ご遺骨のご供養を専門に取り扱う「おこつ供養舎」のブログです。おこつ供養舎では、お遺骨の粉骨・散骨や手元供養品・遺骨ペンダント・アクセサリー等の制作、墓じまい後のお遺骨の洗浄や乾燥、墓じまいの際の御遺骨の搬送など、お遺骨のご供養全般を承っております。
母なる海に帰る・・・海洋散骨葬地球が誕生してから約46億年そして地球で初めての生命が海で誕生したのが約35億年前と言われていますやがて生命は陸に上がり多様な進化、絶滅を繰り返して今日に至ります。地球が膨張する太陽に飲み込まれて消滅するまでに約50億年くらいと推定されています。しかし生物は太陽に飲み込まれる瞬間まで生きていられるわけではなくて膨張した太陽が地球に近づいたときに焼き尽くされるでしょうから確実に生命が途絶えてしまうのに必要な残り時間は後、数億年間位でしょうか…人類だけに限定すると後、数千年以内で地球上には住めなくなるような予感もしています。(科学的な根拠はありませんが、私の老化した脳の予感レベルのお話しです)地球が消滅するまでの50億年が、地球時間で考えると長いような宇宙時間で考えると短いような気もしますが、それは人それぞれの時間の捉え方なのだと思います。お遺骨様としてお墓の中に入って、お骨が消滅するまで焼き尽くされる迄の50億年を待つのか、お骨だけでも母なる海に戻り50億年後を待つのか・・・どちらかを選択するのなら私は早めに一度海に戻りたいような気もします
2024年元日の夕方にこれから正月気分に浸ろうかと思っていた矢先に…地震警報が鳴り響き揺れを感じる室内ではNHKの女性アナウンサーの緊迫したアナウンスが流れていて…ほかのテレビ放送各局は地震の緊急放送ばかり、正月気分の天国から地獄に真っ逆さまです2日には、暗い気持ちで地震情報を見ようかとテレビを付けると飛行機の燃えてる絵が飛び込んできました一瞬、「ドラマの一シーン?」かと思ったのですが10秒後には今、現実に起きている事実だと知ることになりました。なんて事だ!2日の就寝前には「明日はまた何か起きるのかな」などと考えていましたが…的中でした3日には親戚の叔父さんの訃報が入ってきました。仕事柄、人の死には冷静なのですが…訃報のみでは何が何だか分からずオロオロするばかりです4日に叔父の家に行き、死亡の経緯を聞くことが出来ました。①3日の朝に自宅のお風呂で倒れているのを発見して119番通報した②救急隊の人が駆け付け状況から警察に通報③警察官の事情聴取と証拠品が押収されて、遺体は警察の安置所に移送された…との事でした5日に知り合いの葬儀社さんと葬儀の打ち合わせをしました。火葬後の御遺骨様の事なら百戦錬磨の私でしたが死亡後からの告別式までの流れとなると…知識ではわかっていましたが、葬儀社さんの葬儀の現実の流れに沿う多方面の手配の繊細さを見ることができて本当に勉強になりました「餅は餅屋ってこういうことか…」6日に警察からの報告で、事件性は無しとの事…警察へ行って手続きを済ませ、遺体は火葬場の安置室に運ばれました。死因は「低体温症」症との事でした。お風呂で低体温症浴室の温度には気を付けなければいけないですね年配の方の死因では低体温症がとても多いそうです。7日に火葬場の安置室に行き、遺体とご対面してきました。綺麗にメイクされた叔父の顔はここ数年で見たどんな顔より男前でした(笑)火葬場の安置室に初めて入った貴重な体験でした。10日の18時から告別式でした。火葬場と併設している会場に17時に入りました。親族や知人の方々をお迎えして、穏やかに時は流れて通夜は無事に終了。家に戻ったのは9時半くらいでした…疲れた。11日、早朝7時に起きて8時に車で出発途中で親戚を一人ピックして火葬場に9時着。お坊さんが10時にいらっしゃって法要が始まりました。お坊さんのお経は仕事柄、よく聞いていますが本日のお坊さんのお経はハスキーボイスでとても良かったです・・・が、お経の終わった後のご挨拶や法話の時に声がかれていて少し苦しそうに話されていたのが印象的でした(南無、、、)11時から火葬炉に入り11:50から骨上げでした。「そう言えばこの火葬場で何年か前に弁護士さんと二人だけで故人様の骨上げをしたことがあったなぁ」などと思い出していました。火葬場の骨上げを担当した職員さんは、見ていてまだ新人なのか御遺骨の扱いがあまり上手ではないなぁと感じていましたが…新人さんだと核心を持ったのは骨壺の入った骨箱を白い風呂敷に包む手つきと結び目の仕上がりでこの方の経験値が少ないのが読み取れました火葬場を後にして御遺骨様を叔父の家に送り届けて和室に設置した後飾りの台の上に御遺骨様をセットして無事に怒涛のお正月が終った感じでした 後日の続編投稿に続く
早いもので何も分からずに御遺骨様の世界に飛び込んで来年で10年を迎えます10年間で何千体の御遺骨様とお会いしたかな、、、、前職をリタイアした後は「さぁ次は何をしようか?」などとしばらく考えていました。リタイア後は戦わずに気楽に行きたいななどと思っていましたら思い浮かんだのが海洋散骨葬でした船は元々がプロの船員だったこともあり下船後は趣味でヨットやボートで遊んでいましたので操船には自信がありました。大好きな海で仕事をして亡くなった先輩たちの面倒がみれて人様にも喜んでもらえるのなら人生の最後の仕事として悔いはないに違いないと熱く熱く思いこむようになりました(笑)当社の生い立ちはこんな思いに取り付かれた青年(年金受給資格あり)の発想から始まりました散骨するためにはどうすれば良いのから始まったのですが師匠もおらず当時は散骨の業者さんもチラホラと目立たない程度に仕事をしているような、、、、時代でした。海洋散骨するためには御遺骨を粉骨(粉砕)しなければいけないと言うことを知ることから始まりました、元々が技術屋だったのでその辺の技術的な対応は簡単にクリヤできたのですが運営面では手作りのお粗末なホームページで海洋散骨葬の募集をしてみると海洋散骨葬の依頼は殆どなくて依頼されて来るのは粉骨の仕事ばかりでした。こ、こんな筈ではと思いつつも御遺骨様の粉骨をこなしていくと様々な御遺骨の状態による対応に勉強をさせられ粉骨の技術レベルが上がってきました、さらに墓じまい遺骨の洗浄などの必要に迫られて御遺骨を一粒も洗い流さない洗浄装置の制作や大規模乾燥室の設計設置とか(※ほとんどの業者さんは一部の粉末状遺骨を下水道に流してしまっていると推定される)粉骨機(製粉機)のオリジナル改造や御遺骨を刃裏に残さない粉骨専用替刃の自社ブランドの開発から製品化、関東サイズの骨壺に対応した粉骨専用4.5寸骨壺の開発製品化などのほかに(※粉骨した御遺骨は4寸骨壺に入りますという大嘘、残った御遺骨様はどうしているのだろう)御遺骨の搬送、墓じまい、個人や業界系の方々からの各種のご相談、生前予約、代行散骨葬等々大忙しです。気楽に過ごすはずだったリタイヤ後の目論見が外れてしまい大変です(笑)この仕事のノウハウを後世に伝えなくてはと考え今年は後継者の育成に力を入れてきましたスタッフが仕事的にも人間的にも順調に育ってきてくれているのでとても安心です育成のためにお遺骨様や関連組織対応のテキストを作ったりマニュアルを作ったり問題集を作ったりと御遺骨様専門学校が作れそうです(笑)教材を作っていると自身の勉強にもなりますね※学科は例えば人体の大まかな構造や遺骨の成分、比重、粉骨に伴う乾燥の条件とは?とか、土葬遺骨の対応、日本の葬儀、葬儀の歴史、安置所、火葬場、火葬炉の話、お寺様、霊園、石屋さん、お墓事情、墓所墓石の構造、海の気象や海況の話、安全操船の極意、関連法律、各種書類、行政手続生前予約とは e、t、c、そんなこんなでコロナ禍も落ち着きを見せてきた2023年でしたが気になるのは国内を見渡すと異常気象、円安、物価の上昇、低賃金の日本の労働者、、、そして再来年の衆議院解散選挙かな。皆さん選挙に行きましょうね!日本の失われた30年からの脱却を国民の力で取り戻しましょう
まぁ~毎日々暑い!明らかに毎年の気象現象が過去の経験値とは異なりますね私は船乗り時代に、暑い国では東南アジアや、インド・イラン・イラク名地に行って来ましたが、航海を終えて日本に帰ってくると日本は涼しくて「やっぱり日本はいいなぁ」等と思っていたのは昔話ですね15年ほど前から肌感覚で感じていたのは、夏に出張で東南アジアから帰ってくると成田空港に着いたときに空港の外に出ると「ウワッ、日本の方が暑い」という感覚でした。気象に関する肌感覚のお話をもう一つするとタイの友人とタイで気象の話をすると、タイ人が「タイには雨季と乾季の二つがあって、気温は暑い時期と、もっと暑い時期ともっともっと暑い時期があるよ(笑)」と話していましたタイ人が「日本には四季、春夏秋冬があっていいね」というので私は「四季というけど本当は五季なんだよ」と教えてあげました春、(梅雨)、夏、秋、冬今の日本は梅雨の期間がどこが梅雨なのか怪しくなって、本当に四季になりましたねそして春と秋と感じられる期間が短くなったような気がします。私は散骨葬で船に乗るので気象情報には敏感なのですが今年の台風6号の動きは異常ですね通常、台風は南方で発生してから北から北西方向に登ってきて日本あたりでスピードをあげて消え去るのですが台風6号は沖縄あたりで止まったり方向を変えたり…と完全に迷走しています1000トン以下位の小型商船で、今までの概念で台風の進路を見込み予測して航海をしていたら、緊急避難場所のない海域だととんでもないことになりますね先日、千葉県の海で泳いできました久しぶりの海水浴で気持ちが良かったです今年は紫外線が強いのか、梅雨らしい天気が少なかったからか肌が焼けて真っ黒です。漁師さんと同じ位焼けています日焼けの心配事です…「どうしよう齢を取ってからシミになったら・・・」・・・もう充分すぎる位に齢か皆様、※早めの水分補給で熱中症対策して下さいね(塩分補給も忘れずに)
