まだ親の管理下にあるうちの小さなトラブルは、たくさんあったほうがいいのかもしれない。
将来の大きな、取り返しのつかないトラブルを避ける、よい学びの機会になるのかもしれません。
友達との付き合い方、SNSとの付き合い方、良い人間関係の築き方、一緒に考えていかないとなと思いました。
娘には、Aちゃんの言いなりにならないように、少しずつ小さなことから、NOと言えるように促してみたいと思います。
家ではわがままだし、何でもかんでも嫌だと言ったりするのですが、外だと人の言いなりになりがちなのだとしたら極端だし、バランス感覚を身に着けてほしい。
相手を理解して適切な距離を保てるような、心を守る人間関係の調整ができるようになれればと思っています。
人によるけれど、人間関係の調整機能がバグっていて下手なのが発達障害、グレーゾーンの人たち(自分も含め)なのだと思う。
自分も適切なバランス感覚や考え方が身についていないから、夫に対してだけやけに攻撃的になったり、人間関係が苦手(めんどくさい?)で引きこもりがちなのだと思ったりします。
誰だって嫌いな人を好きになったり仲良くなったりすることは無理だと思う。
ただ、嫌いな人であっても、いじめたり、攻撃せずに共存することが大事。
そういったスキルを集団生活で身に着けるのも、定型の人よりも難しく手間がかかるのが発達障害という認識です。
というか、今までは個性や自己責任で見過ごされていた人格障害?のような個性も、人権意識の高まりやより良い社会を目指していく上で、幼い頃に見つけて教育で何とかしようとしているのが、今発達障害の子どもが増えている一因なのかと思ったり。
生まれつきの脳の発達の特性も、ほとんどの場合は学んで、適切な対応パターンなどは身につけられると思う。
わかりやすいかと思い、ギバーとテイカーの話をしてみたら
「ギバー1、テイカー1、ギブアンドテイク98」
と娘が呟き、娘の中の感覚はそんな感じなのかな?
よくわからない。
一緒に聞いていた息子は娘に
「ギブアンドテイクは交渉する人だよ。わかる?」
と、今回の件で娘にこんこんと説得?説教していた親の真似をしていました。
交渉する人なのか?
あとは、漠然としているけど、社会や人間関係で上手く立ち回るスキルを身につけるだけではなく、どんな事があっても誠実に真っ直ぐに生きていってほしいと思うし、そのことを念頭に子育てしたいと思いました。
ふと、昔読んで感銘を受けた「7つの習慣」という本を思い出した。
具体的な内容はほとんど忘れてしまいましたが。
もう一度読んでみて、娘や息子にも共有したい気がする。
理想を無理に押し付けることはしたくないけれど、社会生活で大事なことを教えるのは子育てに必要不可欠だと、今回の件を受けて改めて実感しました。
叱らないとか、怒らない育児が推奨されている気がする現在の育児ですが、おせっかいながら、例えばAちゃんみたいな子を叱らずに育てたらどうなるんだろうと思ったりする。
でも、怒っても叱っても、叱らなくても、結果はあまり変わらないのかもしれない。
その人の本質は変わらなくて、なるようにしかならないような気もします。
ただ、こうした方がいいよ、自分や周りの人も平和に幸せに共存できるよ、というようなことを伝え続けるしかないのかもしれない。
面倒なことは後回しにしがちな母親に育てられ、見事に勉強や面倒なことは後回し、面白可笑しく楽しく過ごすのは得意な子たちですが、愛情に守られた単純な世界から、助け合いつつも競争し合う大きく複雑怪奇な世界で生きていかなければならないんですよね。
気を抜くとすぐ気楽な方に流されてしまうのですが、より良く生きるには学ばなければいけないことが多すぎる。
出家して尼さんになりたくなります。
普段から娘は自分の気持ちに首をかしげるばかりだし、「どう思うか」と聞いても「ふつー」とか、どうでもいいみたいな反応。
あとは、泣く天才らしいしくしく泣き。
事前に先程の文章を娘にも読んでもらい、感想を聞きましたが、
「理解できるし、読めたよ」
と。
何でも簡潔な感想になるところは夫そっくりだと思う。
診断を受けていないのでわかりませんが、娘も軽度?に神経発達症(ADHD?受動型ASD?)がある気がしています。
昔から音に敏感で、大きい音が苦手です。
部屋は片付けられず、かばんや道具箱の中も常に混沌としています。
幼い頃はよく迷子になり、落ち着きがなかったです。
こだわりもあり、服装はボーイッシュな感じを好み、スカートや女の子らしい服装は断固拒否!
