『二元論』は不自由だ。 | おかんのちゃぶ台☆しゃべりと歌でココロにアプローチする主婦 ・ ババーランド(仮)代表

おかんのちゃぶ台☆しゃべりと歌でココロにアプローチする主婦 ・ ババーランド(仮)代表

あなたに、伝えたい。
ちゃぶ台で紡ぎ出されるコトバたち。
1968年生まれの、女 兼 妻 兼 母 兼 主婦
心理学・セラピー・カウンセリングあたりを得意技に
オールマイティに暮らしています。
そんな"おかん"の日々の雑記。すべては、愛ですよ、愛。

ここに、1と2がある。

ある場面においては、
1が大事で2はいらんかもしれん。

また、ある時には、
1は嫌だけど2は好きかもしれん。

かと思えば、違う日には、
1も2もどうしても大切かもしれん。

とはいえ、結局、
1も2もいらないものかもしれん、



1と2が存在すれば、
少なく見積って、上のようなことが起きると思う。

それなのに、
なぜ、

1か2か

などと考えてしまうのだろう。


その1と2が何であるのか、
それらがどんな関係性であるのか、
また、どんな時と場合なのか、
それぞれの条件による
…と言うのだろうか?


では…1と2の、
「どちらかでなければならない場合」
ってどんな時なのだろう。

それは
「どちらでもかまわない場合」
とは違うのだろうか。

それは
1か2でなければならないのか?

1でなければ、2?
2でなければ、1?

本当に、1と2、しかないのだろうか?


1でなければ2、と何故言えるのか、
2でなければ1、と何故言えるのか。



本当に、そうだろうか?


どうして、それしか見えていないのだろうか。


これは「疑い」ですか?

1と2だけが「事実」なのですか?




それは、本当ですか?







「本当でなければ嘘」ですか?
「嘘でなければ本当」ですか?