令和5年1月8日08:20今日は今年初の海洋散骨葬を午後から執り行います昨年からのご予約で、年頭から3本の海洋散骨葬の予約が入っています。1月8日午後出港 3名 1月10日午後出港 10名(外国人の方たち)1月13日午前出港 2名 短期間に散骨葬が連続するので毎回の散骨用のお花の準備が大変です季節的にお花の種類も少なく小ぶりで価格もお高めなのですが旬のお花のホープがありますそれは食用菊です綺麗な発色の黄色で安価でお花も大きいです。散骨地点のマーキングに参加者の方たちのご献花とは別に投下します。※海面では黄色のお花が一番目立ちます(白は白波が立つとNG)昨日、大量の食用菊を仕入れました参加者の方たちがご散骨した地点に、食用菊をすかさず投下します。ご散骨後にマーキングした菊の花に船を寄せてご献酒、ご献花などを執り行いますこの時期に連続で3本の海洋散骨葬の予約が入るのは、非常に珍しいことです。一般の方たちは海洋散骨葬に適した季節は、春から秋くらいまでとお考えだと思いますが、実は海洋気象的には11月から4月くらいまでが一番海洋散骨葬に適しています。その理由は①一日を通してほぼ北西の微風が吹いていて海面が安定している※波は風の強さに比例して大きくなる②雨が降る確率が少ない③台風が来ないので欠航がない(台風直近と通過翌日は欠航となる)④それほど寒くない(一般の方は冬の海は寒いと認識されていると思いますが実は東京湾の冬の海面の表面温度は10度前後をキープしています。陸上の気温が10度以下の時は海面から1メートル位の船上は意外と暖かく感じられます)※船内には暖房設備もあります今から今年の初航海に向けての準備です。久々に船(散骨専用船・旅立ち号)と海に会えるのが楽しみでワクワクしております(笑)皆様にとって今年一年が良い年でありますように
今年の最後の仕事は明日の某火葬場からの御遺骨のお引取りで終わります。その帰りがてらに散骨専用船【旅立ち号】に立ち寄り、しめ飾りを飾り令和5年を待ちます。今日は自分の残りの寿命、余命を考えてみました。令和3年のデータによると男性の平均寿命は約82歳…すると私の残された年月は約12年間です。12年後にやっと楽になれるのかという気持ちと、本当に12年で地獄に行けるのだろうか…と考えてみましたが…頭の中はクルクル走馬灯…答えは神のみが知るぞですね。出来たら天国に行きたいのですが多分、無理でしょうね(笑)地獄に行く可能性の根拠は、人生で沢山の人々に迷惑のかけっぱなしだからです。地獄の閻魔様も、あまりにも多数の所業の判決に相当な時間を費やされる事と思います。良いことも多少はしてきたような気もしますが、よく思い出せません。今の御遺骨様関係の仕事は、自分の人生の中で一番社会貢献しているような気もしています。自分の人生の最後に、人生を終えた人々(御遺骨様)の最後の落ち着き場所をお世話して差し上げられる、、、自分には光栄極まる仕事だと考えています。私は頭は弱い方なのですが、身体はどちらかというとかなり強健な方です。いまだにバイクに乗り、車の運転をしてプールで泳ぎ、船の操船もします。更に愛犬に毎日連れられて行く散歩もこなしています。若い時と比較するとさすがに身体の老いは感じますが50代の方と何ら変わりない仕事量をこなすことができます。しかし50代の方との体力差を感じるのは、持久力でやや劣ることとハードな動きをした翌日の疲労回復のレベルが違いますね。50代の方は翌日同じハードなことができる。私は逃げる、、、(笑)今年は墓じまいや改葬の依頼が多い年でした。コロナの影響もあるのでしょうが年々、確実に墓じまいや改葬、生前予約の散骨葬等のご相談やご依頼が増えてきています。今日の私の様に、団塊の世代前後の方々の心情による身辺整理の動きなのでしょうね。今年は墓じまいのお手伝いも多数いたしましたが改葬では日本中を飛び回っていました。北から北海道、仙台、福島県、山形県、関東圏多数、長野県、山梨県、愛知県、京都、徳島県、熊本県、鹿児島県。来年に持ち越しの案件で沖縄県と岩手県と長野県が待ち構えております。地方出張に行った時の楽しみは道の駅での買い物です。事前に道の駅の場所を調べておいて、あれやこれやと大量に買い込み日ごろお世話になっている出張先とは逆地方の業者さんに珍しそうな産物を現地から発送させて頂いています。仕事で電話などで一日平均3~4件の色々なご相談や依頼を受けさせて頂いています。ザクっと計算のすると3件×350日で年間1000件越えの案件があるのですね。(※仕事を1000件こなしているという意味ではありません)簡単な依頼から流れが複雑に入り組んだ案件迄あります。複雑な案件は人と人の想いの入り混じった(ボタンのかけちがい的な…)ものから恨み、つらみ、カルトがらみまで…それらの案件を色々な角度から考え、調べて解決法を見出していきます。したがってボケてる暇がない(笑)先日5回目のコロナワクチンの接種を、仕事の都合で受けませんでした。その後、受けるべきか、このまま自然に任せるかを毎日一度は思い出し考えています。情報は『単なる情報』と割り切っていても、沢山のコロナ情報を見ていると益々思考が混乱してきますね。私は基礎体力はある方だし、人と接触する機会も極めて少ない業種ですし基本的なコロナの防衛策は守っていますので、感染の機会は極めて少ないような気がしていますが…唯一、引っかかるのが高齢者範囲内に入っている事です…どうしようかしらん(笑)取りあえず、今日はマスクをして年越しそばと雑煮用のお餅とお年玉用の袋を仕入れて来なくては(笑) 皆様良いお年をお迎えくださいませ。
オミクロン旋風の渦中にありながら経済も回さなければいけない国も国民も大変な状況です。pさんも何を思ったか侵略戦争を始めてウクライナ国民もロシア国民も可哀そう。安倍元首相もまさかのあんな事になって国葬騒動で日本人の意見が二つに割れるし、、、その他、あれやこれやで自分の中では心がどんよりとしております。更に暗いお話ですが、、、私共の会社は主にお亡くなりになった方のお世話全般をさせて頂いているお仕事となります(※生前予約の諸々にも対応しております)したがって日本中の各地の沢山のご依頼者様の諸事情に接したり葬儀社様、葬儀場、安置所、火葬場、お寺様、霊園(管・民間)、墓所、石屋さん、お役所、弁護士さん等、まだまだ沢山の関係者の方々とお話をしたりお会いしたりします。それらの方々は各専門分野のエキスパート(レベルの違いはありますが)ですがご自分の専門分野を超えた事案になると全体を見渡せていないので何とも対応や意見が正解とは少し又は大きくブレた感じになっている場面に良く遭遇します。基本は故人様の遺言や遺族(依頼者)の一番ベスト又はベストに近い提案をしてあげるべきなのでしょうが全体の流れをほぼ知り尽くしている私共から見るとなんとも不可解な事も多いように感じます。オブラートに包んだようなお話で申し訳ありませんがお察しくださいませ。取りあえず当社でも生活の為に理不尽ながら「長いものには巻かれておけ」で済ませていることも多々ありますが、、、、理不尽の根本の根深いところには日本中が貧しくなったことも一因の様な気がしております日本がなぜ貧しくなったかの原因には殆どの方は気が付いていると思います今ならまだ間に合います政府がしっかりと強い意志で主導して国民も協力して元の豊かな心を持った日本に戻って欲しいものです。最期に少し明るいお話を書かせて頂きます(笑)当社の警備部長の保護犬のジュリアがお散歩のときにオシッコをしてくれるようになりました以前はお散歩から帰ると相当我慢をしていたのか一目散にワンちゃんトイレに行くかトイレにたどり着く前に失敗するかだったのですがお散歩のときに用を足してくれるようになり家族としては嬉しい出来事でした。10月は私の誕生月ですが誕生日が嬉しいなどと言う淡い気持ちは数十年前に忘れてしまい歳のせいか最近の一年間の過ぎ去るのが何と早いことか、、、この後ハロウイン、クリスマス、年越しそば、除夜の鐘、、、そして2023来年は世界平和の良い年になりますように!!!!!!!
