岡崎市雨山城跡、雨山合戦場。 | おこしやすだ、おいでやすだ。

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こんばんは。

今年は去年よりも更に暖冬で、雪不足で場所によってはスキー場がまだオープン出来ないらしいですね、オイラにとっては、暖冬はありがたいのですが、一部の人たちにとっては死活問題なので、そう喜んでもいられない話です。

さて、先日、岡崎市の城跡を巡って来ました。

で、その1つの雨山城跡を訪ねて来たのですが、残念ながら、遺構は無く(消失)、しかも民家の裏山で道が無い…と、困った状態でした。

雨山城跡で検索すると、大阪にも雨山城跡と言う城跡があるみたいで、どちらかと言えば大阪の雨山城跡の方がたくさん記載されていました。

一応、城跡のあった山だけを撮影しておきました。


雨山城があった山。

ただ、この地域には、雨山合戦場がありました。

この城跡があった山の集落から少し上にある雨山ダムに向かうと、そのダムの下にある田んぼが合戦場になるみたいです。
雨山ダム。

それほど大きくは無いダムですが、その場から合戦場となった田んぼを眺めると、山と山の谷間であるのが良く分かります。

しかも、当時も田んぼだったとしたら、かなりぬかるんでいたんでしょうね…そんな事を考えたりしました。

合戦場となった田んぼ。

あ!ちなみに、この合戦は、当時の織田方で、この地の領主の阿知波氏と後ろ盾の奥平氏vs今川方の菅沼氏兄弟、半五郎氏の3将で、戦いは、始めは、この地の阿知波勢が優勢だったみたいですが、あとからの今川方の後詰によって阿知波勢は負けたそうです。

この雨山ダムにはトイレも休憩場所もあり、春から秋にかけて野鳥の声、風の音などを聞きながらのんびり過ごせそうな場所だと思いました…なんせ、とても静かで人もほとんど来ないんですから。

今年の夏は1度試しに1日中、この場所で過ごしてみようかとマジで考えています。(笑)

トイレがある休憩場所。

ダムのちょっと下には、合戦場を示す石碑が道路側に建っているので、ダムに向かう途中に気がつきます。

合戦場を示す石碑。

ダムに向かってちょっと進めば、左手側の山の土手の上に供養塔と説明看板を見る事が出来ます。



合戦に関わる供養塔と説明看板。


この供養塔と説明看板は、知らぬまま来たら、見落としてしまいそうです。

オイラも最初見落としてダムまでたどり着きましたから…。

見つけた時には、感動に近いような気持ちになりましたよ。(笑)

そんな雨山城跡と合戦場でした。