私が、エラソーにモノを言うのはね。
もともとはね。
そうしないと、
身が、
自分が、
もたなかった、から。
自分で、
自分自身を、
「そうなのだ」
と、言葉で言うのが、
いちばん早かったからだ。
これは、
経験で、
得た知恵だったと思う。
他人にどうこうするつもりも、
少しはあったけれども、
それよりも、
自分を、
少しでも、
まっすぐに保ちたかった。
私のカラダに、
ぶら下がるものがあるときには、
まっすぐ、
顔は前を、
つむじは上を、
そちらを向いていなければ、
倒れてしまう。
前に進むのなら、なおさらだ。
たくさん、泣いた。
なんで泣いたのか、よくわからないけど。
でも、
泣いたぶんだけ、
HPやMPや経験値が増えた、
LVも上がった。
だからね、
初めは、
誰かの真似をして、
言ってみたんだ。
エラソーに。
そしたらね、
他人がどうこうじゃなく、
自分がね、
自分の言う事を聞くようになった。
そしたらね、
だんだん、他人の言うことが、わかるようになってきた。
新しい技を覚えた。
以前とは違うわかり方ができるようになった。
気づけば。
今はね、
私のエラソーは、
私の中から出てくることだよ。
初めは、私の中から出たことだけど、
誰かを真似た言葉だった。
今は、足りないなりに、
私の中の言葉を使うてる。
まっすぐ立ててるか、
あやしいこともあるよ。
すべてが、
休み休みになってきたよ(笑)
けどね、
動揺は、
今でもするけど、
倒れるほど、
自分が持てないことは、なくなった。
「あなたがそうなら」
「私はこうです」
初めは、
そのぐらいの気持ちでいたように思う。
今はそこまで、
言わなくてもよくなった。
倒れないとわかったから。
ただ、それだけだった。
全部ぜんぶ、
自分だったのよ。
ただ、ただ、
それだけだったのよ。
「幻想に生きる」って、
そういうことみたいだ。
真っ白な世界に。
あなたは、あなた。
わたしは、わたし。
わたしは、あなた。
あなたは、わたし。
素敵な毎日を。
なぜか今日は、
ありったけの
愛をこめて。
おかん。