明けましておめでとうございます南向きの窓から朝日が差し込んでおります「太陽さん今年も宜しくお願い致します!」コロナ感染が奇跡的に沈静化していた日本にも感染力が強いオミクロン株が広まり始めたようです。今までの流れで推測するとお正月の帰省が終わった後の1月の半ばくらいからは日本中でオミクロン感染騒動が起きていることが予想されますね。感染しても幸い軽症ですみそうだと言う情報にやや安心しておりますが、、、近代のような世界が繋がっている場合では感染力の強いウィルスからは逃げられないという、まるでSF映画のような現実ですね。昨年(昨日です(笑))は、31日大みそかの17時に到着した墓じまいの御遺骨様10体の状態確認と整理に1時間ほどを要して仕事納めとなりました。お遺骨様達もあと一日早く到着していたら、洗浄も終えて暖かい乾燥室で新年を迎えられたのにと思うと、少し残念です1~2体ならがんばって洗浄の作業をしたのですが、10体では相当な時間がかかるために洗浄作業を断念しました10体のお遺骨様の洗浄作業は今年の初仕事となりそうです冷たい冬の水を長時間にわたって感じながらの初仕事は滝修行のような良い禊になりそうです(笑)今年も新たな「物言わぬお遺骨様」たちとの出会いのドラマが待っている事でしょう。2022年1月1日。後200年生きていたら西暦2222年(笑)今年も頑張ります。
明日から9月です。日本の爆発的に増えたコロナの感染者数も徐々に下がってきたようです。過去の歴史から見ると世界的に大流行してたくさんの人命を奪った疫病も数年では終息しているようです。その流れの通りなら来年2022年の年末くらいには落ち着いてくるのかもしれませんねどうかそうあって欲しいです、心から願います。地球の気象バランスが崩れてきているのは間違いのない事実ですね最近の自然災害の発生数や災害の規模が大きすぎます。自然のバランスを崩したのは人間の営みが原因であるとする説が主流ですが私もそのように感じています自然の恵みをバランスを崩さない範囲で自然の恵みを享受している分には問題がなかったように思います。少し遅すぎた感もありますが、今こそ世界の人々の知恵を集結する時だと思います。毎日テレビでパラリンピックを観戦していますがアスリートのプレーに感動で涙腺がウルウルです。人はどんな状況からでも強い意志があれば困難に立ち向かうことができると確信できるプレーが続出しています。最近、明確にコロナでお亡くなりになったと分かる故人様の御遺骨を何体も粉骨したりご散骨したりしました御遺骨様に面と向かうと、とても複雑な思いでの対応となります。故人様もさぞ、くやしかった事と思います。 ご冥福を心からお祈りいたします。
【2021年の5月に海洋散骨専用船「旅立ち」号が就航します】海洋散骨専門の船【船があるから散骨にも使える。・・・ではなくて、ご散骨をするための専用船を造ろう!】思い立ったのは2020年の夏の事でした。海洋散骨葬だけを専門に執り行うための専用船 (ご散骨専用船・ご散骨定期船)【小型客船(散骨専用船)の基本の設計コンセプト】「誰でも気軽に利用出来て安全設備が充実していること。かつ乗船費用も安価に」「小型船でもお客様が安心して使いやすく乗れる客船仕様」を目標に、昨年の夏から準備を進めてきました。更にコロナ禍での中での安全な海洋散骨葬を執り行う為の感染対策項目として、スタッフにおけるアルコール消毒等のコロナ対策手順マニュアルの実行やスタッフ全員のコロナワクチンの接種ソーシャルディスタンスの確保等コロナ感染対策に関してできることは何でもをする幸い旅立ち号は船外の着席タイプ(船外8名船内7名)の船なので密や換気に関しましては限りなく安全ですまた船内においても換気設備を強化しました念の為コロナの感染が終息するまでは他の家族様との合同乗船の運航は中止いたします。【散骨葬をする船】当社では、10年近く海洋散骨葬を行ってまいりましたがどのような船(ボート)を使っても、観光地などで運航している観光船のような一般の方が安全で安心で分かり易く利用しやすい体裁の船はありませんでしたこれまでに色々な船で海洋散骨葬を執り行ってまいりましたがそのほとんどはレジャー用のモーターボートや漁船タイプの船を利用しての散骨葬でございました。・・・というのもほんの10年位前までの日本では、今日の様に「海洋散骨葬」という言葉や海洋散骨葬の行為自体が世の中に浸透していなかった時代です。したがって、理想的な散骨専用船などというものはこの世にあろうはずもないわけでした。ここで国内で行われている一般的な海洋散骨葬の為の乗船から出港、散骨ポイントでの散骨、そして帰港までの一連の流れを私の経験(自社運航、他社運航)から振り返ってみましょう。【散骨の船の乗船場所】・船の乗船地からして、通常は一般の人には無縁の(非日常的な)場所にあるのでとても分かりにくいことが多いです(その場所に椅子やトイレがあって雨風がしのげるという幻想は(笑))・船の乗船場所に関しては、相当数のボートは決して安全な場所から船に乗り込むわけではなくて、一般の方のイメージするような桟橋からの乗船ではないことも多いです桟橋ではない乗船場所(例えば防波堤等)ですと、潮の満ち引きによって船の側面の高さが1~2メートル位変化するのはごく普通の事ですしたがって乗下船用のタラップを持たない小型船では多少大げさに言うと、船によじ登ったり飛び降りたりするシーンが見られます。(テレビ放送などで着岸している漁船等の作業風景を思いだして頂くと分かり易いですね)私もそのような状況下で、高齢者の方やハンデのある方、小さなお子さんなどを抱きかかえたりして、乗下船をサポートしたことが何度もあります。小型船は乗下船の設備設計にはウエィトをおいていない。散骨船の船内・乗船してからの観光船との大きな違いは船内に案内表示などが全くないので乗船後に自身の次の行動に戸惑うことが多い(基本的に日本人はお行儀がよいですからね(笑))・小型船だとトイレがない(トイレがあっても小型船用特殊トイレの使用方法の説明がない)・エアコンや暖房が付いていない確率が高い(乗船定員8人以下程度の小型艇だと、ほぼ取り付けが不可能なためです)暑いのや寒いのが苦手な方にはエアコン君は大事なお友達ですね(笑)※しかし実際には真冬の船内は寒くても船外では海面に近い小型艇の場合は海面温度のストーブ?のおかげで真冬の海上は暖かく感じますまた熱い暑い夏場も船外は風通しがきわめて良いので直射日光を浴びなければそれほど暑くないのが夏場の海上です。・船型によりますが雨などの時に乗船者全員が雨の当たらない船内で着席するスペースがない(釣り用ボートの形に多い・船内客席ある場合はデッキが非常に狭い)・船型によりますが好天時に乗船者全員が海風を感じるデッキで着席することができない(日本の風土に合わせた国産の小型船の構造では殆どがそうです・着席できる場合は船内が狭い)【海洋散骨葬時の危険】・散骨ポイントに到着したときに波がやや高いと船が揺れているので立っての作業や散骨は危険(このような場合は着席したまま散骨できると安全です)・散骨時に全員が狭い後部デッキに出ると、デッキスペースが狭くて揺れているのに多人数のために掴まるところを確保出来ない危険・沖で停船して散骨葬を行う場合に風があるときは操船者が舵を離すと船はすぐに風に押されて横から波を受け、大きく横揺れする(船は止まると揺れます※微風時を除く)スタッフが2名いない場合は、船長が指示、作業などで舵を離すと非常に危険です(船長1名の場合は緊急避難的に「今日は波がありますから走りながら散骨しましょう」みたいな話になり故人様と最後のお別れをしのぶはずが、御遺骨やお花などを海に捨ててきた的な後味の悪い思い出となってしまう)・補助エンジンを搭載していない船では万が一エンジンが故障したときには救助を待つことになる(客船では考えられない事態ですねエンジンストップは意外と多いです)【散骨船のチェックポイント】その他に基本的な事ですが⋯(これらが担保されていれば責任意識のある安心な業者さんと言えます)ボートは搭乗者保険に加入しているか?散骨に使用する船は国土交通省の旅客不定期航路事業の許可を得ているか?乗客には必ず救命胴衣を着用させているか(その救命胴衣には国土交通省認可の桜マークがあるか)散骨船の船長船長は船舶操縦士以外に客を乗せる為の特定操縦免許を持っているか?海洋散骨に関わる何かしらの組織に加入しているか?(但し組織の散骨ルールを遵守する体質であること(笑))等(もちろんフリーの方でも立派な自覚をお持ちの方も多数いらっしゃいます)以上の事例や心配事を私の経験から専用船ではない場合の問題点を簡単に列記いたしました。