岡山市北区吉備津 |
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創建由緒 |
この地方を支配し、崇神天皇が民を導く政(まつりごと)の理
念とされた 「教化」 を受け入れなかった温羅(うら)を討伐し、
吉備国の平定を遂げた大吉備津彦命は、陣を敷いたここ吉備
中山山麓に構えた御所「茅葺宮」で仁政を行い、 吉備の人々に
殖産を教えひろめて、吉備文化の基礎を築きました。
創建については諸説あり、大吉備津彦命の五代目の孫、加夜
臣奈留美命(かやのおみなるみのみこと:下記)が社殿を造り、
祖神としてお祀りしたのが吉備津宮の起源と伝えられていま
すが、大吉備津彦命の弟、若建日子吉備津彦命から三代目の孫、
稲速別命(いなはやわけ)・御友別命(みともわけ) ・鴨別命(かも
のわけ)が、始めて社殿を造りお祀りしたとも云われています。
後に吉備海部直(吉備国の漁労・航海を管理)の娘、黒日売(くろ
ひめ)を妃(きさき:古代、皇后に次ぐ地位で天皇に仕えてい
た女性)にしていた第16代仁徳天皇(八幡若宮御祭神) が吉備
へ行幸された際、大吉備津彦命の偉業を称え、壮大な社殿を
設けられました。
「吉備津五所大明神」と総称された本社正宮・本宮社・内宮社・
新宮社・岩山宮の五つの社殿と72の末社があったと伝えられ
ています。
本社正宮は御本殿へ遷宮、本宮社に内宮社・新宮社が合祀
され、岩山宮は吉備中山山腹に現存しています。
吉備国一宮、三備一宮(下記)と称されていましたが、吉備国か
ら備前・備中・備後に分かれた飛鳥時代の701年、 律令制成立
(行政改革) 後、備前・備後に分祀し、備中国一宮と称されま
した。
三備:吉備国の別称(備前・備中・備後)
一宮:地域で最も社格の高い神社
備前・備中・備後分祀後も、三備一宮の総本宮(吉備総鎮守)
として朝廷から厚い崇敬を受けました。
10世紀に一品(いっぽん) の品位 (ほんい:最も高い級格) を
受け、平安時代、927年(延長5年)に取りまとめられた「延喜式
神名帳」(朝廷が管理・保護する神社「官社」の全国一覧)で名神
大社(霊験・貢献が著しい神:名神を祀る大社)に列格、中世に
は武家の崇敬を受け、 たびたび社殿の修復や社領の寄進があ
りました。
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1871年 |
(明治4年)、国幣中社(古代から中世の地方行政官:
国司から奉幣を受ける神社)に列格。
現在の「吉備津神社」に改称。 |
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1914年 |
(大正3年)、官幣中社(祭祀を司る国家の官吏:神祇
官から奉幣を受ける神社)に昇格。 |
社格制度:1946年(昭和21年)廃止。現在、神社本庁管理。
御陵(中山茶臼山古墳):宮内庁管理。 |
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吉備津宮創建由緒に関わる大吉備津彦命の子孫 |
加夜 |
臣 奈留美命(かやのおみ なるみのみこと) |
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賀陽郡(後の吉備郡、現在の岡山市北区・倉敷市
各一部と加賀郡吉備中央町、総社市全域)の古代
行政を司っていた賀陽臣(氏族)の始祖。
(加夜→賀夜→賀陽) |
稲速 |
別命 (いなはやわけ) |
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川嶋縣(備中国浅口郡:現、倉敷市西南部) の古代
行政を司っていた下道臣(氏族)の始祖。 |
御友 |
別命 (みともわけのみこと) |
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吉備の国造 (古代日本の行政官) を代々世襲した
吉備臣(氏族)の始祖。第15代応神天皇の義兄。 |
鴨別 |
命 (かものわけのみこと) |
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笠臣国(現在の笠岡市、岡山県西部~広島県東部)の
古代行政を司っていた笠臣(氏族)の始祖。 |
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本宮社(合祀)御祭神 |
本宮社 |
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第7代 孝霊天皇 |
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大吉備津彦命の尊父 |
内宮社 |
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百田弓矢比売命 |
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大吉備津彦命の妃 (妻) |
新宮社 |
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吉備武彦命 |
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若日子建吉備津日子命(大吉備津彦命の弟)の子 |
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弥生時代~古墳時代の集落跡、神が降り宿る御神体、神域と
崇める磐座(いわくら:巨石) を中心とした古代祭祀跡が多数
存在する龍王山(北東部:170.0m)、茶臼山(南西部:162.2m)
が連なる吉備中山。 |
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吉備の穴海を隔てた児島の神之峰(こうのみね:現、金甲山)
と同じく、神が宿る神奈備(かんなび)の山として、古代から
自然信仰の対象とされ、吉備国の中心地に鎮座する神体山と
して崇拝されました。 |
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<ご参考:日本の古代祭祀と神社の起源 > |
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山腹(境内)に現存する吉備津五所大明神の一つである岩山宮
には、神之峰(現、金甲山)と同じく、日本書紀(西暦720年編纂)
で日本国土(大八洲)として8番目に生んだとされる吉備児島
の国魂(国土を司る神)、建日方別命(たけひかたわけのみこと)
が祀られています。
崇神天皇の勅命により、この地方を支配していた温羅(うら)を
討伐し、吉備国の平定を遂げ、吉備文化の基礎を築いた大吉備
津彦命は、この地で天寿を全うしました。
山頂に御陵、中山茶臼山古墳 (宮内庁管理) があります。 |
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全長:130m、前方後円墳。 |
出土品:特殊器台形埴輪(吉備津神社宝物殿保管) |
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細谷川 (ほそたにがわ) |
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茶臼山山頂の御陵付近を源とし、御所「茅葺宮」跡(現、本宮社)
南の吉備中山山麓へ流れ、吉備津神社西の神池へ注ぐ細谷川
は吉備中山とともに平安時代の歌人たちに詠まれた名勝です。 |
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真金吹く 吉備の中山 帯にせる |
細谷川の おとのさやけさ |
吉備の中山が帯にしている細谷川の音は、なんと清らかに
澄んでいることだろうか(真金吹く:吉備国を表す枕詞) |
古今和歌集 巻二十 一〇八二 読人不知 |
(905年(延喜5年)~912年(同12年)頃編纂) |
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細谷川が流れ下った御所「茅葺宮」跡(現、本宮社)南には、
吉備国最古の水神 「瀧祭神社」 があります。 |
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