こんにちは。

アレテーを求めて~

今日もトコトコ( ・ω・)

弁護士の岡本卓大です。

 

絶賛連載中の神武征討記。

大和勢力側武将の視点からの外伝シリーズの『一気読み』です( ・ω・)

 

 

戦鬼クロウノウシワカの誕生

 

主人公は、大和十二神将最強の武将・クロウノウシワカ。

クロウノウシワカは、源平合戦で活躍した源義経の前世武将です。

クロウノウシワカは、山城(京都府)の小豪族の息子として生まれました。

年は、神武様よりも5歳年下です。

クロウノウシワカが7歳の時、クロウノウシワカの集落は戦で襲われ、

父は戦死。母は敵の豪族大将に犯され、その後自殺します。

7歳で鞍馬の山に逃げ込んだクロウノウシワカは、2歳年下のシラビョウシシズカとともに、天狗達に育てられます。

厳しい修行により武芸と兵法を天狗達からたたき込まれるクロウノウシワカ。

天狗の女達から戦闘能力を上げる不思議な踊りをたたき込まれるシラビョウシシズカ。

二人は、人里から離れ天狗達からの修行を受けることで人間離れした能力を身につけていきました。

クロウノウシワカが10歳、シラビョウシシズカが8歳の頃。

クロウノウシワカ達は、天狗の里長から、かつて天津神(アマツカミ)達が土着の神々や妖怪達を虐殺したこと、大和(奈良県)

の三輪山に鎮座するオオモノヌシこそが真の主であること、そして、アマテラスの子孫である天孫一族が敵であることを教え込まれます。

13歳となったクロウノウシワカは、鞍馬山を下り、人里へ向かいました。

山城の人里でベンケイを配下としたクロウノウシワカ。

ベンケイを連れたクロウノウシワカは、かつて故郷の集落があった場所へ行きます。

しかし、そこは一面の焼き野原。もはや、集落は存在しませんでした。

クロウノウシワカは近隣の集落で情報収集を行い、母トキワが豪族大将に犯された後に自害したこと、父母の墓となっている場所、両親の仇である豪族大将がどこにいるかなどを探し当てます。

墓と呼ぶには、あまりに寂しい父母の眠る地を参るクロウノウシワカ・・・

クロウノウシワカとベンケイはたった二人で500の兵が守る豪族大将の城を落とし、クロウノウシワカは両親の仇である豪族大将を殺します。

キョウノミチナガにより、スカウトされ大和勢力に属することとなったクロウノウシワカ。

そして、関東争乱の後、10年の停戦期間が過ぎた年。

神武東征編の2年前・・・クロウノウシワカ23歳のとき。クロウノウシワカはたった一人で1万の兵力を持つ山城を滅ぼします。

たった一人で山城を滅ぼしたクロウノウシワカ。

その武名は、神武と並んで日本(ヒノモト)に知らぬ者が無い存在として鳴り響いていく・・・

こうして、神武の最大のライバルとなる戦鬼クロウノウシワカは天下に現れることとなりました。

 

 

ミカワノタケチヨという男

 