私は世界中の海を航海してきましたが日本国内のフェーリーボートの乗船履歴も一年間ほどあります素人の方に船に乗ってもらうことの楽しさと大変さも経験させて頂いています。小型客船の問題点を改善または問題点を最小までに抑え込んだ船の設計や運航企画を目指しています【昨年からの動きは下記のとおりです】2020年10月に母港となるマリーナ(秋葉原駅より30分・駐車も可)を確保しました。2020年11月に散骨専用船の船体となる(船外10名船内10名着席可)オープンタイプの船を買いました。2020年12月に各業者(エンジン関係、船体改造、船体塗装等)さんとの打ち合わせ終了2021年01月船内の装具品の撤去、船内採寸。ここから先は現在進行形です2021年02月船の工事日の確定。最終図面の作成。新しいエンジンや艤装品の発注。2021年03月中旬マリーナに上架、工事の開始2021年04月末、進水式予定・走行試験・運航手順の確認2021年05月から運航開始の予定最近では仕事以外の時間は毎日毎日船の各部の設計やパーツの選択などに子供の様に目を輝かせて(笑)取り組んでいます「旅立ち号」は私の所有した船の6艇目になります今回は今までの趣味とは違うお客様を乗せる船ということを重点に考えていますので設計が楽しいです(遠出した場合の万が一のアレコレ機能(笑)や心配しすぎ備品を削除しています。近場の運航安全機能重視でシンプルに設計できます)後、3か月で日本初のご散骨専用船の完成です【11月7日追記】就航以来たくさんの方にご乗船いただき無事に散骨葬を執り行わせて頂きました今まで多種多様な船で散骨葬をしてきましたが、やはり散骨専用に設計された船は操船者もお客様も相当に快適なのは確かなものだと確信している今日この頃です、日々ストレスなく運航させて頂いています。また母港となっている船橋港も東京湾奥湾の東部地帯は水のきれいな場所となっており運航していても気持ちが良いです。2022年4月17日その後の旅立ち号は補助エンジンも搭載されて客船として完成体となりました(笑)また乗下船場所として新たに東京都江東区の夢の島が追加されて皆様のご利用がより便利になりました。【2022 知床観光船の事故】お亡くなりになられた方のご冥福を心からお祈り申し上げます。事故の一報を聞いたときに直ぐに感じたことが「素人船長かな?」でしたがその後の報道で次々と明るみにされる人災だったという事実、、、、船員経験のある私から言わせて頂くと外海での業務船舶の運航は最低でも航海経験3年以上、航海時間5000時間以上の経験のない方の船長は無理だと思います。本当の話です。とても悔しい事故(事件)でした
今日は12月7日で今年も残すところ23日ほどとなりました。昨日、アメリカの知り合いにお雑煮用のお餅を送ってあげようと思いスーパーで、お餅やノリや黄な粉やあんこなどを買い求め家で箱詰めして郵便局からemsで荷物を送ろうとしたら・・・局員の方の説明ではコロナの影響でアメリカ行きの航空便が止まっているのでいつ届くことになるか分からないとのでした船便なら送れるが、1~3か月くらいはかかるかも・・・と言われました。取りあえず船便で送ることにしたのですがいつ届くことやら・・・お正月に食して貰うのはあきらめたとしても、お餅君たちの出番は2月の節分か3月の節句か5月の子供の日、はたまた2022年のお正月に食べてもらうか(笑)本当にコロナには虐められます。仕事では、日本からイタリアにお骨を搬送する大型事案がキャンセルになりましたその半面、国内でのお遺骨の移送の仕事は多かったですが、できる限り人との接触を避けるためにかなりの長距離も車で移動したので疲れましたね新幹線や飛行機を使えばギリギリ日帰りできるコースも車ですと、一泊二日になります。長距離の移送の仕事が終わった後の、体力の回復に二日ほどかかることに体力の衰えを感じますね・・・(笑)コロナワクチンの接種が行き渡り、東京オリンピックが終わるころには世界に平常が戻ってくれることに期待したいです明るい話では昨日「はやぶさ2」が地球に戻ってきてオーストラリアの砂漠にプレゼントを無事に落下させてくれました。はや2.お疲れさまでした!私が霊体になったら(推定15年後くらい(笑))君に取り付いて一緒に旅をしてみたいです15年後の君はどこにいるのでしょうね光の速さで追いかけて何時間かかかるのだろうか死ぬ前に体力を付けておかないと途中でバテルかも(笑)2020年って文字で書くときに書きやすくて好きだったのですがもう終わりが近づいて来ました来年は2021・・・意外と書きやすいかも(笑)来年は全世界の人々にとって良い年でありますように!!!
今年は世界中で天災の多い年でしたね我が日本でも異常気象?のせいなのか台風などによる天災で甚大な被害を受けました。被害を受けた地域の皆様の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。時代レベルで推し量ると、ほんの30年前以前の気象と比べると昨今の気象は明らかに大きく違いすぎます地球の表面に漂う大気の成分を、人間様が急ピッチで変えたことが原因なのでしょうか。年末までの仕事で、大きめなものが2件あります。一つ目が羽田空港から熊本県まで飛行機で行ってお遺骨を二柱をお預かりし、すぐに戻り東京の納骨堂に納骨する仕事です二つ目が、アメリカからのご依頼で神奈川県の霊園の墓じまいの代行手続きとお遺骨の代行散骨葬です。お遺骨は洗浄、乾燥、粉骨の作業が必要な為ご散骨は来年になるでしょう12月は今のところ乗船散骨葬の依頼が一件もない穏やかな(笑)前半が過ぎ去ろうとしています。今年のお正月は久しぶりに東京で迎えることに決めました先日、何を思ったのか子供の方から初詣に行こうとメールが来ました(来年は就職なので学生最後のお年玉狙いなのかしらん(笑))。12月14日今日は羽田空港から熊本に向けて出発です今日は荷物が軽いので会社から電車で空港まで来ました。遺骨搬送用の厚みのある大きいバッグなので機内には入れられないので早めに空港に行って荷物を預けました、荷物が無ければ国内線は」出発30分前に到着してもokです 無事に熊本空港に到着してまずは腹ごしらえです 今日は熊本市内のお引き取りなのでレンタカーを使わずにタクシーで移動です運転手さんはとても親切で気さくな方でした熊本で生まれて、旅行以外では熊本県を出たことが無いそうです熊本県のお話しをたくさん聞くことが出来てとても楽しかったです。無事にお遺骨を引き取った後に空港の隣の「道の駅」的なところに案内して頂けたのでお土産を買うこともできました 安い!めちゃくちゃ安い!空港でバッグを預けるときに中身がお遺骨であることを告げると係の方が「バッグを横にしないで立ててお運びします」との事でした。私は横にされても大丈夫なように、経験的な養生とお遺骨搬送専用に改造してあるバッグなので立てなくても大丈夫ですよと告げました。その後、手荷物検査を終えて搭乗口付近の売店でウロウロしているとアナウンスが流れて私の名前を呼んでいるではありませんかギョッ!今迄、何百回と飛行機に乗っていますが呼び出されたのは初めてです何だろう今迄、沢山の空港で犯してきた頓珍漢な所業がバレたのだろうか?等と不安を感じつつカウンターに行くと・・・「お荷物を立ててお運びしているので羽田空港で荷物を受け取るときに、boxに入って出てくるのでお気をつけください」との事でした「ふぅ、、、、良かった逮捕されなかった」 流石はJALさん親切ですね12月20日バタバタとしているうちに今年も残すところ10日ほど・・・大きな仕事は25日の海洋散骨葬と28日の神奈川県の霊園の引き取りだけになりました今年の心に残る特筆すべきお話として電話で直接、何度か生前予約のお話しした方がお遺骨様になられてご対面したことがあります。電話でお話しした時の優しい声が耳に焼き付いています。また、お父様のお遺骨の粉骨で来社された親子のお子様がお遺骨となられてご対面することになったことなどもありました。お母様になんとお声がけしてよいものやら・・・知っている人が亡くなった・・・・・・なんとも複雑な思いです。皆様のご冥福を心よりお祈りいたします。今後も、体力の続く限りお遺骨様とお付き合いさせて頂きますが考えてみると、今迄手がけたお遺骨様や今後も含めてお会いしたお遺骨様の中には生前はご縁のあった方がいらっしゃったのかもかも知れませんね。気丈な母も最近はめっきりと体力が落ちてきて、お別れする日が近づいているのを感じます・・・順番なのであきらめはついていますが・・・俺は泣くのかなぁ今年は近くの寺に除夜の鐘を聞きに行きます私の住んでいるところは、お寺の隣が神社です(笑)令和元年、消費税10%、残すところ10日ほどです元気に頑張ります!
