HSPとは?
HSPは 生まれつき敏感で、周りからの刺激を過度に受けやすい人のことでDOESという4つの特性をもつ。
1996年にアメリカのアーロン博士が発表するまで、世の中で認知すらされていなかった。
アダルトチルドレンとは?
アダルトチルドレン
アダルトチルドレンとは虐待や育児放棄(ネグレクト)、アルコール依存症やギャンブル依存症の親の元で育ち、社会に出てから生きづらさを感じている人のことです。こうした機能不全家族の元で育った子どもは、自己肯定感や自尊心が低い人になってしまう傾向があります。
ミッションクリア
お正月明け、母は
歯が痛くて
入れ歯が入れられないと言う
歯科以外の通院の都合で
すぐには、歯を治療出来ず
固いものが食べられない。
毎月、母の家に泊まる日は
駅で待合せをして
昼食を食べてから
夕飯の買物をして家に向かう。
今回は
「歯がないから外食出来ない」と言う。
とても残念そうに聞こえる
家では お粥を作ったり
コンビニのたまごサンドを
細かくして食べているらしい。
5キロ痩せたと言う。
(外に出たら、何か
美味しいものが食べたいよね…)
母とのやり取りの中で
「ワンタンスープくらいなら…」
という希望が聞けた。
でも、メニューを調べたら
いつも行く中華料理店には
それがなかった。
近くの定食屋さんはどうか?
何を食べても美味しいお店だけど
お粥とかメニューにないかな?
調べると、お茶漬けもあったが
お目当ての
ワンタンスープがあった
当日
母は、そのワンタンスープを
「美味しい」と食べている。
「一つのミッションをクリア出来た」
「母が喜んでくれてよかった」
自分の中では
良い気持ちでピリオドを打てた。
ミッション失敗?
そのお店を出て歩いていると
母が手首の辺りを掻きながら
「突然痒くなった。
さっきの店に虫が居たのかも…」と言う。
母は痒くなったことに対して
いつものように
被害妄想的な発言をしただけ。
(痒みはその時だけで何も跡はなかった)
だけど、私の心は一瞬で曇った。
母のたった一言で、気分が急降下
その店に連れて行ったのが
「失敗だった」と
言われたような気がした。
せっかく良い感じで終われそうだったのに
私がしたことを否定されたと感じた。
母の幸運の裏にあるもの
今回も母は
「美味しい」とは言っていたけど
「ありがとう」とは言ってくれない。
(思ってはいるのかもしれないけど…)
それだと
たまたま入ったお店に
「柔らかくて美味しいメニュー」があって
それが、意外と美味しかった。
「ラッキーだった」
みたいなことになってしまう
そこに
「私がしたこと」が無くなってしまう。
私は、それが悔しい。
「あなたのその『幸運』の裏には
いつも私の努力がありますよ」と言いたい。
翌日。
家族が車で迎えにきてくれる。
月に一度だが
ペーパードライバーの私に変わって
母を車で買物に連れて行ってくれる。
来る途中、夫はパン屋さんで
母のために柔らかそうな
サンドイッチを買ってきてくれた。
息子は、スーパーで
オススメのカップワンタン麺を
選んであげていた。
彼らの行動にだって、私の影響がある。
コツコツと積み上げたもの
私が幼い頃から
母は、被害妄想的な見方で
直感的な発言をしていた。
相手の気分を害してしまう。
家族との関係性においては
私が母と家族との間に立って
被害妄想的な表現を取り除きつつ
感謝の気持ちをプラスしながら
家族に伝えることで
長い時間をかけて
関係性を良好に保ってきた。
現在は、母も本心から
家族には感謝してくれている。
でも、私の苦労は知らない。
ただ
良い夫で良い息子だと思っている。
良いことを集める癖
小さい頃から
私は、私なりに考えて頑張って
苦難を乗り越えてきた。
母が昔を振り返る時
「あんたは大丈夫だった」
「何の心配もなかった」
などと言うが
そうじゃなかった。
仕方なく頑張っていた。
両親の離婚、母子家庭など
いろいろと逆境にあったので
「欲しいものも欲しいと言えない」
「大学進学を諦める」など
願いが叶わないことが多かった。
その現実が、辛くて
耐えきれなかった。
運命にただ
流されるのが悔しかった。
何とか、前を向いて
「とりあえずこれで良かった」
というところに着地させることで
自分の痛みを和らげてきた。
自分の痛みを和らげてきた。
ずっとそれをしてきたので
癖になってしまったのかもしれない。
いつのまにか
良い結果だけで
一日を埋めようとしている。
良いことだけの日常に
しようとしている。
ミッションクリアにこだわり過ぎていた。
結果で自分を嫌わないこと
今回の、ワンタンスープ事件で
母の被害妄想的な一言で
私の感情が乱れた理由は
- 良い結果ばかりを求めて、ミッションクリアに執着していたこと。
- 結果だけを重視して、一喜一憂しまったこと。
そして、何より
良い結果に結びつけた経緯を
軽視していたのは
母ではなく自分だったこと。
たとえ、結果的に私の思いが
母に想いが伝わらなくても
褒めてもらえなくても
そこに辿り着くまでの
私の努力まで
嫌わなくてもいいのだ。
自分だけは
どんな時も自分の味方でいる。
そう決める
結果に振り回されず
人の言葉に惑わされず
どんな時も
前を向こうとする
自分のことを好きでいたい。