主人公は、大和十二神将の中でも最も家臣団の団結が強いと

言われるミカワノタケチヨです。

ミカワノタケチヨは、江戸幕府を開いた徳川家康の前世武将です。

徳川家康は、織田信長、豊臣秀吉もより少し年下でしたが、その前世であるミカワノタケチヨは、

織田信長の前世であるオワリノブヒメ、豊臣秀吉の前世であるヒヨシマルと同い年。

神武様とも同い年の武将です。

この物語の始まりは、本編関東争乱編の7年後、ミカワノタケチヨが25歳のときから始まります。

この頃、ミカワノタケチヨは、三河(愛知県東部)と遠江(静岡県西部)の2カ国を領有し、

浜名湖の近くの現在の浜松市周辺に館を築き、本拠地としていました。

領内で子が生まれると、それが身分の低い者の子であっても、

祝いに出かけ、酒と餅、祝い金を与える。

ミカワノタケチヨという王は、この時代には他に類を見ないような領民思いの王でした。

この時代の通常の王は、庶民とはまるで違う豪勢な屋敷に住み、食事も庶民とはまったく違うものを食べる。

それが当たり前でした。

しかし、このミカワノタケチヨは、百姓や漁師の子にまで祝いを与える反面、

自らは、質素な生活を送っていました。

自らのためには金を使わず、民達のために金を使う。

それがミカワノタケチヨという王でした。

この頃、隣国伊勢のヒヨシマルは民に金をばらまくことで人気があり、

隣国尾張のオワリノブヒメは、その美しさと強さから戦女神であるかのようなカリスマにより人気があり、

越後・上野・武蔵のエツノケンシンはその軍神のごとき強さにより人気がありました。

しかし、このミカワノタケチヨは、民の中に入り、民と苦楽を共にし、また民から取った税を

民の生活のために使う諸政策を行っていたという政治的手腕によって、

領内の民達から絶大な人気を誇っていました。

戦が起こったときには、まずは情報を収集し、調略できる相手は調略する。

その上で絶対負けない状況を作って初めて開戦するのが、ミカワノタケチヨという男でした。

ミカワノタケチヨの誇る三河四天王を始めとし、ミカワノタケチヨのために

命を惜しまず戦う結束したミカワノタケチヨ軍団の将兵達。

その強さは、全国でも屈指のものでした。

戦えば必ず勝つ。それゆえに戦わずして降る者が多い。

それが、ミカワノタケチヨ軍団でした。

そして、3年の時が過ぎ、大和勢力と神武勢力の10年の停戦期間が終了します。

ミカワノタケチヨは28歳。

ミカワノタケチヨ軍が遠江を出陣してから、わずか10日。

そのわずか10日の間に、駿河、甲斐、信濃の三国は、

ミカワノタケチヨの手に落ちました。

スルガノフジヒメ、シナノノスワヒメら、駿河勢、諏訪勢は、

そのままオワリノブヒメの下へ亡命し、ミカワノタケチヨと

オワリノブヒメは恒常的な戦闘状態に戻ります。

ミカワノタケチヨ・・・三河の小さな豪族の王子として生まれたこの男は、

28歳で三河、遠江、駿河、甲斐、信濃の5カ国を領有する大豪族となる。

大和十二神将の中でも、もっとも人望厚いと言われるミカワノタケチヨは、

こうして、神武達の前に大きく立ちはだかっていく・・・

 

 

海を望んで~ヘイケノキヨモリの物語

 

