「今日」があることを考えてみる。 | おかんのちゃぶ台☆しゃべりと歌でココロにアプローチする主婦 ・ ババーランド(仮)代表

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あなたに、伝えたい。
ちゃぶ台で紡ぎ出されるコトバたち。
1968年生まれの、女 兼 妻 兼 母 兼 主婦
心理学・セラピー・カウンセリングあたりを得意技に
オールマイティに暮らしています。
そんな"おかん"の日々の雑記。すべては、愛ですよ、愛。

7月8日金曜日


昨今の、不安定な情勢。

余所事ながら、
余所事や、などと、
そう言ってたらアカン気がする、
じわじわと恐怖感。
(たぶん、いま、日本を覆ってるのはこの不安と恐怖やな)


もしかしたら、
明日死ぬかもしれない。

自分の人生に関しては、後悔はない。


けど、
やっぱり、
突然死ぬ(死なされる)のは怖いよ。


そこで
ふと、思うのよ。


この。


そうは言っても、
明日そんなすぐに死なないだろう的な発想。
しかも当たり前のように。

これは、誰が、そうしてくれたのだろう?

考えたことある?



遡れば、
ある程度社会ができていたはずの江戸時代にだって、辻斬りもあったし、仇討ちもあったし、暴れ馬もいて、食うや食わずの村もあり…。

翻って、いま、
昭和、平成にもなれば、
「生き死に」と「ふだんの生活」は別問題。


だれが、どうやって、
ここまでの暮らしを作り、
保ってくれていたのだろう。

考えたことありますか?



今日いち日のために、
どれだけの、
「今日」が
あったのか。


歴史は勝者のものと言われます。
それでもいい、今まで、
この足の下で、何があったのか、
なかったのか。

どうして、
私はこのように、
『平和に』生きていられるのか。


私の言語化できる範囲で言えば、
平和とは、
明日の命を不安に思わずに済むことです。
今日これからの時間、死を恐れずにいられることです。


これは、
私が作ったものではありません。

あなたが作ったものですか?
だとしたら、
それは、誰に教えられてそうできたのですか?



考えてから、
行動していこうと思っています。






素敵な毎日を。

愛をこめて。


おかん。