三連休が3回も続いてフィーバータイムな感じです。
どうも、okap36です。
毎週金曜日は、年間35時間のうちの週1である道徳な日。
昔の道徳と言えば、
「おはなしの国」
「がんこちゃん」
「ばけるの小学校」
「さわやか3組」
を観て、先生が
「どう思った?」
て聞くのが定石だと思っていた。
だから、道徳はTV観る時間だと思っていたが、今や道徳は、
「考え議論する道徳」なんです・
自分事に置き換えて
とかそんな話で授業を組み立てていきます。
今回の教材は「わりきれない気持ち」
あらすじとしては
朝、学校に早よついて、ちょっと窓あけたり、黒板きれいにしたり、本棚整理したりして、気分がよくなっていく。
放送当番の仕事もばっちりできたけれど、そこから急転直下。
「日直の人、よくやってくれました、」
と先生が言う。そして、日直はそんなんやってないのに、自分がやっていません、とも言わず時が過ぎる。主人公の私も、
結局言えずじまいで、その日、もやもやして過ごす。さらに兄に
「そんなん誰がやってもいいじゃないか。」
という言葉にさらにもやもやして、布団に入る。
という話である。
もしかしたら、学校でよくある話である。
もやもやしている私がそう思ってしまったのはどうしてか。
子供達の話からは、
「自分がほめられたいと思っている。」
「仕事はみんなのためにやるもんやから、主人公みたいに思うと、しんどい。」
「日直がやっていないと言わない勇気と、主人公自身がそれを担任に言わない勇気が足りないもの問題かも。」
という話が飛び交う。
なるほど。そういう考えがあるのか、思いながら。
「じゃあ、あなたたちは、主人公のように、ほめられたり、何かごほうびがあるから、家や学校の仕事をしようとは思っていませんか?」
と聞くと、
0人・・・仕事をほめられるや、報酬のためにする
35人・・・仕事はほめられるためにするのではない
という極端な意見に。
ここから勝負。
「本当?本当に、ごほうびあげるから、とかで自分自身動いたことないの?ほめられたいから仕事をやろうとしたことはない?」
と揺さぶりをかけると、
15:20の人数に。
本音を出してきたな笑
ここからがタイトルの本題。
STR的に、その意見はどうか。
以下の通り。
左側が、
A;仕事はほめられたいから報酬のためにする・・・15人
〇5人 □7人 △5人
B;いやいや、そうではない・・・20人。
〇10人 □5人 △6人
□タイプ・・・自分軸で動く
〇タイプ・・・相手軸で動く
Aの意見としては
がんばってものがもらえれば、それ以上なものはない!・・・□3
自分が頑張った分だけ、もらえたり、ほめられたらうれしい・・・□2
サンタクロースは、1年間頑張っている自分をみてくれているから、プレゼントをくれる・・・□2
ほめられたら気持ちがいい!・・・△1
たまには、自分が頑張っていることをほめてもらえると嬉しい・・・□4
Bの意見として
自分がお手伝いが好きだから、別になんかもらわなくてもよい・・・〇3
むしろ、お小遣いとかもらったら、逆に悪い気がする。いつもやってもらっていることをお金にかえるなんて・・・〇2
毎日のことだから、家族のためにやって当然・・・〇3
みんなのために、自分が役立てばいいと思う・・・□4
そんなことじゃあ、自分の成長はない!・・・△2
とそんな意見が。
おおよそ、分けたときに、こんな意見言うだろうなという見立てが立つから、より深めたい意見の時に、STRがとても有効だなあと思えた。
でも、この話は、勤労・感謝の内容項目であるから、日本人的な「陰徳」が美学である。
しかし、それでいいんだろうか。
□的な考え、「私がやりましたよ!」という自己アピールがあってもいいんでないか。いいことの見える化=陽徳。実力至上主義な考えも。アメリカ的な笑
陽徳を美徳とするか、陰徳を美徳とするかは、自分次第だし、その場所次第。
日本的な要素も取り入れつつ。外国的な考えの要素を知るもこれからは大切なのかな。と。
後で書いた感想に
Bの意見の子が、、
「自分は、何かやって、ごほうびをもらうようなことは家ではないけれど、それも頑張れる理由としてありかなと思いました。」
Aに考え直していました。新しい考えに触れる時間になったかな。子供の素直な心は、人とのコミュニケーションによって、広がっていくんだなあと改めて教えてもらえました。
新たな発見、てとは、脳が緑な瞬間でしょうね!












