2024年 熊野三山初詣~熊野信仰の原点へ② | 玉置の森のブログ

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修験道のお山を中心に登拝しています(^ー^)

新宮市観光協会にて、荷物を預かっていただき、レンタサイクルをお借りしまして、熊野川を渡って、紀宝町へ向かいます。

 

熊野信仰の原点を巡る」、約3時間の自転車の旅が始まります。

熊野川

この川が暴れ川になるのです。恐ろしいものです。

熊野牛鼻神社

熊野最古の神社、と言われています。

ご祭神は、国霊日女尊、高倉下命、誉田別命、詞遇突智命、天児屋根命。創建は約5000年前、と言われています。

 

ご由緒は「景行天皇重ねて南方の悪神を征し給う時、三輪崎荒坂山に軍立し給い、御陣を秋津野に召されて日久しく御粮尽きける時に、熊野村の千翁命稲千束奉りて奉救す依って御陣堅固になり悪神共無為に治まる也。天皇御感のあまり千翁命姓を給い穂積と号す。命に三子あり、榎本、鈴木、宇井、日本武尊熊野村に御鎮座の時、大成榎木の元に檀を築き鈴をもって奉迎するに、右の功を称して三子の屋号とするという。故に本社の祭神は熊野三苗はじめ熊野地方一帯の祖神を祀るところ也」

 

相野川が熊野川に合流する地点に鎮座しており、静かなお宮さんであります。

やっと見つけた!ヽ(^o^)丿

粥森様です!

次に参拝します、飯森神社と対の関係でありまして、ずっと探していたんです!

 

以前、地元の方に聞いたお話ですと、この辺りは伊勢路で熊野に来た場合、最後の宿場町だったそうで、そのお宿に「飯盛女」「粥盛女」なる女中さん、と言えば聞こえがいいですが、あまりいい待遇ではない女性が働いていたそうです。

 

飯森神社創建も江戸末期と言われていますので、そういった悲しい運命を辿った女性を祀るのでは?と言われていますが、想像でしかありません。

こちらが、飯森神社さんです。

 

紀宝町に来る際は、必ずお詣りさせていただいています。

お正月時期にお詣りしますと、セルフ玉串奉奠ができますよ。

覆屋の中には「飯盛粥森様、土伎御神体、飯森神社、飯森庚申」と木札があります。

 

現在は、このように大切に祀られ、護られています。そういった事を念頭に慰霊の意味も込めてお詣りさせていただいています。

神内神社

This is 熊野、って感じの、素晴らしいお宮です。何度訪れても清々しい神気は健在です!

参道も素晴らしい!

御手洗場もあります。

 

神内川で身を清めます。

割拝殿。

 

その先の拝所にて、大祓詞~祝詞を奏上させていただきます。

 

全くもって静寂の中、しっかりとお勤め申し上げました。

社殿がない、100m程ある、巨大な岩壁がご神体であり、花窟神社が海に面して鎮座するのに対して、神内神社は山の中。

ご祭神は、天照大神、天忍穂耳尊、瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、鵜草葺不合尊、と言われていますが、私的には意味を感じません。そのようなお名前は不要であり、ただひたすら、この巨大なご神体に感謝申し上げるのみ。

写真では伝えきれませんが、圧倒的な存在感と静謐感は素晴らしいものがあります。だから熊野は奥が深い!畿内ではないですしね。

ホルトノキ。石を抱いています。神内神社は別名「子安の宮」とも言われて信仰されています。

 

静寂に包まれた神内神社でした。

 

続きます。