そういえば、2歳代の頃は服を着るのを拒否していた時期がありました。
手に負えなかったエピソードは数え切れないほどありますが、2歳の子はそんなもの、というような風潮もあり、こんなものなのかーとやり過ごしていました。
2歳でも夜泣きがあったり、逆ルンバとあだ名がつくほど家中ありとあらゆる場所を荒らし回り散らかし回り、好奇心が旺盛なのか?目を離したら一瞬でいなくなるので、周囲と比較するとおかしいな?とは思っていました。
靴下は左右別々のものを履いていったりします。(←これは自分もで、夫におかしいと言われます)
神経発達症には数百の遺伝子が関係しているらしいので、ADHD、ASDだからこうだ、という単純なものではない。
当然それぞれに個性があるのだと思う。
人格障害も神経発達症なのではと思ったり。
知識も何も無いときは、面白い子だな、と捉えていた一面も、発達障害かもというフィルターを通すと、何もかもが心配になってきます。
面白い子だな、と肯定的に思える感覚を大事にしたい。
神経発達症の支援の程度は自治体にも左右されるようで、自宅の自治体は児童精神科も予約が取れません。
福祉というのはみんながみんな気軽に利用すれば大事な資源が困窮するわけだし、面白い子、と捉えられる程度であれば支援は必要ないとも思います。
ただ、今回トラブルがあり、学校の先生との面談で相談したところ、中学生になる前に発達検査を受けることにしました。
娘の担任の先生は二年連続同じ先生なのですが、はっきりとは言わないけれど、娘に発達の凸凹があるとは思っていたようです。
勉強面では今のところ問題はないのですが、精神年齢の低さも気になります。
ただ、そういう子の方が多いとも言っていました。
平均の真ん中がボリュームゾーンだけど、発達の偏りがあるグレーゾーンの子たちも、合計すればボリュームゾーンを超すし、かなりの割合を占めている。
療育センターに連絡して、児童精神科医の診察は半年〜七か月後だそうです。
娘の発達の傾向を知っておくと、適切な対応ができるようになるし、今後の勉強方法にも活かせる。
また、SNSとの付き合い方など、娘のソーシャルスキルトレーニング全般のアドバイスもいただけるようで、学校のスクールカウンセラーの予約もしてもらいました。
娘について一番心配なのは、年齢相応の自己開示、自己理解?や状況の説明をできないことです。
困った時や辛い時に周囲に適切に助けを求められないと思うので、今後どんどん複雑になっていく社会で、適応障害を起こさないか心配しています。
自分も専業主婦で引きこもりというのは、社会不適合を起こしていると思う。
子どもは遺伝子が半分同じなので、自分を投影して心配してしまうところがある。
自分は本質がマイペースで自分本位なので、人に合わせるのが苦痛だし疲れます。
娘はよくAちゃんと上手く仲良くしているなと、感心してしまう。
療育センターに相談したのは、過剰だった気もしました。
トラブル対応でパニックになっていた時は、心配のあまり最悪の事態を考えてしまったりして、何とか娘の人生を守らなくては、と考えすぎていました。
スクールカウンセラー経由?で教育委員会で簡易的?に医師の診断を伴わない発達検査が受けられるらしく、娘や息子の場合はそちらを利用して、児童精神科の受診よりも、まだ前段階の見守りでよかった気がします。
ただ、相談したことで自分一人で背負う気持ちにならなくてもいいんだと、少し気が楽になりました。
普段相談できる人といえば夫くらいしかおらず、その夫は回り道をせずにズバッと極端な決断をするので、根本的に考えが合わないし、喧嘩になる。
息子のことも心配なので、相談しました。
娘と息子が社会に出てものびのびと活躍できることを願うばかりです。
