岡山市南区郡
2013. 9.24
FUJIFILM FinePix HS30EXR


日本の古代祭祀
原始から古代、狩猟・採取生活で暮らしていた山岳と関係の深い人々
が、その自然・水源など生命の恵みに感謝し、雄大さや厳しい自然を
畏れ敬う感情などから山を神聖なものとして、崇拝の対象にする山岳
信仰が発祥、発展しました。

その信仰とともに、険しい地形や自然により僅かな不注意でも命を奪
われかねない環境から、危険な状況に陥る行為を禁じ、自らの安全を
図るための知識として語り継ぎ、教え継いできました。

神が宿る(鎮座する)、降臨する場所(磐座:いわくら)とされた森林・
巨木・巨岩・滝などを擁する領域(神奈備:かんなび)と崇拝した山を、
神域
(常世:とこよ)と人間が暮らしている世界(現世:うつしよ)の境界
として、祭祀が行われてきました。
仏教でも、山を畏れ敬う念から平地にあっても「●●山○○寺」と号
しています。

太陽を森羅万象の生命・恩恵の源と崇拝した
太陽信仰(ご来光を拝む等)
巨石・巨木・水源などに神が宿る、降臨すると畏敬した
自然崇拝、山自体
を崇拝の対象とする
山岳信仰、 日本国土を抱く海を畏れ敬う海神(うな
がみ、わだつみ
) 信仰が、自然や自然現象を神格化した日本古来の信仰
である
神道の根源になりました。

日本民族の総氏神として太陽を神格化した女神「天照大神」を
崇拝する伊勢信仰、 五穀豊穣を祈る田の神・水神信仰、 豊漁と
航海の安全を祈る海神・龍神信仰、 登山・道中・集落の安全を祈
る山神・道祖神、 竈
(かまど)・囲炉裏などの火を使う場所に祀り、
生活の安全を祈る竈神
(かまどがみ)などの民族信仰、等。

縄文時代中期
(約6000年前)から稲作が始まり、弥生時代にかけて
集団農耕・集団生活が広まるにつれ、水源である山の神が、春になる
と里に降りて田の神になり、秋の収穫を終えると山に帰るという信仰
が山裾の集落などで生まれ、祈年祭
(きねんさい)・新嘗祭(にいなめ
さい
)の起源になりました。
祈年祭(きねんさい)
現在の毎年 2月17日、一年の五穀豊穣などを祈る宮中祭祀。(小祭)
前述のとおり元々、民衆が田の神へ祈る民族祭祀でしたが7世紀後
半から国家祭祀として執り行われるようになりました。
新嘗祭(にいなめさい)
現在の毎年11月23日(勤労感謝の日)、天皇が宮中(皇居)の神嘉殿
で、その年に収穫された五穀の新穀を天神地祇
(てんじんちぎ:天地
すべての神々)
に奉上し、天皇御自身もこれを食され、 自然の恵みに
感謝され、国家安泰と民衆の健勝を祈られる宮中祭祀。(大祭)


その後、その時代、その地域の指導者・有力者、その地域に由縁がある
偉人等を顕彰して神格化、祭祀する信仰が生まれました。
その地域、氏族・部族によって個々の神を信仰していましたが、それらの
氏族・部族が交流するにしたがって神々が習合(一つの信仰体系として
構成)していきました。= 勧請・相殿・摂社など


神社の起源
太古は社殿を設けず、神が宿る(鎮座する)、降臨する場所(磐座:いわ
くら)とされた森林・巨木・巨岩・滝などの御神体の前、神奈備(かんなび)
とされた山・丘陵、野原などへ祭事の際に祭壇、神籬(ひもろぎ)を築き、
(仮設し) 祭祀が行われてきました。
現代の土木工事や建築工事を始める前に仮設の祭壇、神籬を築き、
その土地の神・地域の氏神を迎えて工事の無事を祈る鎮地祭、安全
祈願祭などが太古の祭祀形態です。

飛鳥時代の西暦607年、第33代 推古天皇
(初の女性天皇)の「神祇禮祭
の詔」により祭祀後も撤去しない「祭壇を風から守る為の覆い屋」を設け
て祭壇を常設したことが社殿、神社建築の始まりとされています。

神域と現世
(人間が暮らしている世界)の境界に建立されている鳥居は、
社殿の常設化、建築が始まる前から、参道の両端に立てた木と木を注連
(しめなわ)で結んだものが設けられていました。
奈良時代に神社建築の一部として建立され、8世紀頃に現在の形になっ
てひろまりました。


ごく個人的に記述したものです。
専門的な考証を主張し、他の学説等を否定するものではありません。

いにしえの児島 「郡」

新規ウインドウで開きます