主人公は、大和十二神将の一人ヘイケノキヨモリ。

ヘイケノキヨモリは日本初の武家政権を築いた平清盛の前世武将です。

ヘイケノキヨモリは、神武様より14歳年上。

摂津国の生田(現在の兵庫県神戸市)の豪族の息子として生まれました。

物語は、本編では神武様が出雲大社学宮(イズモタイシャマナビノミヤ)に入学する12歳の年。

ヘイケイノキヨモリが26歳のときに始まります。

ヘイケノキヨモリの最初の妻は、長男ヘイケノシゲモリ、次男ヘイケノモトモリを産みますが、

次男出産時に亡くなり、その後、ヘイケノキヨモリはヘイケノトキタダの妹であるニイノアマトキコと再婚します。

再婚後、ニイノアマトキコは、先妻の残した二人の息子を育てつつ、

三男ヘイケノムネモリ、四男ヘイケノトモモリ、五男ヘイケノシゲヒラを産みます。

それぞの息子達の年齢は、シゲモリが8歳、モトモリが6歳、ムネモリが4歳、モトモリが2歳、シゲヒラが0歳でした。

後に、大和十二神将の一人として西国に大勢力を築くことになるヘイケノキヨモリも、この頃は、まだ小さな一豪族の

頭領に過ぎませんでした。

5人の子どもをワンオペ育児で育てるニイノアマトキコ。

家庭内では、現代の日本社会であったら、離婚請求されること確実な

古い体質のヘイケノキヨモリですが、外では有能でした。

当時の摂津(阪神地域)は、諸豪族が入り乱れる戦乱の国でしたが、

ヘイケノキヨモリは、たぐいまれなる戦上手で戦で負けることはありませんでした。

ニイノアマトキコにとっても、この時代の男は強いことが正義。

強い夫のもとにいれば、安全に、そして豊かに生活することができました。

ヘイケノキヨモリは、その優れた戦術によって、次々と摂津の豪族たちを平定し、

やがて摂津を統一します。

そして、3年の時が経ち、本編神武東征編から15年前。ヘイケノキヨモリ29歳のとき。

大和(奈良県)からヤマトノショウトクがヘイケノキヨモリを訪ねます。

オオモノヌシの神の娘ヒメタタライスケヨリヒメの誕生。そして、ヘイケノキヨモリを

大和に神将として仕えてほしいというヤマトノショウトクの要請。

ヤマトノショウトクが帰った後、ヘイケノキヨモリは家族とともに、須磨の海に行きます。

海を見ながら妻ニイノアマトキコに語るヘイケノキヨモリ。

日本(ヒノモト)を初めて統一した男として歴史に名を刻む決意を語るヘイケノキヨモリ。

その後、ヘイケノキヨモリは、西国を旅し、

薩摩(鹿児島県)の地で、セゴドンノキチノスケ、ヘイハチトウゴという

後の大和十二神将となる名将たちをスカウトしていく。

やがて、神武勢力と大和勢力が関東争乱終結時に結んだ10年の停戦が明けた年。

ヘイケノキヨモリが42歳のとき。

ヘイケノキヨモリは、摂津から淡路・播磨・但馬(兵庫県)に侵攻し、またたくまにこれを平定。

さらに吉備(岡山県)で、キビツモモタ軍を打ち破り吉備を奪い、イツクシマ三姉妹から安芸(広島県)

を奪い、安芸に本拠を置いた。

そのヘイケノキヨモリ軍の繁栄ぶりは、すさまじいものだった。

「ヘイケにあらずんば人にあらず!」

西日本最大の勢力となるヘイケノキヨモリ軍団・・・

しかし、この後、下関攻城中にチチブカネビメの計略により、

神武軍に安芸を奪われ、神戸に退くことになるのは、本編のとおりである・・・

 

 

敗北が人を強くする~ゲンジノヨリトモの決意!

 

主人公は、大和十二神将の一人ゲンジノヨリトモ。

ゲンジノヨリトモは鎌倉幕府を開いた源頼朝の前世です。

ゲンジノヨリトモは、神武様より5歳年上。本編神武東征編第37話で、

下野(栃木県)小山の思川の合戦で大敗したときは、35歳でした。

ゲンジノヨリトモ軍団は、エツノケンシンとの思川の合戦で、

上総(千葉県)出身の猛将カズザカイハチロウが討ち死に。

動員した5万の兵のうち1万5237名もの兵が討ち死にし、

1万8143名もの負傷兵を出すという大敗を喫しました。

若い頃から、周囲に名将とおだてられて生きてきたゲンジノヨリトモにとって、

この思川の合戦でのエツノケンシンへの大敗は、大きな精神的打撃となっています。

相模(神奈川県)。現在の鎌倉市鶴岡八幡宮の辺りに宮殿を築いていたゲンジノヨリトモ。

ゲンジノヨリトモは、エツノケンシンに大敗して完全に自信喪失。

それを心配するゲンジノヨリトモ軍団の将達・・・

ゲンジノヨリトモが敗北による傷心から立ち直れない中、

コシロウノヨシトキらゲンジノヨリトモ軍団の将達は、

軍団立て直しのための政務に励んでいきました。

ある日、アマショウグンマサコが旅の装束で、ゲンジノヨリトモの部屋に行きます。

ゲンジノヨリトモとアマショウグンマサコは、

夫婦で熱海の温泉旅行に出かけました。

二人で温泉に入るゲンジノヨリトモ夫妻。

妻アマショウグンマサコとの会話の中で、ゲンジノヨリトモはエツノケンシンに対抗するための方策を思いつく。

それは、エツノケンシンの騎馬軍団と野戦を行わないための総構えの備え。

ゲンジノヨリトモ領の鎌倉を始めとする主要都市は、都市全体を城壁で囲む総構えが建設され、

また現在の東京都と埼玉県の境、千葉県と埼玉県・茨城県の境となる各所に馬では乗り越えられない土塁や柵が

設けられました。

そして都市内で商業を奨励し、産業を育成するゲンジノヨリトモ軍団は、瞬く間に豊かな経済力を手に入れ、

兵力も回復していきました。

エツノケンシン軍との戦いでの大敗・・・

それが、負けたゲンジノヨリトモという将を一回り大きくします。

敗北は人は強くする・・・圧倒的な統治能力を持つ大和十二神将ゲンジノヨリトモは、

この後、さらなる強敵となってエツノケンシン、そして神武様の前に立ちはだかる壁となっていくことになります。

 

 

 

今後も、

神武征討記

そして、

アレテーを求めて~

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