アイヌ語地名の分布範囲は思った以上に広範で、北海道はもちろんのこと南は本州北部から北はサハリン中部、千島列島、そしてカムチャツカ半島南端にまでおよんでいます。

 

アイヌ語族の居住範囲はそれだけ広かったということです。

 

地理院地図よより

 

札幌市の北に茨戸(ばらと)という地名と茨戸川という川(というより河跡湖)があります。茨戸川は旧石狩川の流路で、ここで石狩川に発寒川、篠路川、創成川が合流しており、札幌市北部の水郷で、北大ボート部の艇庫があったりするところです。そのため今でもときどき洪水を起こす低湿地でかつては大きな沼があったということです。

当然「茨戸」という地名はアイヌ語地名で、パラ・トー(para-to)「広い沼」という意味です(山田秀三、北海道の地名)。

下にはこう書かれている

今の茨戸市街にあたる発寒川下流は、古い地図では、川筋のいたるところが大小の沼になっていたため「パラト(広い・沼)」と呼ばれていました。大正7年より始まった石狩川の捷水路工事によりできた旧石狩川に茨戸川の名がつけられたものと考えられています。

 

 

 

上の写真のごとく、para-to;広い沼の意味通り、茨戸川は旧石狩川という北海道一の大河の面影を残して、のびやかな水面を札幌市の北辺に示しています。

 

下は、1999年の北海道新聞の記事で、ロシアのカムチャツカ半島の南端のパラトウンカという茨戸と同じpara-toからなるアイヌ語地名があることが記されています。

 

松浦武四郎の蝦夷闔境山川地理取調大概図には(下図)にはカムチャツカ南端のアイヌ語地名が記されています。

 

北海道新聞1999年8月28日夕刊

蝦夷闔境山川地理取調大概図_松浦武四郎より

北千島のホロムシル、アライド、シムシュの各島とカムチャツカ半島南端の地汚名が記されている。カムチャツカ半島南端にもアイヌ語地名があることがわかる。

3年前の7月、仙台に行ってきました。別にGotoキャンペーンに便乗したわけでもありませんが、そろそろ、北海道外に出掛けてもよいのではないか?と思い、気になっていたことを調べに出掛けました。こんな時期のせいか、仙台駅前直近のホテルが朝食付きで11,000円で泊まれました。

 

仙台行きの目的は、『仙台市西方太白区・青葉区の茂庭(もにわ)はアイヌ語のモイワではないかどうか?』を確かめることです。

 

 

北海道には遠くからでもよく目立つ小独立丘に「茂岩」、「藻岩」、「萌和」などを当てたモイワが数多く存在しています。典型的なのは現在は円山と呼ばれている札幌市街西方のものです(現在の藻岩山は、もと「インカルウシぺ」)。これらはもちろんアイヌ語地名です。

 

一方。東北北部(ほぼ北緯40度以北)には「茂谷」、「靄」、「母谷」、「母屋」などの字を当てモヤと読む小独立丘が点在しています。これらはその形、まわりにある数多くのアイヌ語地名から北海道の「モイワ」と同じアイヌ語地名と考えて間違いないと思います。

 

そこで、東北中南部にいくつかある茂庭もやはりアイヌ語のモイワ由来なのだろうか?という疑問が生じます。東北地方でアイヌ語地名が濃厚地域な南限は西は秋田・山形県境、東はやや南の宮城県の鳴子、大崎平野とされています。しかし茂庭の分布はそれより南ということになります。

 

「モイワ」にしろ「モヤ」にしろ、地形としては独立した小丘をそのように言うわけです。仙台の茂庭地区には「モニワ」という名の山はありませんが、太白山(下地図矢印)という標高320.6mの小独立丘があります。これの形状がモイワに似ているとすれば、茂庭はアイヌ語地名である可能性が高いのではないでしょうかねえ?

 

仙台地下鉄東西線終点の八木山動物公園駅(下地図)で下車、ブロンプトンを組み立てというコースで走りました。このうちの地域が茂庭地区です。今では茂庭台と呼ばれる新興住宅街が形成されています。

国土地理院地図 仙台西南部(令和2年)より

 

走り出すと、すぐに太白山は「周囲からたいへん目立つ山」であることがわかりました。そのため仙台が政令指定都市となる際に「太白区」という区名が付けられてのでしょう。

地点Bのアンダーパス上から見る大白山

C地点より

D地点より

E地点より

 

 

さて、ここまでで太白山が「周囲からたいへん目立つ小独立丘」である音がわかりました。

F地点から右折北上し、いよいよ茂庭地区に入ります。

F地点

 

ところが、F地点からはだらだらと続く連続登り勾配となり、ブロンプトンでの登りは結構きつく、周囲を眺める余裕はなく、G地点に着くまで太白山のことは忘れていました。

太白山

茂庭地区の地点より見た太白山

 

結論として太白山は周囲からよく目につく小独立丘であり、アイヌ語でいうところの「モイワ」であり、「茂庭」という地名も、アイヌ語の「モイワ」に由来するものであると思います。

 

参考までに北海道の「モイワ」と、北東北の「モヤ」の典型例を示します。

 

北海道のモイワ・札幌市円山(もとモイワ山)

北東北のモヤ 秋田県鹿角市毛馬内の茂谷(もや)

秋田県大館市(旧北秋田郡田代町)の茂屋方(もやかた)山

 

「仙台の茂庭はモイワの可能性はあるが、確証はない」が結論ではないでしょうか?

松浦武四郎の東西蝦夷山川地理取調(十)はほぼ現20万分の1地勢図の『留萌』の領域をあらわしたものですが、その中にカマワマナイタプコプという山が記されています。場所は今の新十津川町を流れる徳富川の流域です。

 

近くにカマヤコナイという川があるのでそれからとったものと思います。ヤとコはどちらかが誤記(松浦武四郎は悪筆で有名で書写時に誤りが生じやすいということ)。

 

雪解けも進んで道路上橋もよくなってきたため、行ってみました。


下図を拡大して180度回転

松浦武四郎の東西蝦夷山川地理取調(十)

地理院地図より

 

 

さて、新十津川市街から国道451号線に沿って西にさかのぼります。

 

しばらく走り、吉野の集落から北を眺めると、二つの孤立峰が望めます。2.5万図で確かめると、左がす鷲峻山しすんやま)、右が小鷲峻山とあります。

位置的に、鷲峻山がカマワマナイタプコプだろうと思います。

 

国土地理院2.5万図「吉野」より

 

遠目から見た鷲峻山(カマワマナイタプコプ)

 

近くより見る

 

鷲峻山(左)と小鷲峻山(右)

 

ヌタップ川と暑寒別連峰(ヌタップはもとはタプコプオマナイだったと思われる)

 

ヌタップ川の橋から見た鷲峻山

 

しかし、なぜ「タプコプ」が「シスン」となってしまったのか?

 

双子峰のタプコプを見るのは初めてです。双子峰のモイワは青森県十和田市の大母屋・小母屋、秋田県八峰町の母谷山・薬師岳があります。

 

 

 

ところで新十津川町の石狩川の堤防上から北西を眺めるとと、コブ状の山が目に入りますが、これはm敵のタプコプではなく、夫婦山でした。

石狩川堤防より見る夫婦山

土手のフキノトウ。もう春なのだ