ほんとうに起こったラブストーリー(1分で感動より) | せなせなのブログ

せなせなのブログ

がんばるまん

$たまご屋社長のブログ



1942年の冬のその日は寒かった

凍えるほど暗くて寒かった

だが、ナチスの強制収容所での毎日はいつもそうだった

わたしは薄いぼろぼろの服にくるまって震えながら立っていた

まだ、その悪夢が現実だとは信じられなかった

ほんの少年だったのだ

友達と遊んでいる年齢

学校へ通い
未来を夢見ている年齢だ

だが
そんな夢は生きている者のもので
わたしはもはやその一員ではなかった

わたしはほとんど死にかけていた

ユダヤ人として連行されて以来
1日1日
1時間1時間をやっとの思いで生き延びていた

明日も生きていられるだろうか?

今夜
ガス室に連れて行かれるのだろうか?

わたしは鉄条網のそばを行ったり来たりして
がりがりに痩せた身体を温めようとした

空腹だったが
思い出すかぎりいつも腹を空かせていた

いつだって飢えていたのだ

まともな食べ物など夢のようなものだった

毎日
何人かが消えていく

幸せな過去も夢のようだった

わたしはますます深く絶望に沈んでいった

ふいに
鉄条網の向こう側をひとりの少女が歩いているのに気づいた

少女は立ち止まって
悲しげな顔でわたしを見た

わかるわ
と言っているような瞳だった

あなたがどうしてこんなところにいるのか
わたしにも理解できないもの

わたしは目をそらしたかった

見知らぬ少女にそんなふうに見られて
なぜか恥ずかしくなった

だが
彼女から目を離すことができなかった

少女はポケットに手を入れ
真っ赤なリンゴをひとつ取り出した

つやつやと美しい真っ赤なリンゴだ

この前
リンゴを見たのはいつだっただろう!

少女は注意深く左右を見まわし
それから
よかったというように微笑んで
そのリンゴを鉄条網ごしに投げてよこした

わたしはリンゴを拾いに走り
凍えて震える指でつかんだ

わたしがいた死の世界で
そのリンゴは生命を
愛を表していた

目をあげると
去っていく少女が目に入った

翌日の同じ時刻
わたしは引き寄せられるように鉄条網のそばに行かずにはいられなかった

あの少女がまた来ると考えているなんて
頭がどうにかしているんじゃないか?

もちろん、そうだろう

だがあそこでは
どんな小さな希望のかけらでも求めずにはいられなかった

彼女はわたしに希望を与えてくれた

その希望をしっかりとつかみたかった

彼女はやって来た

そしてまた
同じ優しい微笑みを浮かべながら
リンゴを投げてよこした

今度はうまく受け取り
高々とかかげて彼女に見せた

彼女の目がきらきら光った

わたしを憐れんでいるのか?

