南無大師遍照金剛~奥之院へ | 玉置の森のブログ

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修験道のお山を中心に登拝しています(^ー^)

 

令和5年11月19日(日)

一年に必ずお詣りする聖地、聖域がございます。私にもあります。私は大体、お詣りする寺社は固定されていまして、またお詣りする時期も、ほぼ固定化されてきています。1月なら熊野三山、2月なら伏見稲荷大社、3月なら金毘羅詣で、5月は大峰奥駈道と山上ヶ岳月参り、12月は伊勢参宮など、決まっていますが、その中でも、お詣りする時期は定めていなくても、必ず年に1度は最低でもお詣りする聖域が

高野山

であり

奥之院弘法大師御廟

なのであります。

 

やはり、実家が真言宗であり、幼い時から「お大師さん」と呼び親しんでいた事もあり(お大師さま、とは、よう呼ばん💦)、真言宗の寺院、高野山には親しみを感じてしまいます。これは他宗派とは違う所なんですよね。やはり、天台宗や禅宗、日蓮宗の寺院とは全く違うんですよね。これは致し方がないことであると思います。感覚の問題もありますが、明らかに真言宗寺院と他宗派の寺院とは雰囲気が違うんですよね。

 

やはり、頭の中で必ず

南無大師遍照金剛

があるんですよね、うん(;'∀')

 

高野山を初めて訪れたのは、小学校6年生の林間学校が最初であり、それからほぼ毎年お詣りしています。中学生の時も、高校生の時も、遊んでばかりいた20代の頃も、お詣りしていたんですよね。

 

いつもそばにいるのがお大師さん。人生で最も苦しい時期だった時も、いつもそばにお大師さんがいらっしゃいましたし、お寺に行けば、修行大師像がいらっしゃる。

 

私にとっては、伊勢よりも最高の聖地、最大最高の聖地が、お大師さんの御廟なのであります。すっかり観光地化が進んでいる高野山ではありますが、その中でも奥之院の御廟は別格であり続けています。

 

逢いたいときに、逢いに行く。

 

年に1度になるか、何度もお詣りするかは、お大師さんの思し召し。

 

今年はお大師さん御誕生1250年の記念イヤー。善通寺、出釈迦寺&我拝師山、東寺、石鎚山、山上ヶ岳、天河さん等、お大師さん所縁の聖地にお詣りしてまいりましたが、最後は高野山。

 

イベントがある時期は嫌だったですし、紅葉の時期も無茶苦茶多いので、敢えてこの時期に致しました。

 

ちょっと寒かったですけどね(;^_^A

 

それでは、日記をお楽しみくださいませ。

早朝に自宅を出発、難波駅06:00発の急行に乗り、橋本駅乗り換えで高野山に向かいました。

 

ケーブルに乗っていますと、雪が見えてきました。前日に雪が降って積もったそうですよ(;'∀')

南海りんかんバスに乗車し、奥之院前まで一気に参りました。

 

私の最大の目的は、お大師さんの御廟なので(;´∀`)

 

一の橋から歩くのも風情がありますけどね。時間との戦いでもあるので('◇')ゞ

参道には雪が積もっていませんでした。

 

ひんやりしていましたけどね。清々しい空気感でありました。

まぁ、今日もド派手( ̄▽ ̄;)

 

化粧地蔵さんですけどね。どう考えてもお大師さんなんですけどね(^▽^;)

建物の屋根には雪が残っていますね。

一気にやってまいりました!私の最大最高の聖域

高野山奥之院弘法大師御廟

であります。身口意三業を整え参入召されよ(あれ?)

 

今回もしっかりと40分間、お勤めをさせていただきました。早朝出ないとこれはなかなかできませんからね。私にとってはお行でもありますのでね。

 

理趣経、般若心経三巻、お大師さん御宝号108回お唱えさせていただきました。

私は高野山奥之院弘法大師御廟にお詣りされる方に、是非とも行っていただきたいことがあります。それは

読経していただきたい

ってことであります。お詣りの仕方は人それぞれ。私も強制されることは大嫌いなんですが、ここ奥之院御廟は別。

 

お大師さんは今も、生き続けており、衆生の為、世界平和の為、今も祈り続けておられます。今も私達の為に祈っていらっしゃるのです。ですから、ここにお詣りする私たちも、個人的願いは後回しにして(願うな、とは言いません)、先ずはお大師さんと共に祈りを捧げてほしいのです。上手い下手は問題ではありません。お大師さんと一緒に祈ること

共祈り

が肝要なのです(*^^)v

恥ずかしがる事もありません。お大師さんと一緒に般若心経を祈ってる、と思えば何も恥ずかしがることはありません。

 

是非ともお祈り、読経してみてくださいませ。それから個人のお願い事をお大師さんにお伝えくださいませ( ´∀` )

お勤め終了後、しばらく御廟にて佇み、地下法場にてお勤め、久々に個人的なお願い事として、御祈祷をお願い申し上げました。

 

50分後に戻ってきますと、一気にお詣りの方、団体の方が増えてまいりました、やはり、8時過ぎにお詣りするのが寛容ですね。

水向地蔵。

 

御供所にて水向塔婆を三枚お願い申し上げます。

私は必ず弥勒菩薩さんに塔婆を手向けます。

 

以前も書きましたが、水向であって、水掛ではありません。本来の作法は塔婆に三回水を手向け、ご供養することが作法であります。仏様には水を掛けてはなりませんが、足元や手元にやさしく水を掛ける事は構わないと思います。

 

実際、白人男性がお不動さんの足元にやさしく水を掛けていらっしゃいましたが、これは心根の優しい行為だと思いますものね。

 

くれぐれもバシャ!っと掛けないでくださいね(;'∀')

御供所で御朱印と御守を頒布していただきましたが、まぁ、隣国のC国の観光客のマナーが最悪すぎて、お不動さんになりそうでした( ̄▽ ̄;)

今回頒布していただいた御守。

 

左から御誕生1250年記念散華型永代御守、身代御守(これは必ず!)、御祈祷を申し込みましたので、お下がりのお線香、祈祷札が届くまでの代わりのお札とお御影。

 

高野山奥之院の御祈祷は、申込日の翌日から冥加料によって祈祷期間が違います。参座はできません。お札は郵送されます。私は5日間でお願い申し上げました。

 

参座しての護摩祈祷は20日前までの申し込みで5万円であります。

 

参座しての先祖供養は1万円から。時間が定められています。

必ずお詣りしてほしい場所。高野山を救った

木食応其上人廟

であります。私は絶対にお詣りします。

遊行僧でもあり、行者でもありました。豊臣秀吉の紀州征伐が始まり、根来寺、粉河寺が焼かれ、高野山にも危機が迫った時、武将出身の木食応其が交渉役に就て、寺領や武器の没収に応じ、焼き討ちを免れます。秀吉はその時「木食が高野山を救った。高野山の木食ではない、木食の高野山と心得よ」と讃えました。

 

高野山と豊臣家の関係は寺紋にも表れていますね。

 

金剛峯寺の前身、興山寺、青巌寺を建立したのも木食応其上人です。この方がいらっしゃらなければ、今の高野山はあったかどうか。

私の高野山奥之院におけるマイご神木(*^^)v

寒いですがいいお天気です。

 

雨が降ったらロクなことがない高野山( ̄▽ ̄;)

 

ありがとございます(人''▽`)

お大師さん、ありがとうございました!

南無大師遍照金剛

南無大師遍照金剛

南無大師遍照金剛

 

それでは、次へ行ってみよう!

 

続きます。