今年英語訳から先に読んだ「自閉症の僕が跳びはねる理由」の続編を読みました。
重度の自閉症である作家の東田直樹氏が、10年前の13歳だった時に自分のことを書いたエッセーです。
自閉症者によく聞かれる質問に答える形で書かれた著書は、世界の多くの場所で自閉症スペクトラムを持つ本人たち、そして子供の気持ちが理解できずに苦しんでいたその家族に光をもたらしました。
ディビッド・ミッチェル氏の英訳本をスタートに、現在は28か国、30言語に翻訳されています。
原作となったドキュメンタリー映画にも、様々な国の自閉症スペクトラムを持つ子供たちが登場していました。
英訳本に関して書いた記事はこちらから。
続編では高校生になり、定時制学校に通う東田直樹氏が、最初の著書への反響に対して考えたこと、講演などを始めた環境の変化と自身の成長による新たな気づきなどが書かれています。
至福の読書体験は前回同様で、各章の間に挿入された詩から広がる鮮やかな絵が浮かんでくる豊かな表現、質問に回答する形で綴られるエッセーの他に日記として編入された日々の思考にも、ぐいぐいと引っ張られました。
自閉症スペクトラムの状態の一つとして、東田氏の著書に繰り返し出てくるのが、自分の身体が感じられないというもの。
こころとからだのつながりを感じにくいのは一般的にもよくあることですが、自閉症の場合はそれとまた別なのだろうと考えるのは、彼は手足がどこにあるのか、どうやって動かしているのか分からないのだということからです。
ドキュメンタリーの中にはホッケーゲームに参加する人たちもいたので、自閉症スペクトラムに共通の特徴というわけではないかも知れません。
走っているときには、風を受けて前に向かっているせいか、自分の体が重く感じて、ここに自分の体があることがよくわかる。手や足を動かさないと止まってしまうので、自分の手足がここにあるのだとわかるのだ。(p167 16歳の日記から)
心と体は別のもので、「寒い夜には、心も凍える。」という表現が分からないともあります。
寒いという言葉は心にあてはまらず、すごく悲しい時にも心が凍ることはない。
気持ちと感情に関しては、気持ちは心の中にある正直な自分の言葉、感情は自分の力ではコントロールできない、心の奥からわき上がってくるもの、と書いています。
ここから私が考えたのは、感情は体の感覚なので、東田氏にはコントロールが非常に難しいのかも知れないということです。
私はそれを脳卒中から回復する過程を綴ったジル・ボルト・テイラー氏の「奇跡の脳」から教えてもらいました。
想像を絶する難儀の中での毎日ですが、ご自分のことをよく分析しているし、強く生きていこうとの決意が伝わってくるような16歳の言葉もたくさんあります。
僕は、障がいを持って生まれてきた。それは、誰のせいでもない。しかし、これからどんな風に生きていくのかは、自分の責任だと思っている。
背中を押してくれるような、力強い言葉。
最初の著書の中にも、自分のことが好きであれば、自閉症でなくとも自閉症であってもどちらでもいいと思う、といったことを書いていました。
感動する気持ちに対しての思いは私の心を揺らします。
東田氏は自然や絵画、文化遺産などにとても心を惹かれ、いてもたってもいられないくらいになるほど感動するそうです。
公園に咲く満開の桜も、視界のはしっこに少し入れるだけ。そうしなければ美しさに圧倒されて気持ちがくずれてしまうと言います。
その桜の美しさに続いて寄せられた一文。
変わらない幸福というものがあるとしたら、繰り返される命の輝きではないかと僕は思っています。
私が初めて身近に、自閉症を持つ人とその家族に出会ったことを書いた記事です。
オキシャンティのサイトHPはこちらから。