これまでの経緯

 

20代 

子宮腺筋症と診断

 

30代前半

卵巣嚢腫・子宮内膜症と診断

 

30代後半 

結婚と同時に不妊治療開始

(自費採卵2回→凍結卵5個)

不妊治療と並行して、腺筋症や内膜症の治療

(ジエノゲスト・レルミナ・リュープリン等)

 

移植2回→1回着床→24週死産

 

移植2回(2個移植あり)→1回着床→16週流産

 

わたしにとっては2回目の妊娠。


1人目は24週で死産、

2人目は16週で流産しました。









納棺の日


翌日にはわたしの療養期間は解除され、

一般病室に移動しました。



産科は全室個室。

わたしのような状況のひとには

とてもありがたかったです。





旦那さんがコロナ陽性中のため、

葬儀屋さんとの打ち合わせもひとり。




慣れたものでした。

だって、1年も経っていないから。



『骨壷がふたつになっちゃいます』

って、笑って話したのを覚えています。




その日にすぐ、

納棺してもらうことになりました。



納棺には、

看護師さん、助産師さん、葬儀屋さん

が立ち会ってくれました。




家族はわたしひとり。




気丈にしなきゃ。

そう思っていました。




納棺の瞬間。




『あかちゃんを棺に』

と声をかけられましたが、

わたしにはどうしても出来なかった。




前回死産したときには、

旦那さんにお願いしたから。




『出来ないです』

って言っても、

『あかちゃんと触れ合える最後の時間です』

って言われるものだから…




意を決して、抱っこしました。





その瞬間。

わたしのこころの中のストッパーが

外れてしまいました。





こんな泣いたことないっていうぐらい

嗚咽が止まらなくて。





看護師さんたちもいるし、

泣き止まなきゃって思うのに

次から次へと涙が出てくるし、

声も出てくるし。




どうにも出来なくなりました。



大泣きしながら、

なんとか小さな棺へ

あかちゃんを寝かせて。



まわりには

たくさんのお花を

入れてもらいました。







悲しみが止まらない


出棺も終わり、

病室には看護師さんとわたしが残りました。



嗚咽が止まらないわたし。



看護師さんはやさしく抱きしめて

『泣かないから、ずっと心配だったよ。

こういう経験に慣れなくていいんだよ。

悲しくて当然なんだから、ね。』


って、声をかけてくれました。





2回目なんだから、大丈夫!

そう思い込もうとしていた気持ちが

弾けた瞬間だったように思います。



とにかく、とにかく、

泣きました。




自分にもこんな感情があったんだ。

知らないうちにママとしての自分が

いたのかもしれない。




そう、思いました。




その日の記憶は、あまりありません。






最後までお読みいただき

ありがとうございます!



やっぱりこの経験は、

改めて振り返るのもツラいですショボーン

涙が出ちゃいます。



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サムネイル



妊娠した周期に使っていたもの花




温活花