癒やしの力〜今宮神社へ① | 玉置の森のブログ

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修験道のお山を中心に登拝しています(^ー^)

賀茂別雷神社へのお詣りを終えまして、次のお詣り先であります、今宮神社へ向うのですが、ちょうど良い感じに、賀茂別雷神社境外摂末社が道中に鎮座されていますので、お詣りさせていただきたいと思います。
第七摂社 久我神社。

御祭神は、賀茂建角身神。八咫烏さんで、賀茂別雷大神のおじいさんにあたります。

創建は不詳ですが、賀茂氏が大和から山城に移住するに際して祀った社の1つと見られています。

『山城国風土記』逸文によると、賀茂建角身命は神武天皇の東征に功を成したのち、大和から
①「山代の国の岡田の賀茂(岡田鴨神社)」
②「葛野川(桂川)と賀茂河(鴨川)との会う所(伏見区の久我神社)」
③「久我の国の北の山基(このお宮)」
の順に遷座したと伝わります。何れも式内社です。
御神徳は、篇額に書いてますね(≧▽≦)

付近に賀茂建角身命の墳墓があった、という伝承があるそうです。

久我神社は「氏神社」や「大宮」と呼ばれていましたが、明治五(1872)年に社名を久我神社に改めたそう。

街中にポツンと鎮座されていて、氏神さんの雰囲気が良い感じですよ。
久我神社から歩いて3分くらい?
紫竹貴船神社
御祭神は、高靇神。この付近は賀茂別雷神社の荘園だったそうです。

因みに北区には貴船神社が三社あるそうで、前出の柊野貴船神社、この紫竹貴船神社と深泥池貴船神社。

次回は、深泥池貴船神社もお詣りしましょう。
覆屋。中に小さな祠がありました。北向きに社殿が建てられているそう。

そして、賀茂別雷神社の境外摂社だった、とい話も残るようですが、よくわかりません。
紫竹貴船神社から、歩いて3分くらい。

賀茂別雷神社境外末社 小森神社です。

緑町公園内に鎮座されてますよ(^_^;)

子供達の楽しそうな声が響きます。
御祭神は、水分神。子育ての御神徳で、公園にぴったりなのね(。•̀ᴗ-)✧

小森=子守?
 
元々は、この一帯は大宮の杜の一部で、大宮とは、先程の久我神社の事ですね。紫竹貴船神社の近くに水神?とは思うでしょうが、元はこちらは久我神社境内に鎮座し、紫竹貴船神社は後からの勧請ですからね。

さて、もうすぐ今宮神社ですよ(•‿•)


今宮神社
こちらもおなじみさんですね。

この地には平安以前より疫神を祀る社があり、
一条天皇の御代に、祀る疫神を二基の神輿に齋いこめて船岡山に安置、悪疫退散を祈ったそうで、これが紫野御霊会であり、今宮祭の起源なんだそう。

京の三奇祭、のひとつ・やすらい祭。

長保3(1001)年、一条天皇のご霊夢によって、疫神を鎮め祀る為に、再び紫野の地に御霊会が修せられ、新たに設けられた神殿三宇ともども「新たな社」として、今宮社と名づけられ、今宮神社が創建となりました。
私にとっては、癒やしのお宮さん。

杜が凄い訳でもありませんが、私にとっては、雰囲気が癒やし系なんですよね(≧▽≦)
右が本社、左が疫社。

本社は、大己貴命、事代主命、奇稲田姫命を祀ります。

疫社は、素戔嗚尊。
阿呆賢さんは、触れる事ができますよ。

ちゃんと、消毒用スプレーをしてから触りましたので、ご安心を(^o^;)
疫社の前に梅が咲いてました(ʘᴗʘ✿)

美しいですね。
織田稲荷社。

織田信長公と家臣を祀る。

あまり知られていないのか、お参りする人は少ないですね(^o^;)
🎑月読社🌕

末社で、月読尊を祀ります。
結婚式があるようです。

新郎新婦さんの幸せをお裾分け( ╹▽╹ )

どうぞ、お幸せにヽ(^o^)丿

あ〜、私も結婚したいなぁ〜(無理無理)
末社 若宮社。

元禄七(1694)年建立。

中央の若宮社は伊弉那美神を祀り、右側の賀茂斎院は歴代斎王の御霊、左側の若宮社は、薬子の変に処罰された御霊を鎮めるため祀ったといわれているそう。

中央の若宮社は昔、鷹峯に鎮座する愛宕社を現在の愛宕山に遷した際、御分霊として祀られたと伝えられるそう。

賀茂斎院は、元々、賀茂大神に奉仕する歴代天皇の未婚の皇女(斎王)がおられた座所(櫟谷七野神社付近)の事。賀茂社の例祭・賀茂祭(葵祭)は、斎王の主宰。建暦2(1212)年に斎院が廃止され、今宮社に歴代斎王の御霊をお祀りするため遷されたそう。それに、今宮神社の近くには、斎王が住んだ紫野斎院があったとも。

今日は賀茂別雷神社づくしなので、取り上げてみました( ╹▽╹ )

続きます。