9月の某日、羽田空港発18時の飛行機で千歳空港に向け出発です羽田空港の駐車場が一部工事中との情報があり、空港まで電車で行く事にしました駐車予約なしで空港に行くと、毎度、完全満車だったり空き待ちに時間がかかったり・・・と、心臓によくない事態に巻き込まれることが多いです(笑)以前に駐車できずに飛行機の出発時間に間に合わず乗れなかったこともありました何度か痛い目に合うと人は学ぶようです(笑)先月、台湾の仏具店廻りに行ったときは、羽田空港の5つほど手前の駅周辺のコインパーキングに駐車してから電車で空港に向かいました成田空港利用の時は距離があるのと海外出張の為3~5泊になることが多いので、いつも電車を使うのですが羽田空港利用の時は、日帰りや1泊2日位なので車で行きたがる傾向にあります空港ではスピーディーに動きたいので、手荷物は預けずに機内に持ち込む事が多いです。今回は機内持ち込みのリュックの中の粉骨したお遺骨様がX線の手荷物検査で見事にチェックされました一度目は検査スタッフの方から「リュックの底の方に15×20㎝くらいの物が写っていますが何でしょうか?」との質問でした。私はX線に写っているのはタブレットだろうと思いリュックからタブレットを取り出して再検査ですリュックが再度X線装置を通ると「まだ何かが入っています」、、、と言いますそこで初めて気が付きました (そうかお遺骨様だ)リュックからお遺骨様の入った袋を取り出しスタッフに渡すと「これは何ですか?」との質問。私:パウダーです検査スタッフ:なんのパウダーですか?私:遺骨です途端にスタッフの表情が変わり「失礼しました!」とのお答え再度、お遺骨様だけがX線を通り無事に検査終了です今回のお遺骨様は粉骨の量がとても多くて大きさがティッシュペーパーの箱一つ分くらいの大きさがあったことも不審物に思われた原因かもしれませんお遺骨様をバッグに戻し入れながらお遺骨様に俗名で語り掛けていました「○○さんの人生で何回目のレントゲン検査だったろうね(笑) さあ一緒に北海道に出発しましょう」(そういえば3年ほど前に粉骨遺骨とスマホと充電器をまとめてフランスにemsで送った際に爆発物の疑いがある…と言う事でフランスから荷物が戻ってきたことがありました多分、レントゲンで見るとパウダーが爆発物スマホが起爆装置、充電器のワイヤーで連結されたように見えて・・・と完璧な爆発物ですね(笑))飛行機はあっと言う間に千歳空港に到着です。千歳空港には何回来たのか忘れたくらい来ていますが思い出深い記憶が二つほどあります。一つ目の記憶は生まれて初めてジェット機に乗ったのが羽田~千歳空港でした離陸の時のシートの背もたれに押し付けられるような凄い加速度にビックリしたのを覚えています当時としては未体験の加速に感動でした。今思うと、当時の発進はブレーキをかけた状態でエンジンの回転を上げてポンとブレーキを離すような発進方法だったのかもしれませんね二つ目の記憶は日本の真冬の時期に東南アジアの国から直行便で6時間かけて千歳空港に着いた時です出発の時は暑い熱い気温35℃到着すると気温マイナス15℃気温差50°です北海道の寒さを感じるよりも6時間前の気温を考えるとなんだか可笑しくて笑ってしまいました。 今日は札幌泊りで明日は小樽に向かいます札幌から小樽に向かう車窓からの写真です 小樽駅に到着です ご散骨も無事に終了して一安心です 帰りに最近はすっかり観光地になってしまった小樽運河で食事です 千歳空港に到着ですまずはお弁当で腹ごしらえナマラうまいべさ 21時に羽田空港に到着です、今回はALCの飛行機利用だったので到着の駐機場から出口ゲートまでがとても遠いです出口まで5キロは歩いた(嘘)のでは・・・ 早く帰って玄関で待っているワンコたちの熱い歓迎を受けてからお風呂に入ってビールを飲むのが楽しみです-任務終了-
今回は、墓じまいの手続代行から、お遺骨をアメリカに送骨するまでのフルコースのミッションです。私共の会社はお遺骨に関する様々なサービスを行っています。一例を挙げると墓所や指定場所迄、出向きお遺骨の引き取りや搬送お遺骨の洗浄、乾燥、粉骨や分骨や遺骨アクセサリーの製作お持ち込みして頂きお立会いによる粉骨式等・・・通常は、ご供養の流れの中の一部分のお手伝いを提供している会社なのですが….今回のミッションは横浜市にあるお寺様とのお墓じまい相談から石屋さんとの打ち合わせ市役所での改葬手続きなどの状況に応じた臨機応変な対応や墓じまいの立会いお遺骨の引き取り洗浄、乾燥粉骨、ミニ骨壺への納骨日本からアメリカのサンフランシスコまでのEMSでの発送まで当社の扱う業務のほぼフルコース作業となります。今回のお話の始まりは一月某日の20時頃フロリダからの一本の電話でした。女性の方(Rさん)からの大変、丁重なお問い合わせでした。要約すると「横浜にあるお寺で、眠っている母の祖母の遺骨をサンフランシスコに住んでいる母に送ってほしい」と言うご相談でした。当日は概要のお話をお伺いして、後日現在分かる限りのデータをメールで送ってもらいました(この間に時差を考慮しながらの電話でのやり取りに一週間ほどかかりました。何度かお話ししているうちに依頼主様との信頼関係を構築することができましたのでこの仕事をお引き受けすることに致しました。)まずはお寺様との相談です事前にお話が通っていたこともあったのかご住職様も大変良い方で円満に良心的な費用のご提示や作業の行程のお話が進みました。(まれに法外な数字を提案されて困惑することもあるのですが・・・)石屋さんの墓石の撤去費用も、想像していたよりもお安い費用で見積もりが出来上がりました。(ご住職様のお口添えが有った事は想像できます)離檀料・閉眼供養のお布施・石屋さんの費用等私の経験値から想像していた推定見積もりの60%位の総額となりました総額の見積もりが出たところでフロリダのRさんに連絡をしてサンフランシスコにお住いのお母さんからから一連のご費用を送金してもらうことになりましたお母さんも高齢の為にアメリカからの送金には苦労されたようです初めてのお電話での相談から、ご入金に至るまでの期間が約40日間程かかりました。(銀行から手数料として約11000円差し引かれていました高すぎ!(笑))3月某日の13時お寺様、石屋さんとの墓前でのセッティング予約も完了して当日はスタッフと二人でいざヨコハマへ予定通り12時半にお寺に到着しました。ご住職様へのご挨拶後に墓地へ行きご依頼の墓前に到着です。お墓を見ると人がお参りに来てくれなかったお墓だなぁとは経験的に感じました。前日に用意しておいたお花をご献花してお線香に火を点けました。故人様はハイカラな方だったと、お母様からお聞きしていました。「もう少しで娘さんに会えますよ」と念じつつ、故人様とのご挨拶完了です。この先、一か月近くは私どもの会社で一緒に生活することになります。大正3年に亡くなれた方ですから104年ぶりにお墓の外に出ることになります。やがて石屋さんやお寺様がお見えになりご住職様の閉眼供養のお経その後、石屋さんがお墓を開けてくれました。カロート(納骨室)からは、私が骨壺を取り出しましたが予想より軽いのでちょっとびっくり(通常は骨壺の中が水で満タンになっていることが多くて重い)骨壷を出すと壺の底のあたりの土の上に元気そうなヤモリ君が登場(笑)ムカデ君とはよく合うのですがヤモリ君は初めてです(君の先祖がここに住み始めて君で何代目なんだろうね?) ※後で調べてみたらニホンヤモリは平均で10年くらいは生きるそうです。墓前で骨壷の蓋を開けて、中のお遺骨を確認しました。保存状態も良くて、洗浄にも時間がかからないことが予測出来ました。お遺骨取り出し後の墓石撤去を石屋さんにお願いしてお寺様の裏山の様な所のほぼ頂上にある墓所からお遺骨をもって急坂を下り駐車場に向かいます移動バッグに入ったお遺骨を車の後部座席に乗せてシートベルトをしてからお寺の事務所に向かいました今回の墓じまいの改葬手続きのお遺骨は2体あります。一体は依頼主様のご先祖様、そしてもう一体は・・・名前も性別も全く何も分からない子供の遺骨でした。遺族の方も全く心当たりが無いとの事でしたが100年もご先祖様と一緒にいたお遺骨なのだから一緒にアメリカで供養してあげたいとの事でした。「素性が何も分からないお遺骨」これでお役所で改葬許可書が出るのだろうか…?心配しながらも、ご住職様の書いてくださった全て不詳の「改葬許可申請書」を持ってお役所に到着車を降りるときに後部座席のお遺骨の納まっているバッグを見て「ひょっとしたらこの人たち車に乗るのは初めてかしらん(笑)これから役所に入るので私の後ろから付いてきて応援して下さいませませ…なんなら担当者に憑依してもok」担当の方に、私は改葬の代行で動いている伝々の説明をして今回の流れの一部始終をお話して状況を丁寧に説明しました。当初は困惑していたような役所の方も台帳などで調べてくれました暫く時間がかかりましたが改葬許可書の書き方指導を受けて無事に終了の、はずだったのですが・・・最後の最後に申請者の印鑑が必要との事。ウッ「そうだよ」基本のキでしたアメリカからの依頼だったのですっかり印鑑の事は吹っ飛んでいましたその後、印鑑屋さんを駅前まで探しに行き無事に印鑑を求めてから役所に戻り押印して完了です。