そうかもしれない

だが、かまうものか

彼女をみつめているだけで幸せだった

ほんとうに久しぶりに
人間らしい思いに心が揺れるのがわかった

それから7ヶ月
わたしたちはそうやって会い続けた

ときには
わずかながら言葉を交わすこともあった

リンゴだけがやりとりされることもあった

だが
彼女はわたしに食べ物をくれただけではなかった

彼女は天使だった

私の魂に糧を与えてくれたのだ

そして
なぜかわたしもまた彼女の魂の糧になっていると感じた

ある日
恐ろしい知らせを聞いた

わたしたちはべつの収容所に移されるという

すべてが終わってしまうのだろうか

あの少女とも
もう会えない。。。

翌日
彼女が来てくれたとき
わたしの胸ははりさけそうだった

「明日はもう
リンゴを持ってこないで

ぼくはべつの収容所に送られる

もう
二度と会えないよ」

わたしはそれだけ言って
走って鉄条網から離れた

振り返る勇気はなかった

振り返ったら
涙でぐしゃぐしゃになた顔を見られてしまう

何ヶ月かが過ぎ
悪夢は続いた

けれど
あの少女の思い出が
恐怖と苦痛と絶望のなかでわたしを支えてくれた

何度も何度も彼女の顔を
優しい瞳を
穏やかな言葉を思い浮かべ
リンゴの味を思い出した

ある日
思いがけなく悪夢は終わった

終戦だ

まだ生きていたわたしたちは解放された

わたしは家族を含め
大切なものをすべて失った

だが
あの少女の思い出だけは心に抱き続けていた

その思い出に勇気づけられながら
アメリカに渡って新しい人生を始めることになった

歳月がたった
1957年
わたしはニューヨークに暮らしていた

友人が知り合いの女性とデートをしないかと誘ってくれた

わたしはしぶしぶ承知した

ところが会ってみると
ローマというその女性はすてきなひとだった

彼女もやはり移民だったから
少なくとも共通の話題があった

「戦争中はどこにいらしたんですか?」

移民同士が戦争中のことを尋ねるときの
微妙な心遣いにあふれた言葉でローマはやさしく尋ねた

「ドイツの強制収容所です」
わたしは答えた

ローマは遠くを見るような目になった

何か辛い
だがなつかしい出来事を思い出しているようだ

「どうしたの?」

「ああ
ちょっと昔のことを思い出したんです」

ローマはふいにしみいるような声になって答えた

「わたしもあのころ
強制収容所の近くに住んでいたの

その収容所に男の子が入れられていて
わたしたちはしばらくのあいだ
毎日会っていたわ

彼にリンゴを持っていってあげたのを覚えています

塀越しにリンゴを投げてあげると
彼、とても嬉しそうだった」

ローマは深いため息をついて
続けた

「わたしたちがお互いに何を感じていたのか
うまく言えないんだけれど。。。
どちらもとても若かったし
ほんの少し
話をしただけなんです

でも
これだけは間違いないわ

わたしたちのあいだには豊かな愛があった

彼もきっと
殺されてしまったんでしょうね

ほかの大勢の人たちと同じように。。。

でも
そんなことは考えたくない

だから
あのころのままの彼を覚えていたいのよ」

動悸が激しくなり
いまにも心臓が爆発するのではないかと思った

わたしはローマをみつめて言った

「で、その少年はある日
こう言ったんじゃないかな?

明日はもう
リンゴを持ってこないで
ぼくはべつの収容所に送られる」

「まあ そのとおりよ」

ローマの声は震えていた

「でも ハーマン
どうして 
そのことを知っているの?」

わたしは彼女の両手をとって答えた

「その少年はぼくだからだよ ローマ」

長いあいだ どちらも黙っていた

見つめ合った目をそらすことができなかった

わたしたちはお互いの目の奥に変わらぬ魂を
あれほど愛した
決して愛することをやめなかった
一度も忘れることがなかった友だちを見出した

ようやく
わたしは言った

「ねえ ローマ

ぼくたちは一度
引き離された

もう二度ときみと離れたくない

いま
ぼくは自由だ

いつまでもきみと一緒にいたい

結婚してくれないか?」

いつかと同じように輝く目で彼女は答えた

「ええ 結婚するわ」

わたしたちは抱き合った

あのころ
鉄条網がわたしたちを隔てていた

いま
わたしたちを隔てるものは何もない

ローマに再会したあの日からもう40年近くが過ぎた

運命は戦争中にわたしたちを引き合わせ
わたしに希望を約束した

そして
約束を果たすために再会させてくれたのだ

1996年のバレンタインデーに
わたしはローマを連れて
全米で放送されている番組
オプラ・ウィンフリー・ショー
に出演した

何百万人もの視聴者の前で
毎日感じていることを彼女に伝えたかったのだ

「ぼくが飢えていたとき
きみは食べ物をくれた

ぼくはいまでも飢えている

どれほどあってもまだ足りないものに

きみの愛
ぼくが望んでいるのはそれだけだよ」