結婚以来、約30年間
毎月、実家と義実家への訪問を続けています。
その中で 気付いたあれこれを綴っています。
義実家での恒例行事が中止に
今年は なんと
29年間続いた、年末年始の義実家での宿泊が
諸事情により中止になるという、私たち家族にとっては 大きな出来事があった
なので、今回は 2月の訪問である。
いつものことだが、
家族で昼食を食べ終わったばかりなのに
次々に目の前に出される、りんご、みかん、菓子盆…。
一見、手厚くもてなされている感もあるが
今回は、義父の誕生日ケーキも買って来たので、この後 みんなで食べる予定もあるのに…。
そしてそこへ、更に「里芋の煮物」が登場!
それは、愛と呼べるのか…?
義実家でのお正月。食卓には、義母が作ったきんぴらごぼうや里芋などの煮物も並ぶ。
でも、せっかく義母が作った煮物を
他の家族はあまり食べない。
毎年、私がその場の空気を読んで
率先して食べたことで
勘違いさせてしまったかもしれないが、
「正月に作ってやれなったから
食べさせてやろうと思って」って…。
…ん? でも、そんなにしてまで?
いつも、思うことがある。
差し出されるりんごも、みかんも
「自分たちで食べ切れないから食べさせよう」
そういう意図が感じられること。
毎回 同じお菓子が出てくるのも、定期的に届く誰かからの戴き物 確定のはず。
私たち親子は、残り物処理班ではない。そういう扱いをされることで、私は傷付いていた。
だって、私たちの年齢や体型から考えたら
逆に、食べ過ぎを控えさせるのが、
本当の愛情なのではないかと思うから。
恩義なんて感じる必要はないのに、それでも、無理して食べてしまう私
あっ…!
ここで、私は気付いてしまった…
今回は、直前にやむなく中止となったが
「食材は全て用意してあった」と義弟が話していた。
里芋は冬なら常温で1ヶ月は持つらしい。
多少、傷んでいても 煮てしまえばわからない。
…つまり、今回出てきた「煮物」の里芋も
残り物の処理なのだということに
どれだけ 人を馬鹿にしているのか………
「正月に作ってやれなったから?」
「食べさせてやろうと思って?」
こういう、巧妙に「愛」と見せかけた、義母の本音にずっと傷付いてきたはずなのに…。
まだ 信じようとする、心優しい私が存在する
自分と相手どっちが大切?
そもそも、お腹がいっぱいだと感じるなら
食べたくないなら、食べなければいいのに
「相手に悪いから」と
無理して食べるから
最終的に「出すなよ!」っていう
義母への強い怒りに変換されてしまう。
何よりも、いけないのは
相手の気持ちを優先して
それと引き換えに
自分の気持ちと身体に
無理をさせてしまっている
自分の心を大切にするなら「断る」
自分の身体を大切にするなら 「無理をしない」
そういう意味で
私は、これまで 全く
自分を大切に出来ていなかった💧
「人から愛されたい」
それが叶わなくて ずっと苦しんで来たけど
それよりも前に、まず
私を愛するために
私自身が出来ることが、
たくさんありそうだ。