体育でやっている野球の線が一筆書きのように、無駄なく最短距離でかけています。
効率重視、□2のokap36です。
今朝、以前紹介した本を読み進めていた。
DONDOKODON!(解散したのか?最近見ないけど)のぐっさんこと
山口智充さんとの対話の中で、こんなことが書いていた
先生がやっていらっしゃる授業を見せていただいていると、一つのショータイムです。(中略)
いかに先生が40人ないし50人の子供を惹きつけるか。入ってくるときから出囃子があってもいいと思います。
確かに45分が一つのショータイムとすれば、お客さんを飽きさせてはいけないし、いかにお客を満足させるか。
自己満ではない。
お客=子供達である。
子供の反応や、姿って、先生の姿の写したもんであるなあと思う。
この本の一説に
「このクラス、全然発言しないんですよ。」という話しがあった。
もしかしたら、全国の教室のどこかで、そんな教室があるかもしれない。
でも、それには続きがあって、
「それは〇×先生の時だけだね。」
と先輩先生から言われる場面がある。
かなりきつい一言である。
でも、そういうのが事実としてある。
目の前で起こっている事象は、ある意味、教師の責任も多くはあるのかなと思う。
モンスターペアレントが生まれるのは、教師のせいになるときもあるよな、思っている。
子供と先生の関係のぎくしゃくさや不信感の多さ。
学校に意見をくださる方は、熱心な方である。
子供をよくしようというのは、親の願いであり。教師の願いである。
さらに教育の願いだと思う。
熱くなられる前に、こちらが熱くなる。
教室や授業が楽しかったら、家に帰って子供は勝手に話したくなる。
以前、
「学級通信を作ってください。」
と頼まれたことがある。
「子供から様子を聞いてください。」
と返答した。
親と子のコミュニケーションの機会を、教師の見方で伝えるだけでは、伝わらないものがある。
学級通信を素に、親子の会話がはずむような学級通信や会話のきっかけになるのなら、それはそれで必要かとは思うが、
子供があーやこーやと学校のことを食卓の話題になるほどになってくれれば、教師冥利につきる。
嬉しかったことや楽しかったこと、クラスでの出来事などを子供なりに親に話すチャンスがあれば、親はやることがたくさんあっても、親には子の声を聴いてほしいと思う。それでこそ、親子関係をつなぎ合わせられるものなのではないか。
では、そのために、どうするか。
やっぱ、それは授業かな。と強く思う。
退屈だったら、なんも話はしないし、もし、家に帰って、親が
「今日学校どうだった?」
と聞いたとしても
「いつもと一緒。」とか「普通。」
とかで終わらせてしまうんではないかなと思う・
もともと話しのが得意でない人もいるかもしれない。
でも、心で感じてくれた人は、自然に話すだろう。
そんないい空気をすった教室をつくりたいなあと思う。
1日に45分の舞台が6回。
先日吉本新喜劇を観に行ったとき、あるベテランの漫才師が
「僕ら、10分間の舞台が、一日3本ですねん。休憩時間がこれ終わったら、3時間。このあとお昼休憩やで。1日6時間半休憩で30分労働。働き方改革というたもんじゃなぁ!」
と笑いをとっていた。
吉本で働く芸人さんよりもショータイムの時間が長く多い。
だったら、そこで、自分の腕を磨く以外ないんじゃあないかなぁと今朝の本を読んでそう考えたのである。
脳が緑になれるようなショータイムが見られれば、
「喜んで登校、満足して下校」するのではないだろうか。
一緒に頑張りたい先生は、連絡待ってます。