ホッ,,,横浜から東京の会社に戻りお遺骨様は当社の祭壇室で一泊して頂き明日は100年ぶりのシャワータイムです 3月13日記シャワー(洗浄)して綺麗になったお遺骨は今度はサウナ(乾燥室)です祖母様とおチビちゃんのお遺骨は二つ並んで高温送風乾燥室で乾くのを待ちますお遺骨の状態が良いので一週間くらいで天地を入れ替えて乾燥させると2週間くらいで粉骨できそうです。日本での最後の満開の桜を見て4月の初めにはサンフランシスコ行きの飛行機に乗れそうです 3月14日記始めは送り先がサンフランシスコと聞いたので私がサンフランシスコまでお遺骨を届けようかとも考えていました実はサンフランシスコは若き日の私にとって思い出深い所なのです40年ほど前に外国航路の船員をしていた時にニューカレドニアを出港して日本に向かっていた際急遽、会社からサンフランシスコからコメを積んで韓国に向かう指示が来ました「やったぁ初アメリカだ!」アメリカに向かう太平洋のど真ん中でかって経験したことのない嵐に遭遇しました嵐と同じ方向に進んでいるためになんと一週間も揺られ続け悪天候で太陽も見えないために自船の位置も分からず(当時はGPS等も無い)とても不安な航海でした初めてのアメリカに、私はルンルンで一人で高速バスに乗りロスアンゼルスに行ったり(高速バスの運転手さんがおばあちゃんだったのにビックリあの頃の日本では女性が大型車の運転をするなど誰も考えない)サクラメントで本場のクリスマス(その頃の日本では殆どの家でクリスマスのお祝いはしなかったクリスマスで上機嫌なアメリカ人の人達にとても親切にしてもらいました)を体験したりとか、他にも楽しい思い出が沢山できました。そんな若き日の思い出のこともあり密かにお遺骨のお届けを理由にサンフランシスコ行きをもくろんでいたのですが現状、既に4月の予定は、5日置き位に海洋散骨葬や墓じまい遺骨の搬送など微妙な間隔でカレンダーが埋まってきていますいつもですとパスポート片手に強硬突破で行ってしまうのですが今回は事務スタッフの一人が3か月ほど前に突発性難聴を発症して現在、治療中の為にお客様との電話対応がやや難しい状態です強硬突破でアメリカに行ったら、その後執念深く私が死んだ後も恨まれそうなので今回はお遺骨様とサンフランシスコまでの旅は残念ながらできそうにもありません 3月17日記桜が満開の4月初頭に、お遺骨の粉骨も無事に終了して綺麗なミニ骨壺の新居に納まりました念入りな梱包を終えてEMS便でアメリカに出発です(・・・一緒に行きたかった(涙))毎日、定時に来られる郵便局の集配の方に託していよいよお別れです(行ってらっしゃい!)後日談EMS発送後の五日目くらいの早朝サンフランシスコのお母さんから涙ながらのお礼の電話を頂きました(女性に泣かれるのは昔から弱い)達成感で満足の一日の始まりとなりました更に後日談後日、アメリカから沢山のお菓子を送って頂きスタッフと美味しく頂きましたお礼に、懐かしそうな日本の食材をお送りしたのですがまたまた早朝に涙ながらのお礼の電話を頂きました感謝!!(自分のおふくろ(頑固ババア92歳チョー元気)にも少し優しくしようと考えました)
今年の日本の夏は体験したことのないような猛暑でしたが12月になっても暖かい日はまるで小春日和のようです先日、27日に駆け込みの海洋散骨葬に行ってきましたが微風状態のこともあり海はとても暖かったです。カナダからいらっしゃった、ご遺族の方でしたが日本の温かさにびっくりしていました。私は、30年ほど前から東南アジアの様々な国に何十回と行っています冬に東南アジアに行くと、東南アジアの温かさに感動して帰ってきます。夏は日本も東南アジアも暑いのですが近年では日本に帰ってきたときの暑さの方が暑く不快に感じます。湿度のせいでしょうか・・・昨日・今日と、今年お世話になったお客様からお礼の電話が3本お葉書を一通頂きました覚えていてくださったんだと感動しています電話にでた時は「何か問題があったのか」とドキッとしましたが年の瀬の丁重なご挨拶でした。「日本もまだまだ捨てたものではない」などと心で感動しています。ご連絡を本当に有難うございました。さて、明日は大みそかです。年越しを東京で過ごし、元旦に北海道の実家に帰ります。母も91歳になります。頭はしっかりしていますが最近は目に見えて足腰が弱ってきました。後、何回一緒にお正月を迎えられることか・・・今回の帰省には私以外の同伴者がいます。今年、亡くなったМさん(一部の粉骨遺骨)です。今年の夏に、散骨の依頼を受けたときに、粉骨するためにお預かりした骨壺に書いてあった生年月日が奇しくも私と同じでした更に埋葬証明書を見ると出身地は同郷の北海道でした更に出身地もすぐ近く・・・不思議な縁を感じました。直接ではなくても、どなたかの知り合いを通して間接的にご縁があったかも知れません。散骨当日に乗船された職場の方が「こいつとは30年の付き合い」「縁者は一人もいないが、本当は北海道で散骨してやりたかった」という言葉を聞いて「私で良ければ私が北海道で散骨しますよ」と申し出ました。涙目で大変喜んでくださいましたのを良く覚えています。そんな訳で今回はМさんと二人旅です(笑)明日は31日ですが、今年最後のゴミの収集があります。今頃の今更なんですが・・・くたびれた夏物の服を整理して捨てようそれでは、皆様、今年もお世話になりました。良いお年をお迎えくださいませ。
早いもので今年も残すところ半月程となりました。今年最後の仕事は海洋散骨葬になりました。12月21日金曜日です。この季節の海は北寄りの風が安定して吹く、操船しやすい海況が続きますが・・・海上はいつも寒いですね(笑)。ホッカイロのミニサイズを足裏の土踏まずに貼ってカイロの大判をお腹と背中に貼ってデブバーガー状態で出港です風は冷たいけれど、私は海に出ると寒さも忘れて気持ちが良いですね昔の船乗り仲間は今頃なにをしてるのかなぁ・・・今年は例年に比べて、墓じまい関係の仕事が多かったため日本中のお墓や霊園等を飛び回っていました中でも京都の東本願寺が印象的でした。外人さんは、和服での京都散策がトレンドの様で町のあちらこちらに和服のレンタル店があるのにも驚きでした。真夏だったので外人さんも汗だくで暑かった事でしょう・・・・今年は継続性のある、お役所関係の仕事も2件いただき有難い限りです。特筆すべきは例年に比べて、海洋散骨葬が9月位までほとんどなくて不思議な感じがしていた事でしょうか・・・しかし、代わりにその時間の余裕を商品開発や社内の設備機器(墓じまい遺骨等の大量遺骨粉骨機やお骨の流れ出ない大量遺骨洗浄機)等の製作や開発の時間に回すことが出来ました。大型機なので本社ビルに200ボルトの電源があるのは助かりました。後で知ったのですが、海洋散骨葬が9月位までほとんど無かったのは当社だけではなくて散骨業者の方達は軒並み暇だったようです。業界関係者の集まりや飲み会や忘年会などでも共通した話題でした。当社の業態は散骨業だけでは無いので、業績に大きなダメージはありませんでしたが、専業の方達は大変だったようです。不調の原因の皆さんの推測は①とんでもない猛暑②ある宗教団体の教祖の死刑執行後の遺骨の行先が海洋散骨になりそうだと言うニュースが原因ではないかと話していました。なるほど・・・・・・という気もするのですが・・・当社では社会福祉の一環としてボランティアで「日本散骨葬支援の会」という、無償で散骨葬を引き受ける活動も行っていますが、こちらの会の申込みも今年は僅か3件でした・・・・同じ理由なのかしらんまた、代行散骨葬のお引き受けの料金を秋口から25000円から30000円に5000円upさせて頂きました。会社の設立以来、無駄を抑えた低価格路線が基本でしたが諸物価の高騰により25000円の料金では健康的な品質維持が難しくなってきたのが理由です。最近、価格のお安い業者さんもホームページなどで見かけますが・・・・どのように経営されているのか知りたい気持ちもあります。広告宣伝費通信費粉骨費用ご献花、ご献酒燃料代係留費用、メンテナンス費用又はレンタル費用人件費税金etc.・・・健全に運営されることを切に願うばかりです今年の大きな収穫はスタッフの成長だと感じています。デスクワーク・商品制作・粉骨技術・洗浄技術・操船技術の向上等私の密かな3年後の現役引退作戦も着々と進んでいるような気がしています(笑)。また、年々増えてくる沢山の業界関係者の方に支えられた一年間でもありました。お客様からの再申し込みや、新規のお客様のご紹介などを頂き人と人との繋がりを大変うれしく感じさせて頂きました。皆様、本当に有難うございました皆様にとって来年は(新号になりますね)良いお年になりますように最後に・・・当社に、お持ち込みで遺骨粉骨のご依頼をされたご遺族の方をお見送りする時の最後のお声がけの言葉についてですが遺族の方とは1時間くらいお話をさせて頂いているのでお帰りの頃にはお互いにすっかり打ち解けています。一般的なご挨拶ですと「有難うございました、また、お待ちしています」とか「有難うございます、また、どうぞ」etcとか口走りそうになり、思わず言葉を飲み込みます無難に「お気を付けてお帰り下さい」でまとめている自分に・・・・・・今度ブログを書くのはいつの日になるのか?失礼しました。 (↓お立合い粉骨式場です)