発達障害の子が増えているらしいです。
社会の要求水準が高くなったとか、診断が増えただけとか、情報過多の社会に子どもたちが適応しているとか、いろいろ考えられる。
昔の価値観、古い社会の枠組みに子どもたちを押し込めるのも限界に来ているのだと思う。
人付き合いの大切さとかを説いても、大人の世界で国と国とが戦争していたりすれば説得力がないし、もはやみんな一緒よりも、個人の幸せをそれぞれに追及できる環境の整備をしたほうが平和だろうとも思う。
国もどんどん解体されたほうがいいような気がします。
現代社会の発展のスピードには、今後は誰もついていけなくなることが予想されているし、言い方は悪いけど、AIからすれば、人間はみんなが知的障害者となるわけです。
みんながより良い支援を受けてより良い人生が送れるようになる未来への過渡期だと思いたい。
ポンコツ母の立場で今現在の話をすると、子育てが気楽に楽しめない社会だとつくづく思う。
少子化になるのは当然だと感じる。
個人的な被害妄想かもしれないけれど、自分の子を自分で育てているだけで社会から取り残されて無能扱いされている気がします。
貢献度が高い人が報われる仕組みもわかるけれど、ランダムに理不尽に能力を振り分けられた人生で、それぞれみんな貢献していると思っています。
トラブル対応、単細胞の自分は頭がパンクします。
ハムちゃんで癒される。
ハムスターはすべてが可愛いです。
娘やAちゃんたちが、
「ハムスターになりたい」
と言っていて、たぶん人間ってみんな頑張りすぎるんだよな、思いました。
今回学校の先生から突然電話があり、電話が苦手なので、心を落ち着かせるために手元の紙に一心不乱に「日記」という文字を書いてなぞっていました。
こういう時って無意識に手が動いているし、電話を切ったあとに、「何だこれ?」となりました。
将来の大きな、取り返しのつかないトラブルを避ける、よい学びの機会になるのかもしれません。
友達との付き合い方、SNSとの付き合い方、良い人間関係の築き方、一緒に考えていかないとなと思いました。
娘には、Aちゃんの言いなりにならないように、少しずつ小さなことから、NOと言えるように促してみたいと思います。
家ではわがままだし、何でもかんでも嫌だと言ったりするのですが、外だと人の言いなりになりがちなのだとしたら極端だし、バランス感覚を身に着けてほしい。
相手を理解して適切な距離を保てるような、心を守る人間関係の調整ができるようになれればと思っています。
人によるけれど、人間関係の調整機能がバグっていて下手なのが発達障害、グレーゾーンの人たち(自分も含め)なのだと思う。
自分も適切なバランス感覚や考え方が身についていないから、夫に対してだけやけに攻撃的になったり、人間関係が苦手(めんどくさい?)で引きこもりがちなのだと思ったりします。
誰だって嫌いな人を好きになったり仲良くなったりすることは無理だと思う。
ただ、嫌いな人であっても、いじめたり、攻撃せずに共存することが大事。
そういったスキルを集団生活で身に着けるのも、定型の人よりも難しく手間がかかるのが発達障害という認識です。
というか、今までは個性や自己責任で見過ごされていた人格障害?のような個性も、人権意識の高まりやより良い社会を目指していく上で、幼い頃に見つけて教育で何とかしようとしているのが、今発達障害の子どもが増えている一因なのかと思ったり。
生まれつきの脳の発達の特性も、ほとんどの場合は学んで、適切な対応パターンなどは身につけられると思う。
わかりやすいかと思い、ギバーとテイカーの話をしてみたら
「ギバー1、テイカー1、ギブアンドテイク98」
と娘が呟き、娘の中の感覚はそんな感じなのかな?
