矯正されて擬態して生きる私が隠しているもの〜人は影響しあって生きている〜 | おかえり、私!〜HSP のHSPによる HSPのためのブログ〜

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人にばかり優しくしていたら、自分が誰なのかわからなくなってしまった…。
人生のあちこちで 迷子になったままの本当の自分を迎えに行く。そんなブログです。

 

喫茶店での出来ごと

 
週末の早朝
息子を眼科まで車で送迎した。
 
 
その待ち時間を活用して
近くの喫茶店
 
夫と2人
美味しいモーニングメニューと
 
 
落ち着いた
お店の雰囲気を味わっていた。
 
 
 
後から入ってきた家族客
(父と母と中学生くらいの男の子3人)
 
 
喫茶店の静かな雰囲気に
「大きな声を出してはいけない」と
ヒソヒソ声で話し始めた。
 
 
何だか視線を感じるような気がして
頭の中で、思考が騒ぎだす。
 

 

    
「あ…スマホのリングの色が禿げてるあせる
 
「リップの色が落ちてきっと顔色が悪い…」
 
「会話のない冷めた夫婦と思われてるかも」

 

いろいろ恥ずかしく感じて、落ち着かなくなる。
 

 

    
面倒くさがりで、ケチで
 
血色が悪くて
 
冷めた夫婦関係のおばさん


などと、思われているのかも…ガーン

 

こういう感覚は久しぶり…
若い頃は、これがもっとひどかった。
 
 
 
その家族は、きっと
そんなことを思ってもいないし 
 
 
たとえ、思っていたとしても
それは相手の自由。
 
 
要は
私の心の問題だとわかっている。
 

 

    
バンカーリングが禿げているけど
強力に貼り付いていて剥がすのが怖い
「まっ、使えるからいいや」と思うのが私。
 
クローバー
 
ここでリップ口紅を塗り直すと
カップに付くということを
気にしてしまうのも私。
 
クローバー
お互いスマホスマホを眺めて
時々話すくらいの距離でいる方が
上手くいくのが私たち夫婦だ。

 

それでいいはずなのに
 
 
他の人の視線を感じると
『素敵な自分』を演じたくなる。
 
 
本当の自分なのに、
「外に出すのが恥ずかしい」と思ってしまう。
 
 
美味しいモーニングメニューと
素敵なお店の雰囲気に集中出来なくなる。
 
 
せっかくの『今』を楽しめない。
 
 
 

矯正され、擬態している私

 

    
身綺麗にして、キチンとして
 
褒められたり、すごかったり
 
キラキラしている自分は好き。

 

でも

 

    
面倒くさがりで
 
時間の間隔が緩くて
 
人と比較しては落ち込む自分が嫌い。

 

素の自分ネガティブな部分を
努力カバーして
今の私が成り立っている。
 

 

    
人と会う時は遅刻しない。
忘れ物もしない。
身なりもきちんと整える。
 
 
何か嫌なことがあっても
笑顔で人と察するし
やるべきことは丁寧にやる。

 

この擬態に慣れると
努力で出来上がった自分を
本当の自分だと思い込んでしまう。
 
 
 
でも、これは
努力によって矯正された私なので
 
 
ふとした瞬間に
隠していた
嫌いな自分が出てきてしまう。
 
 
だから、怖いのだ。
 
 
 

傷付きたくない私

 
本当に自分のことを好きな人は
どんなところも全て
分け隔てなく自分を愛している。
 
 
きっと
 
 
散らかった部屋でも
ノーメイクでも髪がボサボサでも
人を部屋に呼べる。
 
 
 
『好きなところ』も
『嫌いなところ』も、全部で私なのに
 
 
私は、嫌いなところを隠したい
 
 
 
で固めて
そつがない自分を演じたいのは私。
 
 
そうすることで
傷付かないようにしている。
 
 
 
 

影響を与え合うこと

 
だけど
 
私だって
実母を見て育って、私の育児方針を貫いた。
 
 
義母を見て、気付くこともたくさんあった。
 
 
 
素敵じゃない私を見て
もしかしたら
優越感に浸れる人がいるかもしれない。
 
 
「バンカーリングはやめよう」と
参考にしたりするかもしれない。
 
 
私たち夫婦を反面教師にして
「私たちは会話を大切にしようね」と
誓い合う若い夫婦がいるかもしれない。
 
 
そうやって
 
 
影響し合うことで成長するのが
人間なのだとしたら
 
 
私が私を隠すことは
誰かの成長を邪魔しているのかもなぁ…
 
 
 
 
私が、幼い頃
好きだった女優さんで
浦辺粂子さんという方がいた。
 
 
自宅で湯を沸かそうとした際に
和服の袂にコンロの火が引火
 
 
全身に大火傷を負って亡くなってしまった。
とても悲しかった
 
 
1989年のことだけど
それをニュースで知ってから
 
 
私は日常で
こういうシーンにとても気を付けている。
家族にも注意を促している。
 
 
何十年も前のことが
私を守ってくれている。
 
 
人は影響しあって生きている。