マイペースで自由な幼稚園時代に終わりを告げる、
小学校入学前検診の日がついに来た。
入学前検診の事は、はっきり言って、記憶が全くない。
しかし、そこで聴力に問題がありと分かった時の母の表情はいまだに忘れる事はない。
自宅に帰ってきてすぐに、祖母に電話をしていた。
泣きながら。。。
自分が母になった今、母の気持ちはとてもよく分かる。
信じていたものが崩れていくそんな気持ちだったのだろう。
まずは、街の耳鼻科で検診。
そこで、紹介状をもらい大学病院で検診。
6歳の子供にとって、重厚なドアを開けた小部屋に一人きりにされることがどんなに怖い事か。
聞こえないヘルツの音を検査されている時間がとてつも長く感じる。
しまいに、聞こえないのに適当に押すことを覚え、正確に検査をすることができなくなっていた。
治療法もない感音性難聴と分かった。
母は、補聴器をつけた方が良いというアドバイスを耳鼻科の医者より受けていた。
補聴器をつけていると、いじめられないだろうか。
1対1だと言葉は明瞭でない事はあるが、会話はできている。
祖母に相談し、父とも話合い、補聴器をつけないで育てる選択をした。
時代背景もあるだろう。
今は新生児スクリーニングがあり、インターネットからの情報も沢山得られる。
母が子育てしているときは、周りに同じような状況の人を探す事も難しかったと思う。
補聴器を早くするのが良いとか、悪いとかそういう事ではなく、
すべてその人にとってのタイミングというものが何かあるのだろうと今となっては思う。
聴力検査の後の母は、いつも眉間にしわをよせ、悲しそうな顔をしていた。
いつもは、明るくて優しい母を悲しませたくなくて、
一生懸命適当にボタンを押していた。
そんな自分の光景を今ブログを書きながら思い出した。
親は子供の将来を思うがために、一生懸命に悲しむ。
子供は、小さい時は特に親がすべてだから、一生懸命応えようとする。
それが行き過ぎると、難聴の存在をなかなか受け入れられなくなるのではないだろうか。
私が今こうして難聴である自分が自分と肯定できるのは、
出来ない事に焦点を当てるのではなく、
出来る事に焦点を当てて認めてくれた、私に関わってくれた人達のお蔭だ。
ブログを書くことで改めて感謝の気持ちでいっぱいになった。
明日からは、小学時代に起こった出来事を書いていこうと思う。