よくわからない。
一緒に聞いていた息子は娘に
「ギブアンドテイクは交渉する人だよ。わかる?」
と、今回の件で娘にこんこんと説得?説教していた親の真似をしていました。
交渉する人なのか?
あとは、漠然としているけど、社会や人間関係で上手く立ち回るスキルを身につけるだけではなく、どんな事があっても誠実に真っ直ぐに生きていってほしいと思うし、そのことを念頭に子育てしたいと思いました。
ふと、昔読んで感銘を受けた「7つの習慣」という本を思い出した。
具体的な内容はほとんど忘れてしまいましたが。
もう一度読んでみて、娘や息子にも共有したい気がする。
理想を無理に押し付けることはしたくないけれど、社会生活で大事なことを教えるのは子育てに必要不可欠だと、今回の件を受けて改めて実感しました。
叱らないとか、怒らない育児が推奨されている気がする現在の育児ですが、おせっかいながら、例えばAちゃんみたいな子を叱らずに育てたらどうなるんだろうと思ったりする。
でも、怒っても叱っても、叱らなくても、結果はあまり変わらないのかもしれない。
その人の本質は変わらなくて、なるようにしかならないような気もします。
ただ、こうした方がいいよ、自分や周りの人も平和に幸せに共存できるよ、というようなことを伝え続けるしかないのかもしれない。
面倒なことは後回しにしがちな母親に育てられ、見事に勉強や面倒なことは後回し、面白可笑しく楽しく過ごすのは得意な子たちですが、愛情に守られた単純な世界から、助け合いつつも競争し合う大きく複雑怪奇な世界で生きていかなければならないんですよね。
気を抜くとすぐ気楽な方に流されてしまうのですが、より良く生きるには学ばなければいけないことが多すぎる。
出家して尼さんになりたくなります。
普段から娘は自分の気持ちに首をかしげるばかりだし、「どう思うか」と聞いても「ふつー」とか、どうでもいいみたいな反応。
あとは、泣く天才らしいしくしく泣き。
事前に先程の文章を娘にも読んでもらい、感想を聞きましたが、
「理解できるし、読めたよ」
と。
何でも簡潔な感想になるところは夫そっくりだと思う。
診断を受けていないのでわかりませんが、娘も軽度?に神経発達症(ADHD?受動型ASD?)がある気がしています。
昔から音に敏感で、大きい音が苦手です。
部屋は片付けられず、かばんや道具箱の中も常に混沌としています。
幼い頃はよく迷子になり、落ち着きがなかったです。
こだわりもあり、服装はボーイッシュな感じを好み、スカートや女の子らしい服装は断固拒否!
そういえば、2歳代の頃は服を着るのを拒否していた時期がありました。
手に負えなかったエピソードは数え切れないほどありますが、2歳の子はそんなもの、というような風潮もあり、こんなものなのかーとやり過ごしていました。
2歳でも夜泣きがあったり、逆ルンバとあだ名がつくほど家中ありとあらゆる場所を荒らし回り散らかし回り、好奇心が旺盛なのか?目を離したら一瞬でいなくなるので、周囲と比較するとおかしいな?とは思っていました。
靴下は左右別々のものを履いていったりします。(←これは自分もで、夫におかしいと言われます)
神経発達症には数百の遺伝子が関係しているらしいので、ADHD、ASDだからこうだ、という単純なものではない。
当然それぞれに個性があるのだと思う。
人格障害も神経発達症なのではと思ったり。
知識も何も無いときは、面白い子だな、と捉えていた一面も、発達障害かもというフィルターを通すと、何もかもが心配になってきます。
面白い子だな、と肯定的に思える感覚を大事にしたい。
神経発達症の支援の程度は自治体にも左右されるようで、自宅の自治体は児童精神科も予約が取れません。
福祉というのはみんながみんな気軽に利用すれば大事な資源が困窮するわけだし、面白い子、と捉えられる程度であれば支援は必要ないとも思います。
ただ、今回トラブルがあり、学校の先生との面談で相談したところ、中学生になる前に発達検査を受けることにしました。
娘の担任の先生は二年連続同じ先生なのですが、はっきりとは言わないけれど、娘に発達の凸凹があるとは思っていたようです。
