていました。来年も頑張ろう!

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  • 28Nov
    • 久しぶりにブログでも⋯なんと前回の投稿から一年が過ぎ去っている

      今日は11月28日、巷では来週からはクリスマスモードに突入だ (笑)少し早いが。今年を振り返ってみると今年は怒涛の一年間だったように思う。毎日毎日、お骨様とのご対面やお別れの繰り返し⋯一体どれだけのお遺骨様とお会いしたのだろうか⋯⋯来年の一月になったら集計してみよう。今年は海洋散骨葬の為に何十回海に出ただろう⋯⋯悪天候の為に3回ほど出港を中止にした事は覚えている。沢山のご遺族の方とお会いして一緒に海に出る。わずか2時間ほどの運命共同体です。高齢者の方やわんぱく小僧が乗船されるとわずか2時間ですがとても疲れます。海洋散骨に行って自分たちが海に落ちたのではシャレになりませんからね (笑)そういえば面白い落水事件がありました。15年ほど前に東京湾を私のヨットで航海中に初めてヨットに乗ったインターン生がのんびりとした口調で「院長が海に落ちましたね」と言いました。あまりにも緊迫感のない口調だったので、私は「あ、そう」と能天気に答えました。インターン生が「助けたほうがいいんじゃないですか?」と言うので、「えっ!」後ろを振り返ると100メーター程後方の波間に院長が浮いていました(笑)。そういえば海にまつわる最近の面白い話がもう一つ、先月のご遺族様乗船散骨葬の時に、ご遺族の乗船者の方たちに桟橋でライフジャケットの装着(手動膨張式)の指導していました。おデブちゃんの男性にキツキツでライフジャケットを何とか装着させて次の人に装着していたら、なんとおデブちゃんはライフジャケットの手動作動レバーを引っ張ってしまった(ゲッ!) シュウーというエアーの音と共に膨らんでいくライフジャケット君に締め付けられて、もがいているおデブちゃんのワンマンショーに皆で大爆笑!!!出港前から乗船者と打ち解けた気持ちで散骨葬をしたのは初めてかも(笑)海洋状況で船を微速で走らせながら海洋散骨葬をするときのご献花の花の色は白が上品で散骨した場所も分かりやすいが、やや波風のある時に散骨する時にご献花する花の色は黄色か赤系が良いことに気づいた。波のある時は白波が立つので白い花だと白波と白い花が同化して散骨場所が分かりにくくなる。そういえば船乗り時代に航海日誌に白波が立ってきたときの事を「ウサギが飛び出してきた」みたいな記録を先輩の航海士が書いていたのを思い出した。(今思うとオシャレ)あの人も生きていればもう85歳かぁ⋯⋯お骨になっちゃったかなぁ⋯⋯あの世でまた飲みましょうね!今年の散骨葬でのご献花で◎最高だったのはお盆のころに使ったホウヅキでした赤くて中に空気が入っているので全体の80%位は水面に出ている様で散骨場所のマーカーには最高です。視認性抜群!12月の散骨予約が月初の日曜日と月曜日で二日続けて入っている、今年の散骨葬はこれで終わりかな。今ほど暇つぶしに、自分の人生で東京湾に停泊中も含めて何時間くらい船の上にいたのかザクっと電卓を入れてみた、なんと3000時間近くになる⋯⋯そろそろ眠くなってきました。

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  • 06Oct
    • 粉骨を極めるのはいつの日になることやら

      今年もあっという間に10月になりました。今年も沢山のお遺骨を粉骨させて頂き、何度も海に出てご散骨させていただきました。ご遺族様の皆様にも様々なお話をきかせて頂き、お話を聞けば聞くほどに個々の故人様の人生の重さに只々、感服するばかりで御座いました。「送った粉骨遺骨が届かない?!」事件今年最大の、青ざめたお話は海外のフランスに送った粉骨遺骨が税関で検査に引っかかり配達されずにいる間に受取人がオランダに移動してしまったお話です。検査に引っかかった原因は故人様の粉骨遺骨と携帯電話と充電器を同じ箱で送った事でした。X線写真で見たら、どう見ても時限爆弾ですよね(笑)その後、爆発物と間違えられた故人様は無事に日本に戻られ、後日、携帯電話と分けられて無事にオランダに旅立たれました。文章にすると、これだけの話なのですが解決するまでの一か月間には 涙 😢涙の...(笑)「プロの粉骨の仕上がり」を決めるものなどと書くと、食いつきが良いのかもしれませんが...実は失敗の神様が教えてくれた秘訣です遺骨粉骨は遺骨を粉砕することですが、火葬後のお遺骨様はそれぞれの様々な経緯と月日を経た。。うえで、故人様の好むと好まざるに関わらずに不肖な私との初対面の面会となります。骨壺を目の前にして合掌後に骨壺の蓋を開けます(この時の瞬間の思いは弊社の粉骨のHPをご参照下さいませ)骨壺に入っていた遺骨の粉骨の手順は(条件=分骨なし/全量粉骨/機械粉骨/国内散骨仕様)① 骨壺の遺骨をトレイにあける② お骨以外のものを取り除く③④ 圧迫粉骨する⑤ 粉骨機にかける⑥ 遺骨パウダーを水溶性紙袋に梱包する上記のような手順になります...全ての工程が大事なのですが ③が抜けてますよね③はお遺骨をお預かりしたときに当社が一番、心配している事で「お骨の湿り具合」です。③の答えは「乾燥させる」なのですが、お預かりしたお遺骨は全く乾燥の必要のないお遺骨が半分くらいで残りのお遺骨は自然乾燥で一週間、お急ぎですと送風乾燥で2日間又は温風除湿乾燥で1~3時間等の乾燥をしないとサラサラとしたパウダーになってくれません。骨壺の蓋を開けて骨壺の中を見ると一見乾いているように見えますが、底の方にある遺骨程湿っています。乾燥が必要か不要かの簡単な見極めは骨壺の遺骨をトレイに開けたときに骨壺の底に水分による遺骨粉が付着しているかどうかで分かります。湿っていると何が問題なのでしょう?①散骨用の水溶性紙の袋に入れたときに水溶性の紙が水分を吸ってしまい最悪の場合は破れてしまいます。②カビの発生の条件である水分を保持してしまいます。③粉骨機の内部に粉骨が張り付き作業性が低下します。「プロの粉骨の仕上がり」を決めるのは、一に乾燥 二に乾燥....ここまで読んで下さって有難うございます。次回は散骨の四方山話やここで遺族様に泣かれた等を書いてみたいと思います。

