「○○ちゃんには、関係ない話だよ。」


小学6年生の時に言われた言葉だ。




聞き取れない事があった時に、


「もう一度教えて!」と言える勇気が持てるようになったと同時に


今度は、聞いても教えて貰えなかった時の


何とも言えない


疎外感のような寂しさのようなものが


胸の中をうずまくようになった。





なんとなく耳に入るということができない私にとって


注意深く聞いていないと話題には乗れない。





とはいえ、小学生時代の話題はネタがしれている。


今の小学生はどうなのかな?また違うのかもしれないけど。。。。。。


当時の私の小学生時代はそれでもまだ、ハッピーだったし、


その時嫌な思いしても、次の瞬間に忘れられる程度のものだった。





思春期の中学生時代。


いじめられたということは、今の今まで経験がない。


仲間から省かれたそういう経験はないけれど、


話の内容についていけなくて、


笑ってるふりしてるけど、和の中にいても疎外感、


これは人生で何度も何度も味わっている。





聞き取りが悪いという周知があっても、


聞き取れている時はスムーズに会話ができているから


なかなか周りの人も理解できないのも良くわかる。





分かってもらいたい、分かってもらえない。


中学生時代は、


純粋に自分には何ができる!という事よりも、


周りからみた自分はどうか?


周りから浮いていないか。


こればかりが気になる。




それに加えて、


嫌な事があると、どうして、周りは理解してくれないのか。


と悲劇のヒロイン状態だ。


健常な子でも、


そんな時代ではないだろうか。




中学生時代は、私にとって、印象に残る先生との出会いもなかった。


そんな中、唯一、自尊心を保てたのは、


それでも、


「とにかく笑っていなさい。笑顔が嫌いな人はいないから。」


という母の言葉と、


「行きたい高校に行こう。」


という目標があったからだろう。



それに、3年間は長いようで短い。


これも乗り越えられた一つだと思う。




当時は、根を詰めて悩んでいたことも


年齢を重ねれば肥やしになっているものだ。


疎外感を感じるということも、


恐れを抱かなくなるものだ(笑)




疎外感に強くなるというと


寂しい表現だが(笑)


考える力を充電している時間と思えば、


神様はそんなありがたい時間を私に与えて下さったとも思えるものだ。




楽しいと思える時に、めいいっぱい笑って、楽しみ


分からないと思う時は、


きっぱり切り替えて違う自分を見出せばいい。



中学生時代には分からなかったけれど、


この経験があったからこそ、気づけた。





そんな風に、人生に起こる出来事は、


多くの生きるヒントを与えてくれているのだ。