覚書「批判する前に」 | おかんのちゃぶ台☆しゃべりと歌でココロにアプローチする主婦 ・ ババーランド(仮)代表

おかんのちゃぶ台☆しゃべりと歌でココロにアプローチする主婦 ・ ババーランド(仮)代表

あなたに、伝えたい。
ちゃぶ台で紡ぎ出されるコトバたち。
1968年生まれの、女 兼 妻 兼 母 兼 主婦
心理学・セラピー・カウンセリングあたりを得意技に
オールマイティに暮らしています。
そんな"おかん"の日々の雑記。すべては、愛ですよ、愛。

覚書。


「自らが何者か」を明かさずに扇動するのは、
『正義だけが正しい』と思う者を同調させ、盛り上げるだけ盛り上げて、
自分だけがそこから消えるためである。

彼の者たちは、
そんな由も知らずに、
『正義のために』たたかう。
たたかう理由も知らず。

その頃には、「自らを明かさぬ者」は消えている。

彼は、それほどに、気長に、狡猾に、それらしく、扇動する。
本当のことを言う。
必要に応じて嘘もつく。
でも嘘は、嘘でないと言えば、嘘でなくなる。
すべてを知る者なのだ。

ただ、自分の手は決して汚さない。
自分の心が痛まぬように。

決して自らの名を明かさず、
いつしか消える。





神さまのまわりにだって、あんなに天使がいらっしゃるのに、
悪魔はひとりでじゅうぶんだ。

人間は、それほどまでに、何かと弱い。

そして、
神さまは、彼を罰したりしない(と思う)。

それでも彼が愛おしいからだ。

元々は天使だったのだから。

悪魔は、
もともと、神さまの御使いとして生まれたのだから。

いつしか、誰かが、彼を悪魔と名付けたのだろう。



神さまは、
「悪魔のすること」に怒り悲しむのではない。
そうされて、自ら考えもせず、自らの意志であったはずの言質すら翻し、やすやすと徒党を組んでしまうものたちを、悲しんでいる、ただ、それだけのことなのだ。



争いを、起こしているのは、
じつは、
神でもなければ、悪魔でもないのだ。






ちなみに。
私は、そんな悪魔が嫌いになれないのだ。

本気で彼にお願いしても、
「絶対ヤだねー!」
とか言われるかもしれん。

彼は、理解されることを嫌うからね。
(あ、言っちゃった☆)






ふるい とかフィルターとかね、
そんな言葉を思い出します。