こんにちは
今日のくぅちゃん
体重 91.1g
昨日の飲水量は 6.3g
昨日の食事量 7.5g
うん、まあまあですね。
最近すごいんです、くぅちゃんの食欲
特にねんね前に「食べたりないわ」っていうのがひどくて
あげないと、「なんでくれないのよー」ってすごい鳴き方するんです
なので、こっそり一日分から分けて保管しておきまして…ちょっとだけあげたりするんですけど…
これもしかして、全体量から減らしてるから足りないってことになるのかな
と思って試してみたけど、結局寝る前に腹いっぱいにならないとダメだってことが判明しました
はぁ、体重管理は難しいです
今日は “転勤はつらいよ ‘‘自動車移動車中泊一泊二日編‘‘ の話の続き。
くぅちゃん初めての入院の記憶を書いてみようと思います。
転勤で体調を壊したくぅちゃんは、あれよあれよと痩せていき(84g)、食べても吐いてしまう。泣きながら相談したYさんのお勧めの病院に、アポなしで朝一で向かいました。
Yさんから電話とFAXを入れてもらい、夫婦でくぅちゃんを連れて片道約1時間半のR病院です。
早く行き過ぎてカフェで時間をつぶす羽目になったりしましたが、ここで先生にお伝えする内容を何度も復習し、ヒョウゴ―に住んでた時の病院の検査結果、今までの病歴など整理しました。
病院では急患として見てくれることになりました(本来は予約制)
ここで追い返されたら、ほぼ命はなかったと思います。感謝
くぅちゃんは、一言で言うと高脂血症状態でした。
ここで人生(鳥生)二回目のレントゲンと取ったのですが、それがこちら。
分かる人にはわかる、うっすらと映る血管の影。
それは、本来映ってはならない影。
これでも動物看護師やってたんで(主任務はオペの助手と血液検査と薬の調合)、そこに映ってはいけないということは容易に想像できる。
先生も私が理解しているとわかると、専門用語が飛び出すので、くぅちゃんの置かれている現状がよくわかった
わかりやくいうと、くぅちゃんは急性っぽい感じの高脂血症。
そして動脈硬化の兆しがある。
「動脈硬化の兆し」がレントゲンに写ってたのである。
普通の犬猫獣医さんならわからないだろうその部位を説明されて、背筋が凍った。
くぅちゃんはこの時15歳、ちなみに15年間くぅちゃんの平均体重は100gオーバー
この15年間ため込んだ血液の脂が血管を固くしているのだ。
一度固くなった血管はもう元には戻らない。
幸いなのは、今どうこうなるレベルじゃなくて、初期中の初期。早急に改善しなくてはならない。
少なからず今後も影響はゼロではない
ワタクシはヒョウゴ―で毎年1回くぅちゃんに血液検査を受けさせ、問題なしで来た。なぜだ、なぜだんだと思っていたら、先生曰く…ヒョウゴ―の病院
の検査表をみて「コレステロールの数値が載ってない」と
。
ヒョウゴ―での検査は何だったのだろう。
自分ももっと細かくチェックしようよ、散々血液検査やってきただろうに。
ただ、時々くぅちゃんの羽が黄色く見える時があり、ワタクシはヒョウゴ―の動物病院でグルタチオンとキトサンを出してもらい、自分で調合して4年間与えていた。
そのおかげか、高脂血症でも肝臓には大きな影響は出てなかった。
しかし、すさまじく高いコレステロール値。
734ってなんだよぉ。(通常高くても360)
そして組織破壊値948って。(通常は高くても240)
即効入院が決定。その間、くぅちゃんは小松菜をかじったりして、「ワタクシ大丈夫よ!」とアピールしてくる。けなげなくぅちゃんです。
くぅちゃんはここで私たちと引き離されると理解してるんだと思うと涙が出た
。
くぅちゃんは、引越しの緊張で食欲が無く、食べないことにより、体の脂をエネルギーに変えていたものの、脂が血液に多くなりすぎて、食べ物を受け付けられない状態。
絶食→体内の脂分解→血液に脂→食べられない→絶食→体内の脂分解→無限ループ
これを断ち切らなければならない。
入院の説明を聞きながら、今までそこそこ完璧だと思ってたヒョウゴ―での生活が悔やまれてならなかった
やっぱり飼い主の感は当たる。
くぅちゃんの適正体重はヒョウゴ―では100gくらいと言われていたけど、くぅちゃんはそこまで大きくない(ただ、頭はでかい)
体重は100gでいいのか…?でもキールスコアは普通よりちょっと…位だし、黄色い脂肪がついてないし、筋肉だからいいのかな?
これが、このあいまいなウーン?の思考回路がダメだったのである
己の勉強不足によって、くぅちゃんの健康が損なわれていたのかと思うと、穴があったら入りたかった(そして誰かに穴ごと埋めて欲しいとすら思った)
病院では飼い主の職業を書くところがあるのだけど…。
思いっきり無職と書いた。くぅちゃんは元気になって退院しても通院生活は続くだろうと思ったからである。バイトやパートに出ている余裕がゼロなのも確かだった
。
トウキョーゥに転勤になったのには、深い深すぎる理由があったからだ。
この話はまた後程、私の人生も相当波乱万丈なのである。
くぅちゃんを病院に託して、数割の確率で悲しい運命になると説明される
ワタクシは、初めての病院にくぅちゃんの命を預けることに、躊躇は無かった。
なぜならYさんの紹介だからだ。病院の先生もだけど、Yさんの存在は本当に我が家にとっては女神そのものだったのだ。
結果として、くぅちゃんは無事に退院し、現在19歳で元気に生活している。
それはこの時の入院で、くぅちゃんの本当の健康状態を把握し、早期に手をうって来たからである。
しかし、退院後も一筋縄ではなく、それはそれは大変な苦労をした。
苦労はもとい、飼い主の勉強不足が招いたことなので、苦労と言ってはいけない。
全ては己の管理不足。
ワタクシはこの間の通院記録と、支払のレシートは今でも捨てることが出来ない。
自分を戒める、一つの資料として時々眺めている。
苦行僧かよって言われるけど、自分を律しないと人間甘えてしまいますからね
。
それではみなさんごきげんよう。
次回はこの話の続きを書こうと思います。
なにかの参考になればいいな。