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  • 29Dec
    • 初めてお骨(頭蓋骨)を素手で触ったのは遥か昔の高校一年生の時。

      はじめまして。この度、おこつ供養舎のブログをはじめました。「お骨」という特殊な題材を中心に綴られるブログとなりますが皆様、宜しくお願いいたしますm(_ _)mさて、このブログのテーマとなる「お骨」についてですが、私には亡くなった方の「ご遺骨」や「死者」に対し、多くの思い出や思い入れがございます。その思い入れの強さから、当≪おこつ供養舎≫を立ち上げることになったと言っても過言ではないかと思います。その「思い入れ」のきっかけとなった事柄から、本日はご紹介させて頂こうと思います。私が田舎の高校に通う、少年だったころに時代はさかのぼります。(※遠~い昔です(^_^;))通っていた高校の近くの無人の公民館?らしき所の展示ケースの中に、他の展示物と共に何故か?人の頭骨のみが展示されていました。ケースには鍵もかかっておらず、誰でも扉を自由に開けることができました(古き良き時代なのでしょうか…現在では考えられない事ですね…)。当時は、その頭骨を両手で持って女の子を怖がらせるという事が、男の子の悪ガキどもに代々伝わってきた度胸試しであったようです。私も例外ではなく、その【度胸試し】を経験しました。初めてその頭骨を持った時の事を今でも良く覚えています。友人を脅かすために勇気を持ってはじめて頭骨を持った時の気持ちは、先輩が頭骨を持って私の目の前に出してきた時の100倍は怖かったです(((( ;°Д°))))今思い起こすと、恐らく焼いていないお骨だったのでしょうか、それなりの重さもあり心の中では「大事なものなので落としてはいけない」という気持ちも働き必要以上に力を込めて握りしめていたのを覚えています。友人を驚かし終わり、ショーケースに頭骨を戻した後に頭骨に触れた手に独特の臭いがついて、しばらくは手から匂いが取れなかったことを覚えています…(今考えると保存のための薬品の匂いだったのか?定かではありませんが・・・)怖がってくれた友人は、頭骨の怖さよりもきっと私のひきつった顔の方が怖かっただろうと思います。。。そんな弱虫だった私も(笑)気がつくと[光陰矢の如し]で残りの余命を運任せと考える様な歳になりました。人間を長くやっていると、沢山の知人の死と向き合うことになります。いつもやさしかったバアさん、頑固だったジイさん(その昔はお坊さんだったらしい)、叔父、叔母、恩人、友人と沢山の葬儀に参加しました。怖くてお葬式に行くのが嫌だった怖がりの少年も、いつしか年齢と経験と共にお葬式で亡くなった故人の顔を見るのも平気になって来るわけです。最近のお葬式では故人様に手を合わせて「人生お疲れ様でした!私もそのうちに行きますから、またよろしくね」と素直な気持ちで言えるようになりました。私が人生で二度目に人骨を素手で触ったのは私の愛する父の遺骨でした。父の生前にはよく父と二人でお酒を飲みました。酒の席で父はよく「俺が死んだら綺麗な海に流してくれ」と、私に話していました。若かった私はその父の言葉を「本気半分・冗談半分」のような気持ちで聞いていたような気がします。そんな父がある日、脳出血で倒れました。病院での半年間の入院生活の末に、無事に退院することが出来ましたが医者からは「再発の恐れがある」と家族は宣告されていました。その宣告は一年後に悲しい現実となりました。父が退院してから、父との会話の中で頃合いを見て「お父さん死んだら海に散骨してくれって言ってたけれど…本当?」と聞いたところ「ああ そうしてくれ」と言うのが父の変わらぬ言葉でした。平成13年のまだ「海洋散骨」という言葉が世間に知られて居なかった頃の話です。父の遺骨の一部を持って、私は南の島に行き、父の遺骨を素手で散骨しました。その時は、父の遺骨を素手で触ってもまったく怖くありませんでした。そんな私が人生最後の仕事として「他人の故人様のご供養のために洗骨や粉骨、そしてご散骨などを執り行う仕事」に就かせて頂き、今日に至っています。昔の自分からは想像も出来ない事です。そして今の私の心は、人様の最後の最後の時に立ち会わせて頂く最高の仕事に就けたことを万物のお歴々に感謝の気持ちであふれております。

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