私の人生で日本国内において、行ったことも通過したこともない唯一の県が熊本県でした。このことは僅かながらではありますが私の心の片隅に引っかかっていました。昨年の11月に東京在住のT氏より、今年の2月に熊本県からの墓じまい遺骨の搬送のご依頼を受けました。T氏は熊本には行かれないとの事でしたので通常より入念な打ち合わせと準備作業にかかりました。私は日本中、世界中を旅してきましたので旅の荷支度や準備はわりと得意なのですが今回は一発勝負的な要素があり、国内移動の割には事前の下準備が大変でした(個人の旅行でしたら経験的にはいざとなったら①財布②携帯電話③海外ならパスポートだけあれば後は何とかなる主義なのですが(笑))東京-熊本を日帰りするので、移動や墓じまい現場での作業を含めて時間的に可能かどうかの大筋を検証してみました。この件に関しましては羽田∼熊本間の航空便が沢山ある事と熊本空港からお墓までの距離が100キロ位であることから難なくクリアでした。空港からはレンタカーも利用できますし、便利な世の中ですね。江戸時代だと往復にどのくらいの日数がかかったのでしょうか・・・(余談ですが・・・我が家でダックスフントを飼ってから6年が過ぎました。ヤツとの朝晩の散歩で、一日に1km歩いたとして一か月で30km一年間だと360km6年間で2160kmです東京―熊本間は往復出来てしまいますね(笑)。それしても我が家のダックス君は短い足で2000km以上歩いていたのですね凄い!)朝の9時に江戸川区の会社から、車で出発して10時に羽田空港着の予定です。車を駐車場に入れて、搭乗手続きを済ませ、軽く食事でもしようと考えていたのですが羽田空港の駐車場の入り方が分かりずらく駐車場の周りを3周(笑)しました。予定よりも駐車に手こずり、時間を取られてしまいました。食事を断念して搭乗手続きです。梱包用のカッターナイフが手荷物検査で発見されて没収となりました(笑)時間に余裕があると、バッグは貨物で預けるのですが今回は時間がタイトなので、国内線持込可能の小型のキャリーバッグにしたので・・・カッターナイフ君は飛行機に乗れませんでした飛行機は予定通りに離陸していざ熊本へ熊本空港に到着してから空港内のレストランへ直行ですメニューを見ると目に飛び込んできたのは馬刺し丼定食「これだ!」これが熊本ごたる!おいしく馬刺し定食を頂いた後に頭を仕事モードに切り替えて出発です予め予約しておいた空港前のレンタカー会社へ行き、レンタルの手続きを済ませました。本日の目的地を一日限りの愛車のナビにセットしてハンドルを握ります。「こんにちは熊本県さん本日は宜しくお願い致します。」(そう言えば初恋の人は熊本県の人だったなぁ・・・今もお元気なのかな・・・)高速道路から熊本の景色を楽しみながらもあっと言う間に目的地に到着です。車から降りてお墓を遠目に見ると、お墓は個人の土地に建ててある大きな立派なお墓でした。お家の方にご挨拶を済ませてから、お墓の前に来てみるとお墓の高さは3メートルほどで面積的には一般のお墓の4倍ほどでしょうか本当に立派なお墓です。ここで思ったのは「あれっ誰がお墓からお遺骨を出すのだろう?」という疑問でした。今まで数えきれないほど墓じまいには立ち会ってきていますがいつもは石屋さんが出してくれたお遺骨を受け取ってからが私の出番です・・・なんとなく感じていた予感は見事に当たり覚悟を決めて人生初のお墓のカロート(安置室)の中に入ることになりました。入口の石を寄せて中を覗いてみると、奥の方に骨壺がありました。一般のお墓ですと、石をよけると地上からから手の届くところに骨壺が置いてあるのですが今回はお墓が大きいので、お墓の中の奥の棚にお遺骨が11壺安置してあるような状態でした。意を決して間口40×60㎝の穴から内部へ突入です「こんにちはお邪魔しま~す。」T氏からご依頼の、ご先祖様のお遺骨4柱を外に出してカロートから脱出です(笑)取り出した骨壺の中の確認です。(お墓の中の骨壺には水が溜まっていることが多いです。※骨壺水と呼ばれています)3柱様は大丈夫でしたが、1柱様が骨壺内の80%位までお水が溜まっていました。お水を捨てて、輸送のために骨壺の中に水漏れ防止のタオルを入れます。4柱様の骨壺の周りを綺麗に拭いて故人様のお名前のシールを張ります。更に骨壺の蓋が開かないようにテープで止めます。用意しておいた当社特製の送骨箱に骨壺を納めて、箱のふたのシールをして完了です。作業終了後にお家の方のご厚意でお茶とキンカンを頂きました。そのキンカンの美味しいこと私のキンカンに対するイメージが変わった一品でした。お家の方に「美味しいですね」と言うと「これは完熟キンカンなんですよ」と言うお答えでした。欲しかったら「郵便局の後で売ってるところに連れて行ってあげるよ」との親切な申し出を私が断るわけはありませんでした(笑)お墓にお別れのご挨拶をしてから、家の方の車の先導で郵便局へ行きました。郵便局で遺骨を送る手続きをしていると、担当の局員の方が遺骨に手を合わせてくれました。(あらかじめ用意しておいた当社の送り状の品名の記入欄に「遺骨在中」と印刷してあるのを見られたのだと思います)熊本の人は優しい!郵便局で無事に送骨した後はホットしたのか、一気に気が抜けたような感じとやりとげたという充実感で満たされたような感覚が頭の中をクルクルと(笑)郵便局を後にして、家の方の車の先導で道の駅(地元の食材売り場)に到着です。お家の方にお礼とお別れのご挨拶をして店内に入りました。お目当ての完熟キンカンも無事にゲットです。(後日談ですが、大量に買ったキンカンは食したりお裾分けしたりしたのですが一週間後にも20個ほどが残っていました。流石に毎日食べると美味、完熟キンカンにも飽食気味となり最後に残った20個ほどのこの子達をどうやってやっつけようかと考えましたまずはキンカンサワーに挑戦しましたこの試みはそつなく美味しく頂けました。残りの10個は翌日のちゃんぽん麵の中に輪切りにして放り込みましたスタッフ3人で頂いたのですが、本当に美味しかったです(これは秘密です)キンカン自体も美味しいのですがスープの角が取れてまろやかになり大好評でしたぜひお試しあれ)その後、無事にレンタカーを返車してから空港で搭乗手続きを済ませ、夕食です。レストランで地ビールを頂き熊本ラーメン(博多ラーメンの様でした※美味しかったです)を食べてからの搭乗です。飛行機で座席に着席してからはあっと言う間の意識喪失の爆睡状態です羽田空港着陸10分前のアナウンスでスッキリとお目覚めです。おお!眼下はお馴染みの東京湾の灯りだ。
墓じまい遺骨の移送の実話(笑)今回のミッションは一か月程前にご予約されていた、Nさんからご依頼の墓じまい遺骨の引き取りとお届けのお話です。引き取り先は宮城県仙台市。お寺様の敷地内のお墓です。(12時のお約束)お墓の中には3柱様がお骨のまま(骨壺に入っていない状態で)安置されているとの情報でした。石屋さんがお墓から取り出したお骨を、3つの骨壺に分けるのでその骨壺を東京の会社まで持ち帰るのが初日の仕事です。お届け先は翌日に東京都青梅市の霊園様です。(13時のお約束)仙台から持ち帰った墓じまい遺骨3柱様を、車で霊園までお届けするのが二日目の仕事です。この仕事の依頼を受注した後に、遺骨搬送や海洋散骨葬を担当しているスタッフ(女性)と行程のミーティングをしました。『車で東京-仙台間(約700㎞前後)の往復を一日でこなすのはドライバー一人ではキツイ』という結論に達しました。(彼女も私も大型免許を持っている車好きです/当社では一日の往復移動距離は400㎞くらいまでが安全運転できる距離と考えています)そこで① 二人で仙台に行く案 (当日は他の仕事が入っているので2名の出張は不可でした)② 一人で新幹線で仙台に行き仙台でレンタカーを借りて東京で乗り捨てる(経費的に不可)③ 往復、新幹線を使う(しかし墓じまい遺骨は重いので女性の力では骨壺二つ(今回は三つ)を 持って移動するのは、100メートル位の移動が限界。※当社のハイパワーギャル(?)でも(笑)等々で今回は怪力の私に白羽の矢が立ちました(俺も左肩が50肩で痛いんですけどという言葉を飲み込んで・・・(笑))出発前日に現場で起こるかも知れない不測の事態に備えて、思いつく用具を遺骨移動の専用キャリーバッグ(海外旅行2週間対応のチョー大型バックの改造版)にセット(かなり重くなった)して早めに寝ることにしました。(目覚まし時計+スマホのアラーム設定の保険をかけて)【遺骨搬送用の専用キャリーバッグ】早朝、スマホのアラーム音で起こされて身支度です。目覚まし時計は鳴らない(ゲッ!)最寄りの駅までスタッフに車で送ってもらい、東京駅へ到着。ホームで駅弁を買って、新幹線やまびこ号に乗車です。東北方面に向かう新幹線に乗るのは何年ぶりだろう⋯あっと言う間に仙台駅に到着です20年ほど前に一年間だけ住んだ事のある懐かしい街です。駅からタクシーに乗ってお寺様へ。お寺で依頼主のNさんとお会いして、寺裏の墓地へ行きました。墓地にはすでに石屋さんが待機していました。やがてお坊さんがお見えになり閉眼供養のお経をあげて頂きました。お坊さんが去った後に石屋さんがお墓の蓋を開けました。カロート(お墓の納骨室)の中を見ると奥の方には昔、土葬だった遺骨を改葬(お墓を移動すること)したお遺骨があり手前には火葬した二体分のお遺骨が重なり合い山状になっていました。(経験的に全量は骨壺三個には入り切らないのでは?