この記事を書こうとしていた翌日に母は他界。


個室に移ったとの連絡があり、最期の面会ではまだ話す事もできたし、リンゴも一欠片食べる事もできた。だけど呼吸は身体全体が上下する苦しそうな状態だった。


亡くなる3週間ほど前から食事を摂れなくなり、果物なら食べれるというので差し入れしていた。


一週間ほど経ち、固形のものは厳しくなり、お粥状のものを数口。病棟と相談して、クリミールなどの高カロリージュースを差し入れ。


合わせて点滴。


摂取できるカロリーを考えても、もうあまり長くはないと覚悟をする。


面会の度にやせ細ってはいたが、口は達者で、私の家族の事を聞いてきたりしていた。


面会の翌日の早朝。病院から電話が鳴る。


「呼吸が荒いので今のうちにお会いになりますか?」


すぐに病院へ夫と駆けつける。

もうほぼ意識はなく、でも呼びかけにはまゆをひそめたりしていたので来たのは分かっていたんだろうか?前日の身体を大きく揺らす呼吸ではなく、浅い呼吸。ただ血圧は120あったので、まだ心臓はしっかりしている。


未だ面会制限はあるので、30分ほど居させてもらって、一旦帰宅。


兄には一度会わせてやるか…と思い、連絡。一時間後頃には面会できた様子。


兄から「今面会してきた、最期に会えて良かった」とLINEが入った時に病院から電話。


「呼吸がもう止まりそうなので来て下さい」


駆けつけた時には呼吸はもう止まっていて、5分後には心臓も止まった。


どれほどダメだろうと、誰よりかわいい息子が会いに来てくれて、満足したのかな…と


医師に死亡を診断してもらい、0時15分永眠。暑いくらいの日差しの春の日に旅立って行った。


母が我が家に来て、介護施設に入って、そして入院してから計約3年。


最初の頃は複雑な思いではあったけど、看取る事ができて娘としては良かったと思う。


母にはお疲れ様、と別れを告げた。

母が胆管にチューブ挿入して1ヶ月後。


高熱。そして黄疸。

膵臓ガンがチューブを押しつぶしているとのことで、急遽金属のものに置き換える事に。


わずか1ヶ月なので進行が早いと思われ、先生からはステントが入らない場合はどうしますか?(それ以上の処置をどこまでやるか?)考えておいてと言われた。


それ以上の処置とは胆管から体外にチューブを出すとか、そういうこと。考えた結果、そこまではもうやらずに緩和しながら様子見ながら看取るということに決めた。


肺の事もあるし、無駄な処置は私は望まない。


本人の意思は分からないけど、病院に入院したままの現状を長く続けて生きて…とまでは思わないだろう。


ERCPは20分ほどで終わり、とりあえず生命の危機は無くなる。


次は1ヶ月ほど後に体内で拡がるステントに置き換えるとの事。


一旦転院して、外泊で処置する予定。



先週火曜日、病棟から電話。


「急ですが今日、病院へ来て頂けませんか?」


整形でも呼吸器でもなく

消化器内科の先生から話があるとの事


イヤな予感しかしない。


血液検査で肝臓の値が悪化

エコーやMRIで検査したら胆管閉塞あり。胆管を圧迫してるものがあって、多分膵臓の腫瘍、ガンの可能性が高い。胆管にチューブを通し胆汁を出さないと黄疸が出て危険…との事。


本人は食事したいとか何とか、気分悪そうでもなくケロッとしてるとの事…ガーン

こういうのはやはり認知症が進んで感覚が鈍くなっているのか…


水曜日にERCPを行い、無事にチューブは通って、ひとまず危機は脱する。


何というか…


気胸にしろ

あ、もう終わった…と思っても

母は運も身体も強いひらめき


あとどれくらい余命があるのか分からないけど、生き抜いて欲しい。