兄は借金しかないので、葬儀にかかる費用、その他諸々の費用は母の預金からほとんど賄った。母は葬儀のために積立てもしてくれていたので、それで半分は出た。


が…少人数しか参加しない「家族葬」といっても、最安値の祭壇にしても、葬儀費用はなかなか高額。そしてお布施も高額ガーン


生前にもっと葬儀屋に相談しておけば良かったと思う。


我が家は元々の宗派の門徒を辞めていたので、読経のためにお寺さんを葬儀屋に紹介してもらった。


お布施の袋を渡されたので

「いくらくらい包めばいいでしょう」と訊ねたら


葬儀屋「お気持ちで…金額を言うと請求した事になってしまいますので…」


出たよ、お気持ちガーン


なので、私は気持ち的には5万☓2の10万くらいか?と思ったけど、旦那が

3万☓2の6万でいいだろ!!と言うんで…

少ない気がしたけど、やはり少なかった。


後に香典返しの打ち合わせなどしていて、そのお布施の事を話したら、「さすがにその金額は…法名も頂いてますし…」と言われた。


だから相場を聞いたのに


「お気持ち」


とか曖昧な事言うから。

少ないすぎたと感じたなら、49日の時に追加で持っていけば良い、という。


で、相場いくらなん?


結局、お寺さんに直接聞く事に。


20〜30万と言われた。

ケタが一つ違うんですね……


しかしまぁ、やはり少ない事をずっと気にしていたので、追加で「気持ち」包んだ。旦那に黙って。


葬儀費用、お布施、香典返し、名前彫刻、納骨、その他山ほど…とにかく十万単位でお金かかる。


最近もっぱら「小さいお葬式」という流れが主流になりつつあるけど、結局、弔問にたくさん来て頂くほうが香典が入る分足しになるのでは?と。


今回母の葬儀終えて思った事は


①本当にごく身内だけで見送りたいなら、お寺さんは呼ばない事。呼ぶなら盛大にやった方が金額は多分あまり変わらない


②自分達の時はお別れ会みたいので良い事。読経も要らないので手元供養で十分。


私はお寺の維持、読経など「それなり」の費用は当然支払うべきとは思う。ただ、こちらが思う「お気持ち」とはかなりのズレがあると感じる。


葬儀のお布施にしても、私の地域はまだ安いほうみたいだけど


葬儀費用と別に、お布施を何十万と出せるかね?現代の若者が???


強く信仰してるならともかく、檀家の慣習はもう無理がきているとひしひし感じた次第。


ご先祖様に感謝する気持ちは忘れずに、自分なりの供養をしようと思う。



病院から葬儀屋へ母を搬送。安置。


自宅は兄が棲み着いたゴミ屋敷だし元々帰る予定もなし。


私とダンナは母の側で2日過ごす。


通夜当日。


叔父(母弟)が予定時間の30分前になっても来ない。


叔母(母妹)が電話をかけるとまだ自宅にいたようだ。多分定刻には間に合わないだろう…と特に何も思わず式に臨む。


焼香も終わり、読経の途中で叔父夫婦到着。


僧侶が退場して控え室に戻った直後、


叔母「アンタ達!何で遅れたの?!」

叔父嫁「チンチンカンカンで………」

叔母「アンタ達!!何様のつもり!!」

叔父嫁「じゃあ私達に飛び込んで死ねって言うんですか!!!」


私は唯一の弔問客である兄の会社の社長さんにお参りのお礼と挨拶中。

(まさか今死ねとか言った?まさかね?)と思いながら挨拶を続ける…


叔父嫁は私のところに来ていきなり

「あのね、チンチンカンカンでね…道が分かりにくくて迷っちゃって…」


チンチンカンカンとはどうやら踏み切りの事を指すらしい。要するにチンチンカンカンで渋滞に巻き込まれ、道にも迷った、と。


完全にパニクってはいるものの、70の大人の言い訳としては、さすがに納得いかない。


私「間に合うように早めに出てくだされば良かったのですけど…」

叔父嫁「…………」


その後も叔母と叔父嫁の怒号が飛び交い止まらない。


叔母も叔父も生前からそれぞれで母を心配して(フリ?)ちょくちょく連絡をくれていた。


どうして静かに見送れないのだろう。


だけどまぁ仕方ない。それが母の兄弟だものね。こんな事になる予想がつかないでもなかったけど、そうなるから通夜には来るなとも言えないし。


最初から距離を置いて付き合うべきだった、と後悔真顔


そして、もう一つ不思議な出来事があった。葬儀の打ち合わせが始まってすぐに、亡き父の兄弟から電話が入った。

私は父方の親戚にはもう知らせないと決めていたのだけど


親戚「久しぶりね〜!お母さんはどうしてる?元気にしてる?」


この人は透視でもできるのか?…ガーン


さすがにこのタイミングで亡くなった事を言わないわけにはいかない……

葬儀の日程を伝えると、葬儀には父の兄弟3名が来てくれた。


修羅場の通夜、葬儀、火葬までを終えて、グッタリ。


通夜に遅れた叔父夫婦は逃げるように帰って行ったので、理由も何も聞けずじまい。


まぁ母も居なくなった事だし、もうお付き合いもこれきりでいいか、と思う。


この記事を書こうとしていた翌日に母は他界。


個室に移ったとの連絡があり、最期の面会ではまだ話す事もできたし、リンゴも一欠片食べる事もできた。だけど呼吸は身体全体が上下する苦しそうな状態だった。


亡くなる3週間ほど前から食事を摂れなくなり、果物なら食べれるというので差し入れしていた。


一週間ほど経ち、固形のものは厳しくなり、お粥状のものを数口。病棟と相談して、クリミールなどの高カロリージュースを差し入れ。


合わせて点滴。


摂取できるカロリーを考えても、もうあまり長くはないと覚悟をする。


面会の度にやせ細ってはいたが、口は達者で、私の家族の事を聞いてきたりしていた。


面会の翌日の早朝。病院から電話が鳴る。


「呼吸が荒いので今のうちにお会いになりますか?」


すぐに病院へ夫と駆けつける。

もうほぼ意識はなく、でも呼びかけにはまゆをひそめたりしていたので来たのは分かっていたんだろうか?前日の身体を大きく揺らす呼吸ではなく、浅い呼吸。ただ血圧は120あったので、まだ心臓はしっかりしている。


未だ面会制限はあるので、30分ほど居させてもらって、一旦帰宅。


兄には一度会わせてやるか…と思い、連絡。一時間後頃には面会できた様子。


兄から「今面会してきた、最期に会えて良かった」とLINEが入った時に病院から電話。


「呼吸がもう止まりそうなので来て下さい」


駆けつけた時には呼吸はもう止まっていて、5分後には心臓も止まった。


どれほどダメだろうと、誰よりかわいい息子が会いに来てくれて、満足したのかな…と


医師に死亡を診断してもらい、0時15分永眠。暑いくらいの日差しの春の日に旅立って行った。


母が我が家に来て、介護施設に入って、そして入院してから計約3年。


最初の頃は複雑な思いではあったけど、看取る事ができて娘としては良かったと思う。


母にはお疲れ様、と別れを告げた。