先日友達が2人来てくれました。
本来なら4人なのですが
私の入院前、とある会合に5人で出向いたときに
特にcloseな2人に何か発生したのです。
1人が一方的に怒っていたのですが
それ以来音信不通なのです。
怒りをぶつけられた方は
その後何度かコミュニケーションをトライし、気に触ったなら謝るわと、理由を聞いても話す機会も与えられず、まさに青天の霹靂とはこの事よ と胸を痛めていましたが。
個人的には
八つ当たりにも見え
相手が訳もわからずびっくりして
謝っていたのを見て
理由くらい言えるだろうと
思った事を覚えています。
会合は夜でしたが、
とても残念でした。
こうなると2人の人間関係は終わったも同然では?
しかし、わたしが?と思ったのは
訪ねてきた友人2人の反応です。
次回来るときには4人で来たいから
2人を仲直りさせたいと。
本人達から頼まれている訳でもなさそうで
お節介じゃないかしら?
どちらにも気持ちがあるし
どんな気持ちかそれぞれに聞いてもいないし
なんだかモヤモヤしてしまいました。
それをぼんやり考えていて
人によって正義は違うんだなあ
と気付いたのです。
それぞれの正義を主張しているうちは
交わること難しそう💦
いつか、恩師の
『君からみて間違っていると思っても
人によって正義は違う
例え間違っていても
それを正そうとする必要も
愚かにみえるものを可哀想だと思う必要もない』
との言葉が脳裏に浮かび、その意味が漸くわかりました。人間、自ら気づかないと中々変われませんもの。また、人間の成長の段階は人それぞれ。
他者を攻撃する時は
自分がガス欠で対象者からエネルギーを
奪おうとする
攻撃を受けた側は真に受けるとエネルギーを取られてしまう
真に受けなければ、攻撃のブーメランは出した本人に戻っていくので、できれば放っておけたら良い とは言われますが
•攻撃する側の怒り、理屈
•不意打ちにあった側の気持ち、言い分
•みんなで仲良くしていきたいと思っている人
それぞれに自分の認識が正しいと思う
それが人によって正義は違うということのようで
人間関係は良くも悪くも人の内面の変化に応じて変わるものだと思うし、変わることは悪いわけではなく、摂理の中にあって。。
事実を淡々と受け止める以外にないような気がするけれど
これは私の正義かしら??(・・?)
ともあれ昔とは異なるグループになりました。
亡くなった親友は旅立つ直前の会話で
『全てを受け入れて』
と言っていたから
私は起こることを受け入れていくことにしています。そうしたら、今日の気づきに至りました。
次に来てくれる友達はみんなで仲が良いから
気楽です。
またまた勉強になりました。
病気の前の自分なら
良い悪い、正しい間違ってるでジャッジして
悩ましくしていたと思うのですが
変化した自分を感じました。
アルボムッレスマナサーラ長老の
『怒らないこと』は一読の価値があります。
今日もありがとう![]()