勉強面では今のところ問題はないのですが、精神年齢の低さも気になります。
ただ、そういう子の方が多いとも言っていました。
平均の真ん中がボリュームゾーンだけど、発達の偏りがあるグレーゾーンの子たちも、合計すればボリュームゾーンを超すし、かなりの割合を占めている。
療育センターに連絡して、児童精神科医の診察は半年〜七か月後だそうです。
娘の発達の傾向を知っておくと、適切な対応ができるようになるし、今後の勉強方法にも活かせる。
また、SNSとの付き合い方など、娘のソーシャルスキルトレーニング全般のアドバイスもいただけるようで、学校のスクールカウンセラーの予約もしてもらいました。
娘について一番心配なのは、年齢相応の自己開示、自己理解?や状況の説明をできないことです。
困った時や辛い時に周囲に適切に助けを求められないと思うので、今後どんどん複雑になっていく社会で、適応障害を起こさないか心配しています。
自分も専業主婦で引きこもりというのは、社会不適合を起こしていると思う。
子どもは遺伝子が半分同じなので、自分を投影して心配してしまうところがある。
自分は本質がマイペースで自分本位なので、人に合わせるのが苦痛だし疲れます。
娘はよくAちゃんと上手く仲良くしているなと、感心してしまう。
療育センターに相談したのは、過剰だった気もしました。
トラブル対応でパニックになっていた時は、心配のあまり最悪の事態を考えてしまったりして、何とか娘の人生を守らなくては、と考えすぎていました。
スクールカウンセラー経由?で教育委員会で簡易的?に医師の診断を伴わない発達検査が受けられるらしく、娘や息子の場合はそちらを利用して、児童精神科の受診よりも、まだ前段階の見守りでよかった気がします。
ただ、相談したことで自分一人で背負う気持ちにならなくてもいいんだと、少し気が楽になりました。
普段相談できる人といえば夫くらいしかおらず、その夫は回り道をせずにズバッと極端な決断をするので、根本的に考えが合わないし、喧嘩になる。
息子のことも心配なので、相談しました。
娘と息子が社会に出てものびのびと活躍できることを願うばかりです。
発達障害の子が増えているらしいです。
社会の要求水準が高くなったとか、診断が増えただけとか、情報過多の社会に子どもたちが適応しているとか、いろいろ考えられる。
昔の価値観、古い社会の枠組みに子どもたちを押し込めるのも限界に来ているのだと思う。
人付き合いの大切さとかを説いても、大人の世界で国と国とが戦争していたりすれば説得力がないし、もはやみんな一緒よりも、個人の幸せをそれぞれに追及できる環境の整備をしたほうが平和だろうとも思う。
国もどんどん解体されたほうがいいような気がします。
現代社会の発展のスピードには、今後は誰もついていけなくなることが予想されているし、言い方は悪いけど、AIからすれば、人間はみんなが知的障害者となるわけです。
みんながより良い支援を受けてより良い人生が送れるようになる未来への過渡期だと思いたい。
ポンコツ母の立場で今現在の話をすると、子育てが気楽に楽しめない社会だとつくづく思う。
少子化になるのは当然だと感じる。
個人的な被害妄想かもしれないけれど、自分の子を自分で育てているだけで社会から取り残されて無能扱いされている気がします。
貢献度が高い人が報われる仕組みもわかるけれど、ランダムに理不尽に能力を振り分けられた人生で、それぞれみんな貢献していると思っています。
トラブル対応、単細胞の自分は頭がパンクします。
ハムちゃんで癒される。
ハムスターはすべてが可愛いです。
娘やAちゃんたちが、
「ハムスターになりたい」
と言っていて、たぶん人間ってみんな頑張りすぎるんだよな、思いました。
今回学校の先生から突然電話があり、電話が苦手なので、心を落ち着かせるために手元の紙に一心不乱に「日記」という文字を書いてなぞっていました。
こういう時って無意識に手が動いているし、電話を切ったあとに、「何だこれ?」となりました。