岡山市中区祇園 |
|
撮影 |
: |
岡山市北区~中区~南区
2007年~2010年(HP版転載)
使用カメラ・レンズ:下記 |
◆ |
文中のリンクページを追加・一部変更しました。
|
◆ |
ブログテーマを二分化しました。(河川・歴史) |
<文中リンクのご説明> |
青字: |
各ご紹介ページが新規ウインドウで開きます。 |
紺字: |
地図(概略位置)が新規ウインドウで開きます。 |
吉井川(県東部)・高梁川(県西部)と並ぶ岡山県三大河川の
一つ、岡山県の中央部を流域とする一級河川です。
中国山地の朝鍋鷲ヶ山 (あさなべわしがせん、岡山県真庭市
蒜山上徳山、標高1,081m)に源を発し、湯原ダム・旭川ダムを
経て146の支流を合わせながら南流、 岡山市中区の今在家
付近で、江戸時代に開削された放水路 「百間川」を分流した
後、岡山市の中心市街地を貫流して児島湾 に注いでいます。 |
旭川は原始の頃、源の朝鍋鷲ヶ山 (前述)から北の
日本海へ流れていました。 |
【旭川の誕生】
約35万年前(旧石器時代前期)、大山 の噴火による地形変動
で日本海に流れていた旧河道が堰き止められて誕生した蒜山
原湖が、約15万年前(旧石器時代中期)以降の侵食作用により
現在の蒜山盆地の地形になるとともに蒜山原湖の湖水が南部
へ流れ始め、現在の河道の始まりになりました。
蒜山原湖は後に干上がって消滅し、珪藻(けいそう:プランクトン
の殻・化石)が堆積した珪藻土で形成された蒜山高原が誕生し
ました。
上流域では深い渓谷を形成しながら旧石器時代から縄文時代
の人々が河辺に沿って採取・狩猟生活を営んでいた中国山地
の山間を流れ、中流域では吉備高原のなだらかな丘陵や扇状
の盆地などを形成しながら蛇行しています。
下流域は現在の瀬戸内海が形成された約7000年前(縄文時代)
より、龍ノ口山
(岡山市中区)~三野
~津島
~矢坂山 (同北
区)の各南麓を海岸線とした海原 「吉備の穴海」でした。
【吉備国の誕生】
土砂の堆積作用によって河口、島々の間に形成された干潟を
利用した稲の栽培が縄文時代晩期から始まり、海原に浮かん
でいた児島で盛んであった製塩とともに、旭川本流・支流域で
弥生時代に広まった組織的な農耕、古墳時代に広まった製鉄
で畿内・出雲に匹敵する古代屈指の地方国家 「吉備国」 を築
きました。
陸路が整っていなかった古代の交通・運搬経路であった旭川が
集落間、東出雲の伯耆国(現、鳥取県)との交流、物流に活用され、
吉備文化を発展・繁栄させました。
【岡山の誕生】
数世紀を経て河口は更に南下し、その河口へ形成された三角
州に連なった丘陵(岡山、石山、天神山)へ江戸時代に城郭が
築かれ、その中の 「岡山」(現、 | |