と思っていました)土葬だったお遺骨は、遺骨が長いままの状態なので骨壺には入り切らずに石屋さんが苦労していました。結局、墓じまい遺骨は骨壺三個には入り切らずに(遺骨の量は軽く骨壺四個分はあったのです)。残った遺骨はビニール袋に入れて持ち帰ることになりました(遺骨洗浄をして土を洗い流せばギリギリ骨壺三個に入ると考えました)。当社自慢の遺骨搬送専用バッグにお遺骨様をお乗せして、仙台駅に向かうことになったのですが持ってみると「おっ重い‼」改造してあるバッグに装備品がセットしてあるので、バッグだけで20㎏近くあります。通常のお骨ですと骨壺に入った状態で5㎏前後。しかし今回は水分をたっぷりと吸った墓じまい遺骨なのでおそらく骨壺込みで全部で30㎏近いと考えられます。つまり・・・トータルで50㎏近い重さになっているはずです。私は飛行機に300回くらいは乗っているので手荷物検査の時のバッグの重さは体験的に持っただけで30㎏以内なら±10%の誤差で重さを推測する特技があります(笑)。バッグを持ってみるとバッグは私の未体験の重さで地球の中心に引っ張られています40㎏以上あることだけは確信出来ましたが、体験的な感覚での重量測定は不可でした・・・頭の中で計算すると45㎏±10%位だろうとの推測はできました。Nさんに「明日、東京でお会いしましょう」と、ご挨拶を済ませて、お寺さんの門前でタクシーを待つこと5分。止まってくれたタクシーのトランクが開きました。「持ち上がるかなぁ??」と考えつつも根性を決めて重量挙げの選手のように・・・「ウッ・・・」何とか乗りましたが、左肩の50肩が「ズッキーン」・・・・・・・・やったぁ(涙)何とか駅にたどり着き、タクシーの運転手さんに手伝ってもらい、トランクからバッグを下ろして「まどりのみどぐち(緑の窓口)」で乗車券を購入。ホームで駅弁(牛タン弁当)を買い新幹線に乗り込み・・・一安心です。仙台での滞在時間は3時間半でした。駅弁を美味しく頂いた後に、さっそく会社に・・・― ― ―・・・SOSのメールです(笑)「肩が壊れたので東京駅ではなく上野駅で降りるので誰か応援を送って下さい」※ 私の会社は距離ですと、東京駅よりも上野駅の方が若干近いです。上野駅で救世主(笑)と会い、お骨様と無事にタクシーに乗り込みました。3時半に会社に到着して、さっそく遺骨洗浄です(納骨までの残り時間20時間)墓じまい遺骨の洗浄は仕事の中では好きな仕事です。一般の方ですと墓じまいした後のお遺骨は汚れているので、逃げたい気持ちになるかと思いますが慣れてくるとお骨様が段々と綺麗になっていく様子に喜びを感じるようになります。洗浄した後で乾燥室へお運びして、ほっと一息です。これで大体の水分が抜けてくれれば、数時間後に前面ネットの什器に移して温風送風で乾燥します。明朝までに乾燥しなかった場合には最終手段で強制乾燥機に入れれば1時間で乾燥します。(お骨様にはドライサウナで汗を絞ってもらいます(笑))翌日の10時に、お遺骨様の顔を見ると完全に乾いています。前日に洗っておいた骨壺にお遺骨様を移してから、骨蓋をシールしてお名前のシールを貼ってお骨様のお出かけの準備完了です。今日は散骨の為の持込粉骨と遺骨アクセサリー製作のための相談のお客様が二組、来社されるので私が納骨に行くことになっています。昨日より10㎏以上は軽くなったバッグを転がして駐車場へ向かいます。この重さなら左肩をかばいながらでも何とかなります。車を運転すること2時間弱、山間の綺麗で大きな霊園に到着です。Nさんとお会いして納骨堂に骨壺を納めて任務完了です。お遺骨様とお別れして、すがすがしい気持ちで帰路につきました今年も色々な案件に遭遇しました。言葉にすると、私の仕事は粉骨、散骨、墓じまい、遺骨搬送、納骨、遺骨洗浄、遺骨乾燥、遺骨アクセサリーetc・・・ですが80%以上は、同じパターンと云うことはなくて毎回スリリングな思いで対応させて頂いています。昨日は今年最後(多分)の海洋散骨葬に行ってきました。散骨後に帰港のラット(舵)を握りながら乗船された遺族の方のお顔を見ていると皆さん晴れやかな表情になっている・・・のは毎回、共通しているなぁ・・・などと感じながら、私は冷たくなった北西風をほほに感じていました。来年も頑張ろう!
今日は11月28日、来月から巷ではクリスマスモードだ(笑)少し早いが今年を振り返ってみると怒涛の一年間だったように思う。毎日毎日、お骨様との対面やお別れの繰り返し⋯一体どれだけのお遺骨様とお会いしたのだろうか⋯来年の一月になったら集計してみよう。海洋散骨の為に何十回海に出ただろう。悪天候の為に3回ほど出港停止になった事は覚えている。沢山のご遺族の方とお会いして一緒に海に出る。わずか2時間ほどの運命共同体です。わずか2時間ですがとても気を使います。海洋散骨に行って自分たちが海に落ちたのではシャレになりませんね(笑)そういえば15年ほど前に東京湾を私のヨットで航海中に初めてヨットに乗ったインターン生がのんびりとした口調で「院長が海に落ちましたね」と言いました。あまりにも緊迫感のない口調だったので私は「あ、そう」と答えました。インターン生が「助けたほうがいいんじゃないですか?」と言うので「えっ!」後ろを振り返ると100メーター程後方の波間に院長が浮いていました(笑)。そういえば面白い話がもう一つ、先月の乗船散骨葬の時にご遺族の乗船者の方たちに桟橋でライフジャケットの装着(手動膨張式)を指導していました。おデブちゃんの男性に何とかキツキツでライフジャケットを装着させて次の人に装着していたら、なんとおデブちゃんはライフジャケットの手動作動レバーを引っ張ってしまった(ゲッ!) シュウーというエアーの音と共に膨らんでいくライフジャケット君に締め付けられて、もがいているおデブちゃんのワンマンショーに皆で大爆笑!!!出港前から打ち解けた気持ちで散骨葬をしたのは初めてかも(笑)海洋散骨葬をするときの花の色は白が上品で散骨した場所も分かりやすいがやや波のある時に散骨する時にご献花する花の色は黄色か赤系が良いことに気づいた。波のある時は白波が立つので白い花だと白波と白い花が同化して散骨場所が分かりにくくなる。そういえば船乗り時代に航海日誌に白波が立ってきたときに「ウサギが飛び出した」みたいな言い方をしてたのを思い出した。今年の散骨葬でのご献花で最高だったのはお盆のころに使ったホウヅキでした赤くて中に空気が入っているので80%位は水面に出ている様でマーカーには最高です。視認性抜群!
今年もあっという間に10月になりました。今年も沢山のお遺骨を粉骨させて頂き、何度も海に出てご散骨させていただきました。ご遺族様の皆様にも様々なお話をきかせて頂き、お話を聞けば聞くほどに個々の故人様の人生の重さに只々、感服するばかりで御座いました。「送った粉骨遺骨が届かない?!」事件今年最大の、青ざめたお話は海外のフランスに送った粉骨遺骨が税関で検査に引っかかり配達されずにいる間に受取人がオランダに移動してしまったお話です。検査に引っかかった原因は故人様の粉骨遺骨と携帯電話と充電器を同じ箱で送った事でした。X線写真で見たら、どう見ても時限爆弾ですよね(笑)その後、爆発物と間違えられた故人様は無事に日本に戻られ、後日、携帯電話と分けられて無事にオランダに旅立たれました。文章にすると、これだけの話なのですが解決するまでの一か月間には 涙 😢涙の...(笑)「プロの粉骨の仕上がり」を決めるものなどと書くと、食いつきが良いのかもしれませんが...実は失敗の神様が教えてくれた秘訣です遺骨粉骨は遺骨を粉砕することですが、火葬後のお遺骨様はそれぞれの様々な経緯と月日を経た。。うえで、故人様の好むと好まざるに関わらずに不肖な私との初対面の面会となります。骨壺を目の前にして合掌後に骨壺の蓋を開けます(この時の瞬間の思いは弊社の粉骨のHPをご参照下さいませ)骨壺に入っていた遺骨の粉骨の手順は(条件=分骨なし/全量粉骨/機械粉骨/国内散骨仕様)① 骨壺の遺骨をトレイにあける② お骨以外のものを取り除く③④ 圧迫粉骨する⑤ 粉骨機にかける⑥ 遺骨パウダーを水溶性紙袋に梱包する上記のような手順になります...全ての工程が大事なのですが ③が抜けてますよね③はお遺骨をお預かりしたときに当社が一番、心配している事で「お骨の湿り具合」です。③の答えは「乾燥させる」なのですが、お預かりしたお遺骨は全く乾燥の必要のないお遺骨が半分くらいで残りのお遺骨は自然乾燥で一週間、お急ぎですと送風乾燥で2日間又は温風除湿乾燥で1~3時間等の乾燥をしないとサラサラとしたパウダーになってくれません。骨壺の蓋を開けて骨壺の中を見ると一見乾いているように見えますが、底の方にある遺骨程湿っています。乾燥が必要か不要かの簡単な見極めは骨壺の遺骨をトレイに開けたときに骨壺の底に水分による遺骨粉が付着しているかどうかで分かります。湿っていると何が問題なのでしょう?①散骨用の水溶性紙の袋に入れたときに水溶性の紙が水分を吸ってしまい最悪の場合は破れてしまいます。②カビの発生の条件である水分を保持してしまいます。③粉骨機の内部に粉骨が張り付き作業性が低下します。「プロの粉骨の仕上がり」を決めるのは、一に乾燥 二に乾燥....ここまで読んで下さって有難うございます。次回は散骨の四方山話やここで遺族様に泣かれた等を書いてみたいと思います。