少数派である「HSP」の感覚と、自分にかけてしまった呪い〜怖れが事件を呼ぶ〜 | おかえり、私!〜HSP のHSPによる HSPのためのブログ〜

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人にばかり優しくしていたら、自分が誰なのかわからなくなってしまった…。
人生のあちこちで 迷子になったままの本当の自分を迎えに行く。そんなブログです。

 

HSPとは?

 
HSPは 生まれつき敏感で、周りからの刺激を過度に受けやすい人のことでDOESという4つの特性をもつ。

 

1996年にアメリカのアーロン博士が発表するまで、世の中で認知すらされていなかった。

 
HSPの4つの特性 DOES
 
D:Depth of Processing
  考え方が複雑、深く処理をする
 
O:Overstimulation
  過剰に刺激を受けやすい、敏感で疲れやすい
 
E:Emotional response and empathy
  全体的に感情の反応が強く、共感力が強い
 
S:Sensitivity to Subtleties
 些細な刺激を察知する、あらゆる感覚がするどい
 
 
 
 
 
 

敷地内で切り返した車

 
その日はで、夫が車で
息子を駅まで迎えに行っていた。
 
 
だから
 
玄関前にある敷地内
駐車スペースは空いていた。
 
 
今、住んでいる家は
道に面していて、塀がない。
 
 
家の前の道に
車が止まった気配がした。
 
 
HSP的な洞察力によると
どうやら 近所の
誰かを送ってきた車らしかった。
 
 
家の前の道は
細くてすれ違いができない。
入ってきたら
まっすぐ通り抜けるしかない。
 
 
でも
車のバック音がしたと思ったら
 
 
知らない車が、家の敷地に入って
車を切り返して出て行った。
 
 
玄関前のその場所は、家族も
駐車に気を使う極小スペース。
 
 
えっ?
こんなところで、切り返す⁈
 
 
…これは
さすがに怒ってもいいよねプンプン
 
 
 
 

繰り返される嫌なこと

 
この家に住み始めて数年。
 
 
前に住んでいたような袋小路ではなく
いろいろな人が通り抜ける道。
 
 
今回の件の他にも
いろいろなことがある。
 
  • 家の前で痰を吐く人がいる。
  • 家の前に何かが落ちている。
  • 家の近くで騒ぐこどもがいる。
  • 裏の駐車場で遊ぶ親子がいる。
 
 
家の中に居ると
からしか情報が入らない。
 
 
目に見えないから
頭の中で想像してしまう。
 

 

    
車に傷が付くのではないか?
 
壁にボールが当たるのではないか?

わざとしているのではないか?

 

 

要は
自分が危害を受けると思っている。
 
 
 
しかも、それは
自分にだけ起こると考えている。
 
 
 
 
どうしてなのか?
 
 
 
よくよく考えた結果、気付いた。
 

 

私の中には、周りの人から
 
嫌われているのではないか?
バカにされているのではないか?
 
という、強い怖れがある。

 

 

このような怖れ
悪い想像を掻き立てて
 
 
 
日常にありがちな風景を
「事件」に変えてしまっていた。
 
 
 
 

嫌いな歌詞

 
週末、夫と買物に出かける。
車の中で聴く音楽
 
 
もう何年聴いてるんだというくらい
更新されない夫の曲のリストの中で
 
 
特に嫌いな曲がある。
 
 
 
いつもは
我慢して聞いているが
 
 
その日は
どうにも気持ちが悪くて 
 
 
半分くらい聴き終わったところで
「曲を飛ばしてほしい」と言ったら
 
 
気にし過ぎなんだよ💢」と返された。
 
 
 
この曲は
サビの部分で
 
 
「今日を大切に生きたか?」
ということを繰り返すバラード。
 
 
  • 恋をしたか?
  • 親友と話したか?
  • 忘れられない出来ごとはあったか?
 
 
「悔いのない人生を送ろう」
と、いう主題はわかる。
 
 
私が「気持ち悪い」と感じるのは
 
 
ゆっくりと、優しく
語りかけるようでいて
 
 
「幸せとはこういうもの」
 
 
決めつけている気がするから。
 

 

    
「どんな人生を生きようと
 
 そんなの、個人の自由じゃん!」

 

と、思うのだ。
 
 
 
こんなふうには
生きられない人が聞いたら
 
 
きっと苦しいんじゃないかと
想像してしまったりする。
 
 
 
 
 

超少数派が受ける傷

 
私の感覚
他の人と違っているようで
 
 
 
他の人にとっては
「何でもない」ことが
気になってしまう。
 
 
 
多数派に対して、超少数派
 
 
 
だから、必然的に
 
 
「私の感覚がおかしい」
 
ということになってしまう。
 
 
 
 
私が感じたことを伝えても
「なんだ、そんなこと」と一蹴される。
 
 
 
相手が問題意識を持たないところに
意見をしたら反感を買ってしまう。
 
相手の気分を害することも多かった。
 
 
 
そこから、私が学んだことは

 

むやみやたら
 
私の感覚を人に伝えてはいけない

 

ということ。
 
 
 
 
こういうことが
長い間、何度も積み重なっていくうちに

 

私の感覚は
ネガティブ良くないもの。
 
私は
人とズレたことを言う、変なヤツ。
楽しい計画を邪魔する嫌な人間。

 

と、自分でも思うようになっていた。
 
 
 
それが、いつのまにか
自分で自分にかけた
呪いになってしまっていた汗
 
 
 
 

気付いて、切り離す

 
だけど
 
 
私が感じたことは
相手にとっては都合が悪くても
 
 
決して
「良くないこと」ではなかった。
 
 
 
これまでも、私が感じたことが
私自身を助けてくれたことも多くあった。
 
 
私の前に現れる嫌なこと
 
 
 
これらのことが事実ではなく
私の怖れからくる「思い込み」
作り出したものかもしれない…


と、気付けたら
 
 
 
私が、家の外に出たタイミングで
お隣のお爺さんが
何やら大きな声を出したのも
 
 
 
危うく、また
私のせい…ショボーン?」
と、思いかけたのを、防げた。
 
 
 
お隣のお爺さんの大きな声

 

私は嫌われている。
 
バカにされている。

 

と、いう私の思い込み関係ない
 
 
 
私が、そう意味付けただけで
お隣さんの大きな声の理由とは、別の問題だ。
 
 
 
気付いて切り離すことができた。
 
 
 
冒頭で、車が切り返した時
ドアを開けて外を見たら
 
 
車は確認できなかったが
送ってもらったらしい人とが合った。
 
 
それからは
家の前で車が止まることはなくなった。
 
 
その人たちに
悪意があったわけではなかった。
 
 
「嫌われている」という私の思い込みが
小さなこと大事件に発展させていた。
 
 

 

気付いて切り離す
 
それを繰り返す

 

そうしたら、いつか
 
 
 
私の周りから
「事件」はなくなっていくのだと思う。