岡山市北区吉備津
2013.11.26
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本宮社

大吉備津彦命御所
茅葺宮
(かやぶきのみや)
創建由緒

この地方を支配し、崇神天皇が民を導く(まつりごと)の理
念とされた 「教化」 を受け入れなかった
温羅
(うら)を討伐し、
吉備国の平定を遂げた大吉備津彦命は、陣を敷いたここ吉備
中山山麓に構えた御所茅葺宮で仁政を行い、 吉備の人々に
殖産を教えひろめて、吉備文化の基礎を築きました。


創建については諸説あり、大吉備津彦命の五代目の孫、加夜
臣奈留美命
(かやのおみなるみのみこと:下記)が社殿を造り
祖神としてお祀りしたのが
吉備津宮の起源と伝えられていま
すが、大吉備津彦命の弟、若建日子吉備津彦命から三代目の孫、
稲速別命
(いなはやわけ)・御友別命(みともわけ) ・鴨別命(かも
のわけ)
が、始めて社殿を造りお祀りしたとも云われています。

後に吉備海部直
(吉備国の漁労・航海を管理)の娘、黒日売(くろ
ひめ)
を妃(きさき:古代、皇后に次ぐ地位で天皇に仕えてい
た女性)
にしていた第16代仁徳天皇(八幡若宮御祭神
) が吉備
へ行幸された際、大吉備津彦命の偉業を称え、壮大な社殿を
設けられました。

吉備津五所大明神」と総称された本社正宮・本宮社・内宮社・
新宮社・岩山宮の五つの社殿と72の末社があったと伝えられ
ています。
本社正宮は御本殿へ遷宮、本宮社に内宮社・新宮社が合祀
され、岩山宮は吉備中山山腹に現存しています。

吉備国一宮、三備一宮(下記)と称されていましたが、吉備国か
ら備前・備中・備後に分かれた飛鳥時代の701年、 律令制成立
(行政改革) 後、備前・備後に分祀し、備中国一宮と称されま
した。
   三備:吉備国の別称(備前・備中・備後)
   一宮:地域で最も社格の高い神社

備前・備中・備後分祀後も、三備一宮の総本宮(吉備総鎮守
として朝廷から厚い崇敬を受けました。

10世紀に一品(いっぽん) の品位 (ほんい:最も高い級格)
受け、平安時代、927年(延長5年)に取りまとめられた「延喜式
神名帳
(朝廷が管理・保護する神社「官社」の全国一覧)で名神
大社
(霊験・貢献が著しい神:名神を祀る大社)に列格、中世に
は武家の崇敬を受け、 たびたび社殿の修復や社領の寄進があ
りました。

1871年 (明治4年)、国幣中社(古代から中世の地方行政官
国司から奉幣を受ける神社)
に列格。
現在の「
吉備津神社」に改称。
1914年 (大正3年)、官幣中社(祭祀を司る国家の官吏:神祇
から奉幣を受ける神社)
に昇格。
社格制度:1946年(昭和21年)廃止。現在、神社本庁管理。
御陵(中山茶臼山古墳):宮内庁管理。
吉備津宮創建由緒に関わる大吉備津彦命の子孫
加夜 臣 奈留美命(かやのおみ なるみのみこと)
賀陽郡(後の吉備郡、現在の岡山市北区・倉敷市
各一部と加賀郡吉備中央町、総社市全域)
の古代
行政を司っていた賀陽臣(氏族)の始祖。
(加夜→賀夜→賀陽)
稲速 別命 (いなはやわけ)
川嶋縣(備中国浅口郡:現、倉敷市西南部) の古代
行政を司っていた下道臣(氏族)の始祖。
御友 別命 (みともわけのみこと)
吉備の国造 (古代日本の行政官) を代々世襲した
吉備臣(氏族)の始祖。第15代応神天皇の義兄。
鴨別 (かものわけのみこと)
笠臣国(現在の笠岡市、岡山県西部~広島県東部)
古代行政を司っていた笠臣(氏族)の始祖。
本宮社(合祀)御祭神
本宮社 第7代 孝霊天皇
大吉備津彦命の尊父
内宮社 百田弓矢比売命
大吉備津彦命の妃 (妻)
新宮社 吉備武彦命
若日子建吉備津日子命(大吉備津彦命の弟)の子
参 道



吉備中山 (きびのなかやま)

本殿と吉備中山
弥生時代~古墳時代の集落跡、神が降り宿る御神体、神域と
崇める磐座
(いわくら:巨石) を中心とした古代祭祀跡が多数
存在する龍王山(北東部:170.0m)、茶臼山(南西部:162.2m)
が連なる吉備中山。
 
吉備の穴海
を隔てた児島の神之峰
(こうのみね:現、金甲山)
と同じく、神が宿る神奈備
(かんなび)の山として、古代から
自然信仰の対象とされ、吉備国の中心地に鎮座する神体山と
して崇拝されました。
  <ご参考:日本の古代祭祀と神社の起源
 
山腹(境内)に現存する吉備津五所大明神の一つである岩山宮
には、神之峰
(現、金甲山)と同じく、日本書紀(西暦720年編纂)
で日本国土(大八洲)として8番目生んだとされる吉備児島
の国魂
(国土を司る神)、建日方別命(たけひかたわけのみこと)
が祀られています。

崇神天皇の勅命により、この地方を支配していた温羅(うら)
討伐し、吉備国の平定を遂げ、吉備文化の基礎を築いた大吉備
津彦命は、この地で天寿を全うしました。

山頂に御陵、中山茶臼山古墳 (
宮内庁管理) があります。 
全長:130m、前方後円墳。
出土品:特殊器台形埴輪(吉備津神社宝物殿保管)

三角点・標高参照 : 国土地理院 「ウォッちず
遺跡参照: おかやま全県統合型GIS
(岡山県地理情報システム)

埋蔵文化財情報  吉備中山付近
吉備中山細谷川古跡碑

本宮社拝殿横 (右:吉備中山遊歩道)
細谷川 (ほそたにがわ)
茶臼山山頂の御陵付近を源とし、御所「茅葺宮」跡(現、本宮社)
南の吉備中山山麓へ流れ、吉備津神社西の神池へ注ぐ細谷川
は吉備中山とともに平安時代の歌人たちに詠まれた名勝です。
 
真金吹く 吉備の中山 帯にせる
細谷川の おとのさやけさ
吉備の中山が帯にしている細谷川の音は、なんと清らかに
澄んでいることだろうか(真金吹く:吉備国を表す枕詞)
古今和歌集 巻二十 一〇八二 読人不知
(905年(延喜5年)~912年(同12年)頃編纂)
  細谷川が流れ下った御所「茅葺宮」跡(現、本宮社)南には、
吉備国最古の水神 「瀧祭神社」 があります。

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<ご参考>
吉備津神社 公式サイト
岡山県神社庁 吉備津神社