大仙古墳 その2 | okapi(>o<)のブログ

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こないだの大山古墳についてもう少し調べてみました(*^▽^*)

・ 規模=前方後円墳【墓の大きさ】長さ約486m×幅(前方・四角)305m(後円・丸)245m×高さ(前方・四角)33m(後円・丸)36m【外周】2,718m、【3重の壕の内側の面積】464,124㎡(世界最大)、縦長の方の直径は800何十メートルあるそう。造営に16年程かかっているのではと考えられている。

・被葬者=仁徳天皇(16代天皇、誕生257-崩御399、在位313)とされている。この通り生きると誕生から崩御まで142年になるが、古事記・日本書記などには86~87年となっている。先代は応神天皇で墳墓は羽曳野市誉田に大山古墳に次ぎ大きい。2人とも倭の5王に比類されている。皇居は難波高津宮(大阪市中央区)、租税の免除や治水工事などを手がけた。人徳→仁徳。

・時期=円筒埴輪や須恵器などの特徴から5世紀に造営された。須恵器は陶邑釜跡郡(すえむらかまあとぐん)と呼ばれる、今の堺市・泉北ニュータウンを中心に近隣市を含む東西15km、南北9kmにおよぶ泉北丘陵一帯で大規模に焼かれ、各地に運び出されていたのだそう。土師遺跡も古墳付近で発見された。

・土師器と須恵器について=土師器は野焼きでつくられ、質的には縄文式土器や弥生式土器に近く、須恵器は、釜で焼かれ丈夫だが直火だとひびが入るので土師器が用いられた。円筒埴輪については穴が空いているが運搬の際便利なので空けられたのだろうとされている。

・古墳について知ったこと全般=全国で161,500基。被葬者は天皇や豪族。初期には殉死者も一緒に埋葬されていたそうだが、土師氏が埴輪を発明し代用し、11代天皇から土師職(はじつかさ)を与えられ、古墳造営や葬送儀礼に関わった。元々木を植えているわけではない。

・大山古墳と仁徳天皇陵の名称=大山(大仙)はこの地域一帯の名称を指す。この時代に天皇の称号が用いられてなかったのと(大王・おおきみ)、きちんと被葬者を確認できないため、大山古墳または大山陵古墳に呼称がかわっている。江戸時代にも仁徳天皇陵だと考えられていた。また当時内部の調査が行われた際には装飾品は既に盗掘に遭っていたそう。

まだまだ、知らないこと沢山ありますが・・・